Monthly Archives: 2月 2021

和尚のひとりごと「伝道掲示板252」

報恩偈

『四分律行事鈔』より。
出家作法において唱える偈文。入道出家とは父母との恩愛の絆を断って、仏弟子として新たな道を歩むことを意味する。
得度式や枕経における剃度作法(御髪剃 おかみそり)の際に唱える。

(意味)
三界を流転する身では、父母の恩・愛の絆を断つことは出来ないが
今改めて出家の身となって恩・愛を断つことこそが、真の意味でその恩に報いることになる

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板251」

請護念偈

『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』より
在家の王妃シュリーマーラー(勝鬘夫人)は眼前の釈尊を讃え称える。

(意味)
我を憐み護り、仏法が芽吹く種子を増大させ
現世のみならずこの身朽ち果てたのちの生においても
どうか願いを受け入れて下さいますように..

『往生礼讃』では、六時に配される礼讃の最後に必ず唱える偈文。

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板250」

普済偈

(書き下し文)
神力大光を演べ あまねく無際の土を照らし
三垢のやみを消除して 広く諸々の厄難をすくう

(意味)
仏はその尋常ならざる力によりて大いなる光明を放ち
限りない世界を万遍なく照らす
そしてそれにより衆生の貪・瞋・癡の三毒の暗闇を除き
諸々の厄難から救い給う

『無量寿経』より。
神仏のご加護に頼み、災いを取り除かんと祈念する際の回向文。

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板249」

法楽偈「伝道掲示板249」

如来の清浄なる慈悲行は数知れず
それら一つ一つは皆ともに仏のただ一つの特徴として現れる
この故に見る者を飽きさせることはない。
神々に対して仏力によって解脱門が開かれる。

鎮守法楽の意味を込めて、神々を供養する回向文。
西域ホータン出身の実叉難陀(シクシャーナンダ)が則合掌天武后に招かれて訳した『八十華厳』が出典。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板248」

一切精霊偈

(意味)
先だった全ての霊が極楽に往生し
かの地の最上の蓮の華の台にて覚りを得て
さらに悟りの行と誓願とについて決して後戻りする事なく
全ての有情を導いて下さるように

今は亡きすべての精霊(先亡)の往生を念じる回向文。
一般的には、多くの精霊を回向する場合に用いている。
出典については、上二句が『大毘盧遮那経』(『大日経』)、下二句が『大般若経』「理趣分」とされているが細は不明とのこと。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板247」

聞名得益偈

(書き下し文)
その仏の本願の力、名を聞きて往生せんと欲すれば
皆悉くかの国に到って、自おのずから不退転に致る

(意味)
彼の仏の本願の力によりて
その名号を聞き、往生するぞと願うならば
皆必ず彼の国に到り、自ずと不退転の位の菩薩となる

在家者の追善のための回向文として、日常的に唱えられる偈文。
出典は『無量寿経』の「東方偈」より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板246」

降魔偈

(書き下し文)
門々不同にして八万四なるは、無明と果と業因とを減ぜんがためなり
利剣はすなはちこれ弥陀の号なり、一声称念すれば罪みな除こる

(意味)
法門が各々異なり実に八万四千にもおよぶのは
衆生の無明(おろかさ)と業の結果とその原因とを除き滅せんが為である
切れ味鋭い剣とは、これ阿弥陀如来の名号に他ならない
ひとたび称すれば、罪障すべて除かれるからである

新亡の霊に対する回向文(精霊回向文)、また「利剣名号の文」とも呼び百万遍念仏を修する際に摂益文の代わりにこの偈を称える。
枕経・通夜・迎接式・荼毘式・収骨式など、在家の葬儀式の際の回向文として用いられている。
善導大師『般舟讃』より。

合掌

和尚のひとりごとNo477「羽ばたく備え 怠りなく」

 念仏信者が守るべき生活態度の一つに長時修(ぢょうじしゅ)というのがあります。これは一生涯最期臨終に至る迄、お念仏を称え続けると言う事です。この世で命終える最期の日迄お念仏の信仰を持ち続けていただく事です。2021-2

 念仏婆さんという昔話があります。お念仏の御教えに出遭ってから七十歳になる迄「南無阿弥陀佛」のお念仏三昧(ざんまい)で暮らして居られたお婆さん。朝、目が覚めると「南無阿弥陀佛」。顔を洗いに行っても「南無阿弥陀佛」。食前食後も「南無阿弥陀佛」。明けても暮れても念仏三昧。このお婆さんが七十歳になった時に地震に遭い、梁が落ちてきて下敷きになろうという時にも「南無阿弥陀佛」と称えました。しかし気の毒にも梁の下敷きになって亡くなられました。ところがこのお婆さん、死んだら地獄の閻魔様の前へ突き出されたので腹を立て、「私は毎日お念仏を申して暮らしてきました。お念仏で極楽へ往けるものと思っておりましたのに、地獄へ堕とされるというのは一体どういう事か?そのわけを聞かせてもらいたい。」と閻魔様にくってかかったそうです。すると閻魔様は、「そうか、それ程お念仏を称えていたのか。それでは今迄称えていたお念仏を此処へもって来い。そのお念仏を調べてやろう。」と言われました。

 お婆さんは長持ち一杯のお念仏を閻魔様の前へ持ってくると、閻魔様が大きな篩(ふるい)の中に長持ち一杯のお念仏を移しました。すると、七十歳になる迄毎日称え続けていたお念仏が皆スポスポと下へ落ちてしまわれた。しかし最後にたった一つだけ残ったお念仏がありました。梁の下敷きになろうという瞬間に一生懸命称えた「南無阿弥陀佛」です。このお念仏が一つだけ残っていました。毎日称え続けていたのは鼻歌みたいなお念仏でしたが、最期命尽きる時に必死で称えた「南無阿弥陀佛」。このお念仏で極楽へ往く事が出来たというお話です。

 この昔話を聞くと、最期必死になって称えたお念仏が阿弥陀様の耳に届いたのだと私達は考えがちです。しかしそうではありません。七十歳になる迄毎日称え続けていたお念仏と、梁の下敷きになろうという最期の瞬間に必死で称えたお念仏の両方で極楽へ往けたとお受け取りください。それは、お念仏の御教えに出遭い、常日頃から南無阿弥陀佛とお称えしていたからこそ、いざという時、まさかの時にお念仏が口から出てきたという事です。我が身にまさかの災難が降りかかった時、普段からお念仏をお称えしていなかったら、なかなか口からお念仏は出てこないものです。たとえ鼻歌交じりのお念仏であっても毎日称え続け、身につけておく事が大事なのです。

  そらみたか 常が大事じゃ 大晦日

 命尽きた時には阿弥陀様にお迎えに来ていただき、西方極楽浄土へ往生させていただく。それまで怠らず日々共々にお念仏を申し続けて過ごして参りましょう。