Monthly Archives: 12月 2021

和尚のひとりごと「伝道掲示板517

20211211

”諸々の欲望の充足によって得られる楽しみがある。
かたや諸々の欲望の対象から離れることによって感ずる苦痛がある。
もしこれが欲望の対象から得られる楽しみであるとすれば
欲望から離れることによる苦痛の方が優っている。

真(まこと)ならざるの道に従って生きて長命を全うすることもあれば
真の教(のり)に従って生命絶たれることもある。
もし真(まこと)ならざるの道に従って生命長らえるならば
真に適った道を歩む上での死の方が優っている。”
『長老偈』ゴーダッタ長老の言葉より

和尚のひとりごとNo790「法然上人御法語後編第二十五」

護念増上縁(ごねんぞうじょうえん)

【原文】

問(と)うて云(いわ)く、摂取(せっしゅ)の益(やく)をこうぶる事は、平生(へいぜい)か臨終(りんじゅう)か、いかん。
答(こた)えて云く、平生の時なり。その故は、往生(おうじょう)の心(こころ)まことにて、我が身(み)を疑(うたが)う事なくて、来迎(らいこう)を待つ人は、これ三心(さんじん)具足(ぐそく)の念仏申(もう)す人なり。この三心具足しぬれば、必ず極楽に生(う)まるという事は、観経(かんぎょう)の説なり。
かかる志(こころざし)ある人を、阿弥陀仏は、八万四千(はちまんしせん)の光明(こうみょう)を放ちて照らし給(たま)うなり。平生の時、照らし始めて最後まで捨(す)て給(たま)わぬなり。故(かるがゆえ)に不捨(ふしゃ)の誓約(せいやく)と申すなり。

念仏往生要義抄より

 

 

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【語句の説明】
護念増上縁(ごねんぞうじょうえん)
極楽浄土へ往生を願う念仏者が、阿弥陀仏の本願力によってこうむる勝れた功徳に五つ数えられる。その第二がこの護念増上縁(現生護念増上縁)であり、念仏者が現生にて(この身この心のままに)、阿弥陀仏の守護という強力な因縁をこうむる事を示している。


【訳文】
問うて言う。
阿弥陀仏の救済の利益をこうむることができるのは、生前の日常においてか、もしくは死を迎える際の瞬間であるか、どちらでしょうか?

答えて言う。
生前の日常のときです。何故ならば、往生を願う心に偽りなく、我が身そのままの往生に疑いを挟まずに、仏の来迎を期待する人は、まさに三つのまことの心を具えて念仏を申す人です。この三心を具足しているならば、必ず極楽世界に往生する事は、『観無量寿経』に説かれる説であります。
このような志を持つ人を、阿弥陀仏は八万四千のみ光をもって照らしてくださるのです。生前の日常のときから、照らし始めて、最後の死を迎えるその時まで見捨てられることはありません。この故に捨て去ることがない誓約であると言われるのです。


彼の阿弥陀仏のご加護は、念仏を申す一切の衆生に及んでいる。そしてそれは平生の今、まさにこの身にてこうむることができるものである。仏の大慈悲を改めて信受いたします。

和尚のひとりごと「伝道掲示板516

20211209

”我は愚者である
そのように知るならば彼は既に賢者である。
愚者でありながら
自らを賢者であると思いなす者
これこそ真の愚者である。”
『ウダーナヴァルガ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板515

20211208

私は見た。
教えを保つ在俗の信者たちが
”全て種々なる欲望は、その対象たるや儚いものに過ぎない”と語るのを。
彼らは未だ諸々の宝珠や耳飾り、そして妻子に対する期待を抱いている。
彼らは物事の理を知らないが故に、貪りや欲望を断ち切る力はなく
たとえ上のように語ろうとも、妻子や財に依存する者たちである。
『長老偈』イシディンナ長老の言葉より

和尚のひとりごと「伝道掲示板514

20211207

同情をしめす愚かな友よりも
賢き敵の方がましだ。
同情をしめす愚者は
私を地獄へと引きずり込むものなのだから。
『ウダーナヴァルガ』より<

和尚のひとりごと「伝道掲示板513

20211206

悪魔波旬(パービマン)が釈迦に言った。
”子を持つ者は我が子について喜び
牛を持つ者は我が牛について喜ぶ。
このように人は自ら所有するものについて喜ぶ。
所有するものがない人には喜びがない。”

師は答えた。
”子を持つ者は我が子について憂い
牛を持つ者は我が牛について憂う。
実に所有という執着のみなもとがない人は
憂うことがない。”
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板512

20211205


”ここに四人の人がいて
東西南北の四方に矢を放ったとする。
そしてその矢が地上に落ちる前に
駆けて行ってその矢を受けることの出来る者は
まことに足の速い者であろう。

しかし比丘らよ
これよりももっともっと速いものがある。
それは人の寿命の移り行く速さである。
だからこそ常に怠らず勤めなさい。”
『相応部経典』譬喩相応より

和尚のひとりごと「伝道掲示板511」

20211204

”いくら他者から称賛されても
彼自身が自己を定められていないならば
他者の称賛は実に虚しいものである。
何故かと言えば、彼自身が未だ自己を定められていないのだから。

また他者よりいくら非難されても
彼自身の心がよく定められているならば
それら他者の非難は実に虚しいものである。
何故かと言えば、彼自身が既によく自己を定め心を安立させているのだから。”
『長老偈』シリマント長老の言葉より

和尚のひとりごと「伝道掲示板510」

20211203

”比丘らよ
ここに賢い牛飼いがいた。
彼は此方(こちら)岸とあちら岸をよく観察して
よい渡し場を見つけてそこで牛たちを渡した。
まず彼は最も強い牛たちを渡し
次に比較的強く、よく馴らされた牛たちを渡し
最後にか弱き子牛たちを渡した。
子牛たちは母牛に励まされて、皆無事に向こう岸に渡ることができた。”
『中部経典』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板509」

20211202

”比丘らよ
ある愚かな牛飼いは
牛の群れを引き連れてガンジス河を渡らんとした。
此方(こちら)岸も、あちら岸もよく見もせずに
ただ闇雲に。
彼は渡し場とは異なる岸辺で牛たちを渡そうと試みたのだが
ついに河の中ほどで牛たちを溺れさせてしまった。”
『中部経典』より