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和尚のひとりごとNo1042「袈裟4」
袈裟を縫い合わせる際には、布切れを改めて壊色に染め直し、小さく割截(かっせつ)した上で縫い合わせました。その結果、表面に現れる縫い目が現われます。この縫い目に区切られた様子を田んぼに喩えて田相(でんそう)と呼び、これを「福田衣(ふくでんね)・田相衣(でんそうえ)」とも称しています。福田とは僧侶が身につける袈裟、ひいては僧侶の修行を支える事により、あたかも田植えを行った如く、必ず良き見返り(福)が実を結ぶと考えるからです。僧侶はそのような期待を受けている事を真摯に捉えて修行に専念するという事になります。
また縫い合わせる際には縦長の布切れを合わせていきますが、この縦長の布片を条(じょう)として、この数(条数)によって安陀会(あんだえ 五条)・鬱多羅僧(うったらそう 七条)・僧伽梨(そうぎゃり 九条から二十五条)の三衣(さんね)に大別されています。そしてこの三衣(三種の衣)が仏教僧が身につけているべき最低限の衣服となり、極端な寒冷や病に犯された際を除き、原則としてはこの三衣以外に何かを身につける事は許されていません。
因みに明治から昭和にかけて在世された傑僧の澤木興道氏は本来の袈裟である如法衣を宣揚し、自らもそれを身につけてました。澤木氏が研究されたのは江戸時代後期に戒律を重視する「正法律」を提唱した慈雲尊者であったと伝えられます。
和尚のひとりごとNo1036「袈裟3」
袈裟の材質は如何でしょか?まず麻や木綿が本義とされています。
しかしながら想像してみれば、そもそも不要として捨てられた布ですから高級な織物というのは考えづらいでしょう。
また絹を使用してはならない、というお話を耳にしたことがありますでしょうか?
そもそも人々が不要として捨てた布や、信者が寄進したものであれば、材質は問わないというのが本来の立場でした。
しかしながら仏教が中国に入り、慈悲を強調する大乗仏教の立場より、律の大家であった道宣(南山律師)は不可としました。
何故ならば絹を生産する為には数多くの蚕を殺ねばならぬからと言ったのです。
この影響は我が国にも及んで、江戸時代に起った戒律復興運動において絹を使用しない袈裟を身につけることで戒律に厳格であることを示そうする僧侶も出現しました。
ところで中国の唐の時代にインドや東南アジアで見聞を深めた義浄三蔵は、絹の袈裟も特段問題ではないとしています。