和尚のひとりごとNo126「五存七欠」
お経はインドの言葉であるサンスクリット語から中国語に翻訳されていることは、和尚のひとりごとNo123で紹介いたしましたが、今回は浄土宗の経典である「浄土三部経」の翻訳にまつわるお話です。
「無量寿経」と「阿弥陀経」のサンスクリット語の経典名は同じで「スカーヴァティー・ヴィユーハ」といい、「極楽の荘厳」「極楽の美しい様子」という意味があります。確かに「無量寿経」と「阿弥陀経」には極楽がどんなところかが書かれています。「極楽経」や「極楽の荘厳経」などとはせずに、それぞれの経典の題名に阿弥陀様のお名前と別名(無量寿佛)が付けられたのは、翻訳された方の智恵の結晶でしょう。
翻訳の歴史ミステリーとまでは、いきませんがちょっとした謎があります。それは、「無量寿経」の「五存七欠」(ごぞんしちけつ)と呼ばれるものです。
「無量寿経」は12回翻訳されたとありますが実存しているのは5部で残りの7部が現存していないことです。
現存しない7部は、経典名や誰が翻訳したという記録なども残っているようですが、不思議なことです。
このような経典の翻訳には、「○存×欠」という翻訳された記録はあるけれど現物がないということが多数あります。「阿弥陀経」も3回訳されているけれども2部はあり1部がない「二存一欠」があります。
現在では、この「無量寿経」の7部に関して、実は翻訳されていなかったのではないかという説が有力なようでが、真相は如何に?