伝道掲示板

和尚のひとりごと「伝道掲示板262」

香水偈

出典は『四分律刪繁補闕行事鈔』
『四分律行事鈔』と同じく唐の道宣の手に成る。
法蔵部が伝承した律典である『四分律』に基づき僧衆の生活規範を示したもの。

あたかも西方浄土にあるという八つの功徳のある水が、衆生の塵・垢を洗い浄めるように
自らの掌の垢を香水によって洗い落とし、また心も染まらぬようにし
禁戒をよく保ち、犯すことなく、全ての衆生もまたかくの如くでありますように..

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板261」

露地偈

魔力怨を降伏し、結(煩悩)を除き尽くして余り無し
露地に犍稚(参集の合図)を打たん
菩薩聞いて集まるべし
諸々の聞法人が生死海を流れ渡らんとねがわば
此の妙なる響音を聞き、ことごとく此処に雲集すべし

我が宗の法式(僧侶の威儀作法)は道宣(南山律師)の著した『四分律行事鈔』に依るところが大きい。この偈文は道場に入る前に唱える偈文で、出典とされる『増一阿含経』によれば合図の音を聞いて集まるのは「比丘」である。
五重相伝の要偈道場や正授戒の際に、喚鐘を打った後、これを唱えるとされている。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板260」

帰僧息諍論の文_001

法要が終わったのちにこの偈文を唱えて袈裟を外す。
「三帰礼」に含まれ、出典は善導大師の『往生礼讃』より。
「僧」とは僧伽(サンガ)つまり和合僧を意味する。
争い・論争を止めて和合僧の集いに帰依し、和合して一味となっている大海のような集いに入り、諸々の衆生と共に、無量寿国に往生する事を願おう..

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板259」

散華荘厳文

『四分律行事鈔』より

散華によって道場を荘厳し供養する際に唱える。

華を散らして浄らかなる光明を荘厳し
荘厳宝華をもって帳となし
もろもろの宝華を遍く十方に散らして
一切の諸々の如来を供養せん..

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板258」

奉請四天王文

善導大師『法事讃』より。

四方を浄める為に洒水(しゃすい)作法を行う際に唱える。
道場を洒水で浄め、結界し、四隅に四天王を安置して、仏敵たる諸悪を退散させる。

四天王を請い奉る。直ちにこの道場中に入らんことを。
師子王を請い奉る。師子にまた逢うは難し。
身毛衣を奮迅せば、衆魔は退散し去るべし。
頭廻して法師を廻わば、ただちに涅槃城を取すべし..

獅子の王者に喩えられるのは仏、四天王と仏を招き諸々の悪魔を斥け、いよいよ道場の荘厳が極まる。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板257」

取骨偈

(書き下し文)
仏この夜滅度し給うこと、薪尽きて火の滅するがごとし
諸々の舎利を分布して、しこうして無量塔を起つ

亡者を荼毘に付したのちその遺骨を拾う際に唱える。または「降魔偈」がそれに代わる。
出典『法華経』では釈尊滅後にその骨を分骨して、その仏舎利を祀る数多くの仏塔が建てられたと記す。『大般涅槃経』によれば、釈尊の遺骨は八つに分配されて八大仏塔が建立されたとする。生前の偉大な教師に再び相見える事を願い、多くの仏教徒がそこを訪れた。
私たちはそれに倣い、遺骨を祀り、亡きあとに偲ぶ大切なよすがとする。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板256」

出棺偈

如来本誓(にょらいほんぜい) 一毫無謬(いちごうむびゅう)

願仏決定(がんぶつけつじょう) 引接精霊(いんじょうしょうれい)

源信僧都『往生要集』中の臨終行儀では、「我を引摂し給え」としていると言う。
迎接式(こうしょうしき 出棺式)に際に唱える。

(意味)
弥陀が誓われた誓願に一切の誤りはない
どうか必ず亡者を浄土へ迎えて頂きますように

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板255」

納棺偈

阿弥陀如来おわします安養極楽世界に救い取って頂き
菩提正覚(正しく完全な悟り)が自らのものとなるように

新亡納棺の際の偈文。
納棺が済んだら一唱一下の念仏を止め、この偈文を三唱後、十念を唱える。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板254」


三帰三竟_page001

三帰三竟_page002

『授菩薩戒儀』より。
帰敬式、得度式、剃度式など様々な場面で唱えられ、枕経では新亡に授与する形をとる。

「三帰」とは三宝への帰依の表明。「三竟」はその帰依が終わったことを表わす。
古来より仏・法・僧の三つの宝への帰依は仏教徒となる事の表明であり、ことある毎に唱えられてきた。ここで”尽未来際”は未来永劫にわたってのものである事を示す。古来、正式な仏教信者となるには、この三帰依を三度唱えることで事足りたと言われている。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板253」

剃髪偈

『華厳経』より。

(意味)
髪と髭を剃り落したならば
衆生は皆、煩悩を除き、寂滅の境地に達する
かくの如く願え

剃度作法の中で、報恩偈のあと、いよいよ髪を剃る際に唱える。
髪や髭を俗人の煩悩に喩え、それを除くことに俗世間を離れてゆく姿を象徴させる。
剃髪は、釈尊が他の修行者との区別化を図る目的で仏教沙門(釈子)は髪を剃るべしと定められて以来の伝統である。

 

合掌