伝道掲示板

和尚のひとりごと「伝道掲示板252」

報恩偈

『四分律行事鈔』より。
出家作法において唱える偈文。入道出家とは父母との恩愛の絆を断って、仏弟子として新たな道を歩むことを意味する。
得度式や枕経における剃度作法(御髪剃 おかみそり)の際に唱える。

(意味)
三界を流転する身では、父母の恩・愛の絆を断つことは出来ないが
今改めて出家の身となって恩・愛を断つことこそが、真の意味でその恩に報いることになる

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板251」

請護念偈

『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』より
在家の王妃シュリーマーラー(勝鬘夫人)は眼前の釈尊を讃え称える。

(意味)
我を憐み護り、仏法が芽吹く種子を増大させ
現世のみならずこの身朽ち果てたのちの生においても
どうか願いを受け入れて下さいますように..

『往生礼讃』では、六時に配される礼讃の最後に必ず唱える偈文。

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板250」

普済偈

(書き下し文)
神力大光を演べ あまねく無際の土を照らし
三垢のやみを消除して 広く諸々の厄難をすくう

(意味)
仏はその尋常ならざる力によりて大いなる光明を放ち
限りない世界を万遍なく照らす
そしてそれにより衆生の貪・瞋・癡の三毒の暗闇を除き
諸々の厄難から救い給う

『無量寿経』より。
神仏のご加護に頼み、災いを取り除かんと祈念する際の回向文。

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板249」

法楽偈「伝道掲示板249」

如来の清浄なる慈悲行は数知れず
それら一つ一つは皆ともに仏のただ一つの特徴として現れる
この故に見る者を飽きさせることはない。
神々に対して仏力によって解脱門が開かれる。

鎮守法楽の意味を込めて、神々を供養する回向文。
西域ホータン出身の実叉難陀(シクシャーナンダ)が則合掌天武后に招かれて訳した『八十華厳』が出典。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板248」

一切精霊偈

(意味)
先だった全ての霊が極楽に往生し
かの地の最上の蓮の華の台にて覚りを得て
さらに悟りの行と誓願とについて決して後戻りする事なく
全ての有情を導いて下さるように

今は亡きすべての精霊(先亡)の往生を念じる回向文。
一般的には、多くの精霊を回向する場合に用いている。
出典については、上二句が『大毘盧遮那経』(『大日経』)、下二句が『大般若経』「理趣分」とされているが細は不明とのこと。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板247」

聞名得益偈

(書き下し文)
その仏の本願の力、名を聞きて往生せんと欲すれば
皆悉くかの国に到って、自おのずから不退転に致る

(意味)
彼の仏の本願の力によりて
その名号を聞き、往生するぞと願うならば
皆必ず彼の国に到り、自ずと不退転の位の菩薩となる

在家者の追善のための回向文として、日常的に唱えられる偈文。
出典は『無量寿経』の「東方偈」より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板246」

降魔偈

(書き下し文)
門々不同にして八万四なるは、無明と果と業因とを減ぜんがためなり
利剣はすなはちこれ弥陀の号なり、一声称念すれば罪みな除こる

(意味)
法門が各々異なり実に八万四千にもおよぶのは
衆生の無明(おろかさ)と業の結果とその原因とを除き滅せんが為である
切れ味鋭い剣とは、これ阿弥陀如来の名号に他ならない
ひとたび称すれば、罪障すべて除かれるからである

新亡の霊に対する回向文(精霊回向文)、また「利剣名号の文」とも呼び百万遍念仏を修する際に摂益文の代わりにこの偈を称える。
枕経・通夜・迎接式・荼毘式・収骨式など、在家の葬儀式の際の回向文として用いられている。
善導大師『般舟讃』より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板245」

還相回向偈

(書き下し文)
誓ひて弥陀の安養界に到り、穢国に還来して人天を度せん
願はくはわが慈悲際限なくして、長時長劫に慈恩を報ぜん

(意味)
私たちは阿弥陀如来のおわします極楽世界に到って、
さらにのちにはこの娑婆世界に戻り還って苦悩に沈む人々を覚りの彼岸にまで渡すことを誓います
私の慈悲の心が果てしなく、未来永劫にわたり仏の慈悲心へのご恩に酬いられることを願います

能化(僧侶)の回向の際に唱える。
遷化した能化が、往生ののち、苦しむ衆生を救わんと再び此土に帰り来たることを念じる。
一切衆生の済度を志す菩薩のあるべき姿を表現する。
善導大師『法事讃』より。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板244」

心浄偈

(書き下し文)
世界に処すること虚空の如く、蓮華の水に著せざるが如し
心の清浄なること彼に超えたり。稽首して無上尊を礼したてまつる

(意味)
釈尊はまるで果てなき虚空のようにこの世界におわし
蓮華のはなが泥水に触れずに咲くように浄らかである
その御心が清浄なること、この蓮華を遥かに凌駕している
こうべを深く垂れて、この上なき尊き人に礼拝致します

現在は僧侶に対する回向文(能化回向文)として用いられるが、元来は釈尊に対する回向文(釈迦回向文)であった。
他宗では食作法の際や授戒の際に唱えられるという。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板243」

自信偈

(書き下し文)
みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難(かた)きがなかに転(うた)たまた難し
大悲を伝えてあまねく化するは、まことに仏恩(ぶっとん)を報ずるに成る

(意味)
自ら信じ、かつ他をして信じさせること
これは困難ある中にもまた輪をかけて難しいことである
仏の大いなる慈悲の心を、あまねく全ての人々に伝えることは
誠に仏の大恩に報いることに他ならない

また念仏者の心構えを端的に示した文。
列祖の回向に唱える偈文として用いられることから、御忌会など列祖の法要、また説教・法話・講演会など教えを伝える場面において、最初に「開経偈」を唱え、終わりにこの偈文を称える慣わしである。
善導大師『往生礼讃』初夜礼讃偈より。

合掌