伝道掲示板

和尚のひとりごと「伝道掲示板124」

kokowo

その時、世尊、韋提希に告げたまう
阿弥陀佛 ここを去ること遠からざるを
まさに念を繋けて
かの国を諦観すべし  (『観無量寿経』)

十万億仏土の彼方にあると説かれる西方浄土は
時にこのように示される

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和尚のひとりごと「伝道掲示板124」

 shoushiki

しょうしきしょうこう おうしきおうこう
しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう

“池の中に蓮華あり、大さ車輪の如し
青き色には青き光あり、
黄なる色には黄なる光あり、
赤き色には赤き光あり、
白き色には白き光ありて、微妙香潔なり”

極楽に咲き誇る種々の蓮の華は
まさに各々の色そのままに輝きを放っている。

四奉請と三奉請

イラストは”ブッダの樹”さまのページより

和尚のひとりごと「伝道掲示板123」

 jinshin

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“深信因果を以て往生の業と為すべし”
念仏による仏国土への往生への確信は
深く因果の道理を信ずることに基づく。

和尚のひとりごと「伝道掲示板121」

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不東
玄奘三蔵のことば

西遊記のモデルとも言われた玄奘三蔵が天竺へ旅立ったのは7世紀のこと
『大唐大慈恩寺三藏法師傳』にはこのようにある。
「貧道爲求大法 發趣西方 若不至婆羅門國 終不東歸 縱死中途 非所悔也」

“拙僧は大いなる仏法を求めんが為に西方天竺を志そうとしているのである。
もしバラモン国に至らないならば、ついに東に帰ってくるつもりはない。
たとえ途上で命終わることがあろうとも悔いはない”

国禁を犯して出国し、インド各地を巡り、
足掛け17年に及んだ旅から帰朝した玄奘を迎えたのは国を挙げての喝采であった。
原典に即しての理解、仏典の本当の意味を知りたいという求道心が成し遂げた快挙であった。

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当時高昌国があった吐魯番(トルファン)
現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区に立つ玄奘の像

和尚のひとりごと「伝道掲示板120」

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数多くの子供をさらって食らった鬼子母神を諭した釈尊の言葉
他者の身に成りかわって、他者の立場にたって考えること
その想像力が慈悲のこころの芽生えとなる

鬼子母神はハーリーティー(訶梨帝母、かりていも)がその元来の名である

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訶梨帝母像(醍醐寺)

和尚のひとりごと「伝道掲示板119

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人の世に存在するあらそい、いさかいは須らく個々の者たちの煩悩に依っている

釈尊はこのように述べた
世間は燃えている
貪りと怒りと愚かさによって..

自分本位なる考えを捨てたとき仏の教えへの道が開かれる

Golden Buddha.

和尚のひとりごと「伝道掲示板118

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三蔵流支(さんぞうるし)、浄教(じょうきょう)を授さずけしかば、
仙経(せんぎょう)を焚焼(ぼんしょう)して楽邦(らくほう)に帰きしたまいき。

天竺より来た菩提流支三蔵との出会いにより浄土の教えに目覚め
不老長寿を理想とする『仙経』をすべて焼き捨ててしまったと伝えられる曇鸞法師

菩提流支三蔵いわく
「たとえ長生きしてもしばらくの間、死なないだけ..結局は三界に輪廻するのみ」

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曇鸞大師ゆかりの玄中寺
(中国山西省)

和尚のひとりごと「伝道掲示板117

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華厳経等に、一念瞋恚の火、無量劫に功徳法財を焼亡すと説り。
世の惑ふかき者は、一朝のいかりにその身をわすれて、其親に及すあり。
慈雲尊者飲光『人となる道』「第九不瞋恚」

たった一度のそのときの怒りや苛立ちは過去と未来を含めたすべての善根を滅ぼす
見た目に同じ行為でも菩薩の慈悲心に基づくものか
自分本位の欲望に基づくものか
私たち凡夫にとっては紙一重なのかも知れない。

kokijis2015.09.06 (11)

高貴寺の地蔵尊
(画像は高貴寺に石上露子を訪ねるのブログから引用させて頂きました)

和尚のひとりごと「伝道掲示板116

kokoyori

仏、舎利弗に告げたまわく
これより西方十万億の仏土を過ぎて
世界あり
名づけて極楽という
( 鳩摩羅什訳『仏説阿弥陀経』 )

『無量寿経』にいわく
ここを去ること十万億刹なり。その仏の世界をば名づけて安楽といふ

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遥か西方に確かにあると仏により示された仏国土
未だ至ったことはないが、焦がれる想いを抑えることはできない..

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板115

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観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄
観自在菩薩が深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみた)を行ぜしとき
五蘊(ごうん)は皆空(かいくう)なりと照見(しょうけん)して
一切の苦厄(くやく)を度し給えり

“空”を説く一連の般若経典群
そのエッセンスと名付けられたのが『般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩はその自在なる観察力によって現象の本質が空(からっぽ)であることを見通した
そしてそのことにより一切の苦悩が滅したという

その境地をこのように言い表す
色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)

物質的現象には実体が無いのであり、実体が無いからこそ物質的現象で(あり得る)のである。(中村元師訳)

観自在菩薩は別名”観世音”とも呼ぶ

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滋賀・園城寺観音堂に安置される如意輪観音像