浄土宗月訓カレンダー
和尚のひとりごとNo152「新たな出会い よき縁に」
人生は縁であり、縁に始まり縁によって終わると言います。「袖触り合うも多生(たしょう)の縁」という諺(ことわざ)があります。「多生」とは仏教語で、生まれ変わり死に変わり、何度も何度も生まれ変わり死に変わりしてという意味で、前世からの縁という事です。前の世からの縁として「宿縁(しゅくえん)」という言葉もあります。宿とは以前からのという意味です。ですから「宿縁」とは前の世からの御縁です。サッと袖が触れ合っただけというのも前の世からの縁による。また一樹の陰に宿るも、一河の水、河の水を汲ませて戴くのも御縁です。夏の暑い日に一本の樹の下の陰で休ませていただくのも、或いは又、河の水を掬い取って飲ませていただくのも御縁です。
四月は入学式や入社式などがあり、新たな出会いや御縁に巡り合う人も多い季節です。自分で選択した道であっても自分の都合の良い事ばかりではありません。気に入らない事や辛い事もあり、辛抱して色々な試練に打ち勝って世間の荒波を乗り越えていかねばならないのがこの世です。お釈迦様はこの人間世界を忍土(にんど)と示されました。辛い事や苦しい事に巡り合っても耐え忍んでいかなければならない世界であると説かれたのです。しかし忍土である人間世界であっても人間として生まれた事は宿縁による有り難いものであるとお釈迦様は説かれます。お釈迦様はある時に、大地の砂を掴んで「この手の中の砂の数と大地の砂の数とではどちらが多いか」と弟子に尋ねられました。「はるかに手の中の砂の方が少ないです」と弟子が答えると「その通りである。この数え尽くす事の出来ない大地の砂というのは、この世に命恵まれたものの数。その中で尊くも今、人間として生まれる事の出来た者は僅かこの一握りの砂の数である」そして今度は、この手の中の砂をもう片方の親指の爪の上にパラパラとかけていかれました。その殆どは大地へ落ちてしまいましたが極僅かだけ爪の上に残りました。「せっかく人間としての命をいただいても、無駄に過ごしてしまう者もいる。しかし正しい信仰に出遇い、その道を歩む事の出来た者はこの僅かに残った爪の上の砂の数である」とおっしゃられました。正しい信仰の道とは浄土宗では南無阿弥陀佛のお念仏です。辛く苦しみがある忍土であっても阿弥陀様やご先祖様が見守ってくださっている。その様にお受け取りいただき、お念仏の御縁に今、出遇わせていただいた事を共々に喜ばせていただき、日々お念仏を申して過ごして参りましょう。
和尚のひとりごとNo149「寒さ越え 山笑うころ 春彼岸」
春山の草木が一斉に芽吹き出し、山全体が明るく感じられる様になり始めました。春になるとどことなく山が笑っている。そんな様子を感じると気分も明るくなり、心が浮き立つ心持ちになります。木々が芽吹いてくると、虫や動物たちもゾロゾロと動き出し始めます。野山が益々賑やかになり、あちらこちらから鳥たちの鳴き声も聞こえて参ります。
山鳥のホロホロと鳴く声聞けば 父かとぞ思う 母かとぞ思う(行基菩薩)
山鳥がホロホロと鳴く声を聞いた時、もしかするとその山鳥の声は遠く離れている父が呼ぶ声か、或いは母が呼ぶ声か。その様に遠く離れた人に想いを寄せていただくと、何とも言えない懐かしい気持ちになるものです。この歌を詠まれたとされている行基菩薩は奈良時代に活躍された僧侶で、近畿地方を中心に貧民救済や治水、架橋など社会事業、社会福祉事業を熱心に行いました。今でも行基菩薩が造ったとされる溜め池や橋、お堀などが各地に遺っており、今日でもその場所に住む人々の生活には必要不可欠なものとなっております。
大阪市東住吉区に「行基大橋」という行基菩薩が造ったとされる橋があります。大和川を渡る国道26号線上の四車線ある立派な橋です。しかし行基菩薩が架けたという史実はなく、そもそも現在の道が出来たのは江戸時代中期以降で行基菩薩の居られた時代には道すら無かったとされております。昭和になってから最寄りのバス停は「矢田行基大橋」と名付けられ、近くの郵便局は「東住吉行基橋局」と、近年になってから行基菩薩を偲ぶ地名が付けられているそうです。地元には「行基菩薩安住之地」という石碑があり、また古くは「行基池」という溜め池があった為、近辺に行基菩薩の地名をこぞって付けたと言われています。何はともあれ、行基菩薩の弟子や孫弟子の働きが行基菩薩の功績に転じたのでしょう。橋が無ければ向こう岸へは渡れない。何とかして向こう岸に渡りたい。その地域に住む人々の願いを適えるべく立派な橋を架けられた。そこには菩薩と尊称されるお方の慈悲の心があり、何の見返りも利権も求めない、ひたむきに尽力された姿が伺われます。
今住む世界を「此岸(しがん)」と言い、仏様の在します世界を「彼岸(ひがん)」と頂戴します。亡き人の居られる彼岸に往くには、その国土を創られた阿弥陀様の名前を呼ぶだけです。南無阿弥陀佛とお念仏を申し、阿弥陀様の御力、他力によって向こう岸へ渡らせていただけるのであります。この世で縁あった方とまた会える、今は向こう岸から見てくださっている。その想いを春に鳴く山鳥に馳せ、日々共々にお念仏申して過ごして参りましょう。
和尚のひとりごとNo146「水に源あり 樹に根あり」
アメリカの某州立大学で生物学者が面白い実験をしました。砂を入れた小さな四角い箱の中で、水を与えながら一粒のライ麦を育てます。四ヶ月後に砂をふるい落とし、ライ麦の根がどれ位張り巡らされているかを計測しました。その結果、根毛や顕微鏡でしか見えない根の最細部をも含めると、何と一万一千二百キロメートルの長さになっていたというのです。風にそよぐ一本のライ麦がその貧弱な体を支える為に、やがて実を結ぶ為に一万キロメートル以上もの根を隅々に張り巡らせて、必死で水分や養分を吸い上げていたのです。ではこのライ麦に比べて数十年も生きていく、我々人間の命を支えているものは一体何なのでしょうか。私達人間が生きていく為には、食べ物は勿論、空気や水、太陽の光など肉体を支える為のものが必要です。また人間は精神を持った存在ですから、希望、信念、勇気や愛情といった心を支えるものも必要です。そしてまた、長い人生の中で無常観や無力さを知った時には、しっかりとした宗教というものも必要になります。
肉体は父母から戴いた身体であります。中国浄土教の祖であります善導大師が書かれた『観無量寿経疏』序文義に「すでに身を受けんと欲するに、自らの業識(ごっしき)を持って内因(ないいん)となし、父母の精血(しょうけつ)をもって外縁(げえん)となして因縁和合(いんねんわごう)するが故にこの身あり」と説かれています。業識とは母体に宿る人間の主体となるもので、業(行為)によって生じる識(物事を識別する事の出来る心の働き)です。つまり父と母の肉体的な縁があって、その和合によって前の世からの自らの業(行為)による個別の意識が内に宿ると説かれるのです。この業識が次の世に生まれ変わっていくとされております。兎にも角にも父母の肉体がなければ今の自分は存在しない事になります。ですから先の善導大師の書物には「この義をもっての故に父母の恩重し」と説かれます。更に父母にも又その父母が居られます。遡れば多くのご先祖様がしっかりと生きてくださったからこそ今の自分が居る事になるのです。
今日の幸せ先祖のおかげ 尊い命大切に
咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ
肉体はいずれ無くなります。今この世における人間の寿命というものは限られているからです。しかし命尽きたらそれで全て終わりではなく、南無阿弥陀佛とお念仏をお称えしたならば、命尽きた後、阿弥陀様にお迎えに来ていただいて必ず西方極楽浄土に往生させていただけるというのがお念仏の御教えです。お念仏を申すという行為が蓄積され、それが業識となり次の世、西方極楽浄土に参らせていただくのです。冬になると枯れてしまう植物ですが、実は大地に根を下ろし、コツコツと何万メートルという細い根を張り巡らせて実を付ける為の準備をしています。私達も命尽きた後には、お浄土に往生させていただくというその実を結ぶ為に、植物がしっかりとした根を張り巡らせているが如く、日々共々に南無阿弥陀佛のお念仏の功徳(くどく)を積ませていただきましょう。
和尚のひとりごとNo144「お念佛からはじまる幸せ」
昔の方が「幸せ」の三要素として、「幸せ」に成る為の三つの事柄を挙げておられます。それは「身」「命」「財」の三つです。「身」とは「健康」で、「命」は「長生き」、そして「財」は「お金」です。
幸せはいつも三月花の頃 お前十九でわしゃ二十歳
死なぬ子三人親孝行 使うて減らぬ金百両 死んでも命が有るように
「身」「命」「財」は誰もが願う事ではありますが、全てとなるとなかなか叶わぬ事であります。それでも今の日本はどうでしょうか。有難い事に世界一の長寿国です。住む家も一日中春の陽気な室温に保つ事も出来ます。皮肉な事に寝たきりになったとしても命を延ばす高度な医療技術も御座います。贅沢さえ言わなければ何不自由なく暮らせる国にまで栄えました。しかし人間の欲望は尽きぬものであります。お釈迦様は「人間の欲望というものは、たとえヒマラヤの山を黄金に変えたとしても満たされる事はない」と仰られました。ヒマラヤはインドの北部、チベットに有る世界一高い山です。その世界一高い山を全て黄金に変えたとしても一人の人間の欲望をも満足させる事は出来ないものであると示されました。お金、財産があるが故に身を持ち崩し夫婦別れをする人も居れば、お金が無くても夫婦仲良く幸せに暮らしている人も居ます。人の生き方はお金の多少、有る無しで決まるものではありません。その事は「身」と「命」にも言える事でもあります。結局は持つ人の心次第、受け取って行く側の器一つで毒にも薬にもなるのです。
持つ人の心によりて宝とも 仇(あだ)ともなるは黄金(こがね)なりけり
この御歌は昭憲皇太后、明治天皇の皇后がお詠みになられた御歌です。人生は、目に見える「物」の世界と、目に見えない「心」の世界が一つになって成り立っています。目に見える物資的なものが「物」の世界で、信仰や精神的な支えとなるものが目に見えない「心」の世界です。しかし今の世の中はお金が物言う世界と言われる程、金と物の世の中で人間の「心」が全く失われた社会と言われます。「物」で栄えて「心」で滅びる時代であります。「物」と「心」が程よく調和されてこそ始めて世の中は暮らしよくなるものです。
お念佛を毎日称えたとしてもお金持ちになったり、健康や長生きが保証されるものではありません。しかしお念佛を申して仏様に思いを寄せ、ご先祖様のお陰で今の生活があるのだと思い定めていただければと思います。共々にお念佛の日暮らしをさせていただいて豊かな心を育ませていただき、今年一年幸せ、今日一日幸せと思える日々を過ごして参りましょう。
和尚のひとりごとNo142「南無阿弥陀佛 いまを生きる」
南無阿弥陀佛のお念仏は最期臨終の夕べ、阿弥陀様に迎えに来ていただいて西方極楽浄土に往き生まれさせていただくという教えです。ですから死後の事を説く、今を生きる人々には無用の教義だと古くから揶揄する方もおられたそうです。しかし「後生の一大事」と後の世の事をキチッと思い定めてこそ、今を生き切れるのであります。
『無量寿経』の一節には「老病死を見て世の非常を悟る。国と財と位を棄てて山に入りて道を学す」と説かれております。これはお釈迦様の伝記に習った修行者のあり方です。先ずは老・病・死の有り様を見てこの世の無常をさとり、国や財宝や王位を捨てて、悟りへの道を学ぶ為に山に入り修行していくのです。私たちも先ず老・病・死の有り様を見て我が事であるとしっかり受け止めてこそ、今の生活が充実出来るのであります。しかしどうでしょうか?「老を嫌い、病を恐れ、死を隠す」姿が現実の我々の日常ではないでしょうか?
江戸時代に谷風(たにかぜ)という関取が居られました。ある日の事、道中で小さな小僧に出会い、「関取、一番取りましょう」と言ってきた。「何じゃ小僧!ワシを谷風と知っての事か?」と言うと「知っていればこそ、一番取り組もうと言ったのだ」と言い返された。「おのれ生意気な小僧め!サァどこからでもかかってこい」と大声で谷風関が怒鳴りながら取り組んだところ、この小僧なかなかの腕っ節の強さであります。谷風は満身の力を出しましたが遂に草むらの中に投げられてしまいました。驚いた谷風、「小僧しばらく待った!この谷風は天下無敵と言われたものじゃが、お主はワシよりも強い。一体お前は何者じゃ?」すると小僧は、「私はあなたよりも強いですよ。あなたは“谷風”、私は“無常の風”ですもの」と言われたそうです。これは一つの笑い話ですが、仏法の真理、普遍的な教えが説かれた笑話であります。“無常の風”にかかってはどんな関取、英雄豪傑、力持ちでも敵いません。しかし無常の世の中、その無常を我が事であるとしっかり受け止め、そしてこの世を生ききった先にはお浄土が有ると思い定めれば、死生(ししょう)ともに煩いはないのであります。
またお念仏は、お浄土で縁あるお方と再会出来るという御教えでもあります。更にお浄土に往けば引接縁(いんじょうえん)と言ってこの世に残してきた縁ある人を同じ西方極楽浄土へと導く事が出来ます。法然上人は「先に生まれて、後を導かん、引接縁はこれ極楽の楽しみなり」とお言葉を遺されております。つまりお浄土に往ったならば「引接縁」こそが一番の楽しみであると仰られたのです。亡き人とまた再会出来るという事、或いは自分が先に命尽きても残してきた人とまた会えるという楽しみがある事は、死という苦しみから解放される最上の教えであります。無常の世の中でありますが、その先には無常ではない常住のお浄土の世界がある。亡き人ともまた会えるという事を共々に生きがいにしていただき、今をしっかり生き切りましょう。
和尚のひとりごとNo140「ぬくもりに やすらぐ」
江戸時代後期に活躍された浄土宗の僧侶に徳本上人(とくほんしょうにん)というお方が居られます。徳本上人は紀伊の国、現在の和歌山県日高町の農家に生まれました。四歳の時、一緒に遊んでいた友達が亡くなり、「友達はどこへ行ったの?また会えるの?」と母親に尋ねました。すると母親は「死んだ人にはもう会えないのよ」と答えてしまいました。しかし泣き叫ぶ我が子を見るに偲びず、「今の別れを嘆くよりは、阿弥陀様を頼り、南無阿弥陀佛のお念仏を唱えれば極楽浄土でまた会う事が出来ますよ」という浄土の御教えを教え諭しました。四歳の子には難しい教えかと思われたのとは裏腹に、この教えが我が幼子の心の奥底に深く刻み込まれ、いつとなく南無阿弥陀佛のお念仏を唱えて過ごす様になったと言われています。
二十七歳の時に得度式、僧侶になる為の儀式を受け、「徳本」の名を頂いて出家致しました。日々の食事は豆の粉一合、或いは少量のそば粉のみと、生涯を通じて粗食であったと言われています。明け方二時、三時に起きると、立って座っての礼拝(らいはい)を行い、日中はお念仏を唱えながら山中を歩き回られ、睡眠時間は二、三時間程度で亡くなるまで横になって寝る事はなかったと伝えられております。想像を絶する荒修行をし、心を戒め、身を律して、南無阿弥陀佛とお念仏を唱えて日本全国を行脚し、庶民の苦難を救った逸話が各地に残されております。
ありがたや 天は笠なり 地は足駄 たといこけるも 六字の上に
これは徳本上人の詠まれた御歌です。「笠(かさ)」は、雨や雪、直射日光を防ぐ為に頭に被る道具です。「足駄(あしだ)」とは通常の下駄よりも歯がやや高い高下駄で、専ら雨天時の履物として使用されたそうです。そう考えるとこの御歌は、雨の日に詠まれたものでしょうか。雨が降っているのにもかかわらず、降る雨をしのぐ笠も持たず、また雨宿りをする場所も求めず、徳本上人はただ一人、雨の中を念仏申して歩んでおられたのでしょう。雨でぬかるんだ道中、滑って転ぶ事もあります。転べば大怪我をする事もあるでしょう。しかしこけたとしても、阿弥陀様に守られている。たとえ道中で命尽きたとしても、阿弥陀様に迎えとっていただける。その思いを、「たといこけるも六字の上に」と表現されております。「六字」とは南無阿弥陀佛の六文字の御名号の事です。雨が降ってくる「天」そのものを「笠」、ぬかるみの「大地」を「足駄」と捉え、阿弥陀様の御慈悲の大きさを表しておられると同時に、いつでも阿弥陀様に包まれ見護られて、生かされている思いが感じられます。
徳本上人の様な荒行には足元にも及びませんが、私達も共々にお念仏を申し、大いなる阿弥陀様の御慈悲に見護られているそのぬくもりを感じ、安らぐ日々を送らせていただきましょう。
和尚のひとりごとNo138「曇り夜も月は輝いている」
月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ
この和歌は法然上人の詠まれた「月かげ」の御詠歌です。月の光は全てのものを照らし、村里に住む人々に隈無く降り注いでいるけれども、月を眺める人にだけその月の美しさは分かるものです。阿弥陀様の御慈悲の御心は、全ての人々に平等に注がれているけれども、手を合わせて「南無阿弥陀佛」とお念仏を称える人のみが阿弥陀様の御救いを蒙る事が出来るのですという意味であります。
「月かげ」は『観無量寿経』の一節、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の御心をお示しくださった御歌です。仏様の御光(光明)は、遍く十方の世界をお照らしくださり、念仏を称える衆生(私たち)を救い取って捨て去る事がないというのが、そのお経の意味であり、その譬えが「月かげ」の御詠歌になります。月は雲に隠れてしまう時もありますが、曇り夜であっても月は輝いています。阿弥陀様もたとえ眼前に見えなくとも、いつでも念仏申す者を見護ってくださっているのです。
昔、京の都、徳大寺に唯蓮房という僧侶が住んで居られました。唯蓮房はお経に説かれる阿弥陀様のお救い、「摂取」について「一体どの様なお救いであろうか」と疑問に思われました。そこで雲居寺(うんごじ)というお寺に参籠され、「摂取の意味を教えていただきたい」と御本尊の阿弥陀様の御前に於いて七日間の不断念仏を修めていかれました。日中夜、休むことなく「南無阿弥陀佛」とお念仏を申していく修行が不断念仏です。すると七日目の満願の夜の夢の中に阿弥陀様が現れなさって、唯蓮房の手をしっかりと握りしめ、「唯蓮房、唯蓮房、摂取是なり」と示されました。その後、唯蓮房は高野の念仏聖と言われていた明遍僧都を訪ねられ、夢の虚実を尋ねたところ、明遍僧都は涙を浮かべ「私にも同じ様な事が御座いました。実夢、正夢でありましょう」と共に手を取り喜ばれたそうです。(『選択集弘決疑鈔』良忠上人著)
阿弥陀様は、御慈悲の御光をいつでも、どこでも、どこまでもお照らしくださっており、常に私たちを見護ってくださっています。そして南無阿弥陀佛とお念仏をお称えしたならば、どの様な生き方をした人間であろうとも最期臨終の夕べには念仏申す者の手をしっかりと握りしめ、西方極楽浄土に救い取ってくださるのであります。
あみだぶと よべば答えて 御佛は 枕の上に あらわれにけり(福田行誡)
福田行誡(ふくだぎょうかい)上人は江戸幕末から明治期に活躍された浄土宗僧侶で、知恩院第76世御門主猊下になられたお方です。神仏分離令、廃仏毀釈といった明治期の仏教危機の難局に立ち向かい、仏教指導者として舵をとられた泰斗であります。行誡上人の威容を誇った行動は、常に阿弥陀様に思いを寄せて念仏申して居られたからでありましょう。
常平生はいつも阿弥陀様が見護ってくださっている。そして最後臨終の夕べには間違いなくお迎えに来てくださる。その有難さを共々に喜び、日々お念仏申して参りましょう。
和尚のひとりごとNo136「あの人の恩 ありし日を思う」
『今昔物語』という古典文学のお話です。父親思いの兄弟が居りました。ある時、父が亡くなり二人とも嘆き悲しみますが、その後出世した兄は仕事が忙しくなり、父のお墓参りが出来ない状態が続きました。兄は早く悲しみを忘れようと父のお墓の傍に“忘れ草”を植えました。“忘れ草”とは、萱草(かんぞう)というユリ科の花で「見る人の思いを忘れさせてしまう」と言われている花です。その花言葉は、「悲しみを忘れる」「憂いを忘れる」「物忘れ」です。一方、弟の方は墓参りに行かなくなった兄を嘆かわしく思い、自分は絶対に父の事を忘れまいと“思い草”を父のお墓の傍に植えました。“思い草”とは紫苑(しおん)というキク科の植物で秋に花を咲かせます。紫苑は、「見る人の心にあるものを決して忘れさせない」と言われており、その花言葉は「君を忘れない」「遠方にある人を思う」「追悼」です。花言葉通り花のおまじないが利いて、兄は父を忘れ、弟はずっと父を忘れず墓参りを続けました。その結果、毎日お墓に参る弟の行いに感心したお墓の“守り鬼”が父親思いの弟に予知能力を授け、弟は日々平穏無事に過ごす事が出来たそうです。
これは平安時代の末に書かれたお話ですが、古の人々のお墓参りに対する思い、お墓参りを重んじておられた様子を窺い(うかがい)知る事が出来ます。お墓は、故人を偲び、お祀りする場所であります。又、「心のよりどころ」になる大切な場所でもあります。
日々の思いや自分の気持ちを、墓前で亡くなった方々に聞いてもらうと心穏やかになるものです。亡き人を身近に感じ、想いを寄せる事の出来る場所がお墓でありましょう。又、お墓参りをする事で自身の信仰を深めさせていただけるものです。信仰を深め、亡き人やご先祖様に想いを寄せて、故人様への御恩を知り感謝していただきますと、今居る自分自身の有難さに気付かされます。有難さに気づけば、日々の生き方、人生そのものが変わってまいります。供養(くよう)は「供物養心(くもつようしん)」と言って、亡き人や仏様に手を合わせ、物を供える事によって、己の心を養わさせていただけるという意味が御座います。今居る自分の命の有難さに気付くからです。
心が変われば態度が変わる 態度が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる 運命が変われば人生が変わる
“墓じまい”が増えてきたという事を耳にいたしますが、お墓は今居る自分は亡き人、ご先祖様のお陰様と気付かされる大事な場所であります。負担のない程度にお墓参りもしっかり勤めて参りましょう。きっと皆様の生き方が変わってまいります。
「守り鬼」お墓を守る隠れた存在のこと 穏(オン)がなまってオニ(鬼)になったといわれています。
和尚のひとりごとNo135「極楽浄土に思いを馳せる」
浄土宗が拠り所としている経典に三つ有り、それを浄土三部経と言います。『無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』の三つです。そのうち『観無量寿経』には、阿弥陀仏や極楽浄土を観想するという方法が説かれています。阿弥陀様や西方極楽浄土に想いを寄せて、心の中に阿弥陀様そして仏様の居られるお浄土の様子を思い描いていくという方法です。これらは心を静めて極楽往生を願う修行方法であり、我々にはなかなか修め難い観想念仏と言われるものです。しかし、時には仏様や極楽浄土に思いを馳せる事の必要も伝えられています。お念仏は心静かにお称えする必要はありません。いつでも、どこでも、どの様な心の状態であっても、ただ「南無阿弥陀佛」とお称えするのが浄土宗の宗義であります。では何故、観想念仏という修行方法もあるのでしょうか。
法然上人は三昧発得(さんまいほっとく)したお方です。三昧発得とは、お念仏を称えている時、求めずして自ずから阿弥陀様や極楽世界を目の当たりにし、崇高な宗教体験をする事であります。つまり法然上人はこの世に於いて、実際に阿弥陀様に出逢われたという事です。しかし時代を経た後々の人々には信じ難く、我々には体験出来ないものでありましょう。
では、実際に仏様を目の当たりにされた方と、そうでない方では、お念仏の伝え方にどの様な違いがあるでしょうか。何事においても実際に見られた事のあるものならば、確信をもって「居る。有る」としっかり説かれるでしょうが、見た事のないものになると「恐らく居ると思う。有ると思う」と不確かな断定表現になるものです。三昧発得された法然上人にお出会いして、直接お念仏の御教えを聞かれた方と、法然上人から時代を経た人々から伝え聞くお念仏の教えにも違いが出てくるものです。それは実際に仏様に出逢われた方から聞く教えと、そうでない方から間接的に聞く教えの差異でもあります。
この世において私たちは阿弥陀様には出逢えないのでしょうか。今まさに出逢うという事は不可能に近くても、お寺に参って御本尊様をしっかりと拝んで頂く事は出来ます。或いは、お仏壇の仏様のお姿を見てお念仏する事も出来ます。その事によって心の中に阿弥陀様を思い描き易くなります。また御影を拝して亡き人のお姿を思い出し、お浄土へ思いを馳せる事も出来ます。いつでもどこでもお称え出来る易しい往生行でありますが、時には阿弥陀様や亡き人、御先祖様や、先に往かれた方々の居られる極楽浄土に思いを馳せてお念仏申してみましょう。お念仏の御教えを説かれたお釈迦様と、三昧発得された法然上人。極楽浄土に思いを馳せてお念仏申すという、観想念仏につながる御教えを説かれた所以がその辺りにある事もお分かり頂けると思います。
和尚のひとりごとNo133「倶会一処」
東日本大震災から7年が経過致しました。「震災幽霊」という言葉を聞いた事があるでしょうか。被災地に於いて「既に亡くなった人を見た」とか、「突然電話のベルが鳴った」とか、「亡くなった人の声が聞こえた」等、被災地で不思議な体験をされた方が居られるそうです。これが「震災幽霊」として震災直後から噂されている霊的現象であります。心理学者によると、「日常的に強いストレスがかかっている状態で霊的なモノが見えた様に感じる」と解説されています。或いはまた、「遺族が被災者の突然の死を徐々に受け入れる為につくられる心を修復する為のプロセスである」とか、「まだ死を認められない為に幽霊という存在をつくり上げている」等、様々な解釈がなされています。数多くの犠牲者を出し、全てのものを破壊した未曾有の大災害によって未だに多くの人々が心に傷を負った状態であり、その傷の深さは計り知る事が出来ないものです。
その様な「震災幽霊」、津波で亡くなった人を見たという噂を聞きつけて、同じ様に津波で幼い子供を亡くした母親が、「幽霊でもいい、もう一度子供の姿を見られるのなら、もう一度子供に会えるのならば」と、津波が押し寄せてきた辺りを夜通し、我が子の名前を呼んで歩き続けたそうです。「もう一度会いたい。お願い出てきてちょうだい」お母さんは祈る様に夜が明ける迄歩き続けられました。毎晩、海岸沿いに出かけられては我が子の名前を呼ぶ事を数ヶ月も続けられたそうです。けれどもこのお母さんは、噂されている様な「震災幽霊」を見る事もなく、我が子に再び会う事も出来なかったそうです。
この世において故人と再び会い、語り合う事は不可能であります。しかし、いずれ自分自身が今生での命を終え、西方極楽浄土に往生したならば亡き人と出会えるのです。『阿弥陀経』というお経の中に、「倶会一処(くえいっしょ)」と説かれ、まさに亡き人と一つの処で倶に会う事が約束されています。「宿縁(しゅくえん)」と言って、この世での縁が虚しいものでないならば、後の世で再び会う事が出来る。その場所が西方極楽浄土であり、その為の手段が南無阿弥陀佛のお念仏であります。お念仏を申して阿弥陀様にお願いしたならば、最期臨終の夕べには間違いなく阿弥陀様に迎えとっていただき、西方極楽浄土へ生まれさせていただける。そうして縁ある亡き人と再会出来る。その事を一つの生きがいとして、共々に日々南無阿弥陀佛とお念仏を申して過ごして参りましょう。