仏事・法事

和尚のひとりごとNo519「お水取り」

古来より三寒四温と言われるように、肌寒さの中にも春らしい陽気や花の香が確かに感じられる季節となりました。
さて関西地方では「お水取り」を迎えて春がやって来ると言われます。季節の変り目を象徴するこの「お水取り」は、奈良は華厳宗大本山東大寺にて3月のはじめに行われます。時に天平勝宝4年(西暦752年)、大仏建立の功績ある良弁僧正の高弟実忠(じっちゅう)によって始められ、およそ1250年の長きにわたり行われて来た伝統行事です。
またこの「お水取り」は、正確には同寺二月堂で厳修される修二会(しゅにえ)の中で行われるものです。これは別名”十一面悔過(じゅういちめんけか)”とも呼ばれるように、本尊前にて罪・科(とが)を懺悔(さんげ)し、天下安穏を祈祷します。この中で、身心を浄めた練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧たちが、本尊の観音菩薩の宝号を唱え、体ごと床にたたきつけるように五体投地を繰り返します。まさに全身全霊をかけた荒行です。
そうした中12日後夜を迎えると勤行は中断され、いよいよ「お水取り」が行われます。それはかつて東大寺領であった閼伽井屋(あかいや、若狭井)の香水を東大寺内陣に納める儀式、そのいわれは、魚採りに行っていた為に二月堂への参集に遅れてしまった若狭の国の遠敷明神(おにうみょうじん)が、二月堂のほとりに清水を涌き出ださせて観音さまに奉ったことに由来しているそうです。4007c1569d1b294ec3eb92b73d9f8d84252a5c30.47.1.26.2
さて何と言ってもこの「お水取り」の中で一番の見ものはお松明ではないでしょうか?達陀(だったん)という行の中では、漆黒の空を背景に、練行衆が走り回り、焔燃え盛る大きな松明を盛大に振りします。この火天(かてん)と呼ばれる光景は、古都奈良の風物詩ともなっています。
かつて大陸から仏教が、そして多くの文物・文化が私たちのこの東の果ての国にもたらされました。このお水取り、特に達陀と走りの行法に西方のゾロアスター教の影響をみてとる学者もいるようです。遠くシルクロードの文化の余波が今に伝わり、わが国独自の文化として根付いている。そのように考えると、この伝統行事も、また違った相貌を私たちにあらわしてくれるかも知れません。

和尚のひとりごとNo338「自恣と安居」

前回盂蘭盆の由来を紹介した際に出てきました「自恣(じし)」という言葉ですが、これは”pravāraṇā(プラヴァーラナー)”というインドの言葉から来ています。これは安居も終りに近づいた最終日(陰暦の七月一五日)に、安居に参加した僧たちが互いに懺悔(さんげ)し合うこと、つまり戒律に牴触した行為を為したのであれば、それを告白し訓戒し合うという儀式を指します。この「自恣」を通して、参加者は身心清浄となり、安居は解散することになります。


さて「安居(あんご)」とは、夏(雨期)の一定期間、出家者が一ヶ所に籠り、静かに瞑想修行をおこなったり、仏の教えの学びを深める期間のことです。

釈尊(ブッダ)以来、沙門と呼ばれた仏教僧団の出家者の生活は遊行を旨とするとされて来ました。「遊行(ゆぎょう)」とは、諸国を巡り歩きながら修行を行い、ただ托鉢によって得た食をのみ頼って生活することです。「樹下石上(じゅげせきじょう)」とも言われるこの生活スタイルは、執着を断つ為、言わば「少欲知足」を旨とする本来の出家者のあり方を示しています。そして自分の足で歩める全世界をその生活の場とする、何事にもとらわれない自由な生き方でもあります。

中国の僧院にて 無事安居を終えた僧たちの姿

中国の僧院にて
無事安居を終えた僧たちの姿

その遊行生活の例外が雨期の三ヵ月行われる安居となります。一説ではこの安居の習慣は仏教に限らず、インド諸宗教における古くからの習わしであり、非常な豪雨に見舞われることもある雨期に出歩くことで、誤って小さな生物を踏み殺してしまうことを避ける為であったとも言われています。

釈尊の時代、仏教僧団に喜捨された有名な祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん、祇園精舎)や
竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)は、釈尊や仏弟子たちの安居の場となり、そこで釈尊によりさまざまな教えが説かれたと伝えられています。

 

和尚のひとりごとNo308「盂蘭盆」

今回はお盆供養が最初に説かれた『仏説盂蘭盆経』に説かれている目連尊者のお話しをご紹介します。以前にも盂蘭盆(うらぼん)の語源についてサンスクリット語(古代より続くインドの聖典語)の「ウラバンナ」に基づくと記しましたが、その意味については諸説ありました。一つは「倒懸(逆さづり)」あるいは「ウルヴァン(霊魂)」また最近では「オーダナ(ご飯)」を乗せる盆のことであるとも説明されます。
「ウラバンナ」を逆さづりとすると、これは非常な苦しみを表現していると言えます。
『仏説盂蘭盆経』は、有名な仏弟子の目連尊者の母親が餓鬼の境遇で苦しんでいたのを救済する物語であり、別の経典では母親は地獄に堕ちてしまっていたとも言われています。
十大弟子の中でもとりたて神通力に優れていた目連尊者は、ある日、亡き母親の現在の境遇を知りたいと考え、その居場所を天眼(てんげん、優れた眼力)で探したところ、餓鬼界で飢えと渇きが癒されない苦しみを味わっているのを見つけました。目連尊者はその空腹を満たすため、食物を差し出そうとしますが、母親が食べようとするその瞬間にご飯は炭と化して食べることができません。
師である釈尊に相談するとこのように仰りました。
まずは目連尊者に、
七月十五日「僧自恣」(そうじし)の日に衆僧(修行僧たち)にご飯や食べ物、香油、燭台、敷物、寝具などを供えるように。
そして修行僧たちには、
施主の家のためを願い、七世の祖先の幸せを祈り、坐禅をして心を定めてから食するように。
これら十方の衆僧の力があり、目連尊者の母は救われたと記されています。
今でも夏のこの時期にお盆供養が行われるのは、このお話に基づいているのです。

 

和尚のひとりごとNo128「50回忌」

先日、「50回忌は、お祝いだから赤いロウソクを立てたほういいと聞いたのですが、どうしたらいいですか」と聞かれました。

 

宗派や地域の習慣によって違いがありますが、50回忌は、お仏壇の開眼法要と同じく慶事(お祝い事 おめでたい事)の法要でそので、赤いロウソクやお赤飯などをお供えし、お布施の袋は紅白の水引のものを使うところが多いようです。

なぜ慶事かというと、50回忌で、故人さま一霊のご供養から、先祖代々各々之精霊の一霊としてご供養にさせていただくことがおおいですが、そのことがおめでたいわけではなく、50年というのは、家が子の世代から孫の世代へと変わるぐらいの年月であり、それだけ家が続いたことがおめでたいわけです。そして、長い間ご供養させていただくことができたことのお祝いという意味があるようです。

また、別の方の年忌法要と重なる場合は、年忌法要に合わせたお供えが良いかと存じます。

赤いロウソクを使うのは習慣的なもので、絶対にしなければならないということではないからです。

初めの質問に対しては、「赤いロウソクがあれば使ってください。なければ、普段使っているものでいいですよ」というのが答えになります。

大切なのは供養する心です。心がこもっていれば、赤でも白でもどのような色のロウソクでもよいかと思います。

 和尚のひとりごとNo125「3・11」

 

平成23年3月11日、あれから7年。もう7年でしょうか、まだ7年でしょうか。皆様それぞれ、日々の生活に追われての7年だったと思われます。被災された方、そうでない方、大震災を期に様々な思いを抱きながら今日まで歩んでこられたと思います。しかしながら、被災地から遠く離れた地に住んで、日常を平穏に過ごしておりますと忘れがちな防災意識であります。3月11日を迎え、もう一度あの時を振り返り、今一度見つめ直す機会であります。今、私達に何が出来るのか。どの様な支援が出来、これからどの様に過ごしていけば良いのか。

 人間一人一人では微力なものであります。しかし一人一人は微力であっても、同じ目的に向かい、気持ちを一つに、力を合わせて行動を共にすれば、大きな力となり、素晴らしいカタチを創り上げるものです。

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 今、玉圓寺に出来る事。震災でお亡くなりになった方々の御回向、復興祈願法要、檀信徒様方から頂いた義捐金を災害復興の為に役立てさせていただく事等。まだまだ必要な復興へ向けての窓口としてお役に立てればと思います。我々の住むこの美しい地球の為に、平和を願い、平穏無事な生活を願うばかりです。ご先祖様方が築き上げてきた国々。大震災を経験した日本から、世界の生きとし生けるもの全てが幸せでありますように!これからもお念仏を称えて共々に精進して参りましょう。Smile The Earth!!

和尚のひとりごとNo115「棚経」

 

お盆の季節がきました。お盆のお参りのことを「棚経」といいます。

7月中や8月初旬にお参りさせて頂いている時に「こんなに早くご先祖さまが帰ってくるの」とよく聞かれます。

 

ご先祖さまは僧侶のお経によって帰って来られるわけではありません。お盆の特別な時期だから帰って来られるのです。

棚経(お盆のお勤め)はご先祖さまを特別にご供養するためのお勤めです。

たとえるならば、一年ぶりに帰って来られたご先祖さまへの贈り物だと思って下さい。

みなさまと一緒にするお念仏が、最高の贈り物なのです。

早めにするお盆のお勤めは、贈り物を用意して準備万端で、ご先祖さまが帰って来られるのを、まだかな まだかな と待っているうれしさを表しています。

 

お経には、お盆を7月にすると書かれていて、昔は、7月にお盆をしていました。

明治になって、暦(こよみ)が、旧暦から新暦に変わり、お盆の時期(旧暦7月)が新暦では、8月になるので現在のように、8月にお盆をするようになりました。

しかし、お経にあわせて7月にお盆をするお寺も多いです。

 

お盆での大切な事は帰って来られたご先祖さまを、歓迎してご供養(御接待)させて頂くということです。

 

目には見えませんが、必ず帰ってきてくれています。これが信仰なのです。

どうぞこの日ばかりは、合掌、念仏を申して、ご先祖さまを感じて下さいませ。

南無阿弥陀佛

和尚のひとりごとNo112「お戒名」

 

お戒名のお話です。

最近、「お戒名は要りません。俗名のままでお願いします」という方がいらっしゃるようです。しかし、お戒名は仏教徒ならばつけて頂くものです。

 

お戒名とは、仏門に帰依した者に与えられる名前のことで、法名、法号ともいいます。

仏門に帰依した者とは、仏様を信仰するということです。

仏様のもとに行くのに、仏様を信仰していないというのもおかしな話ですよね。

ですから、お戒名は必要なものです。

 

さて、お戒名はどのようにして、付けられるのでしょうか。

お戒名の付け方は、宗派や時代、又は地域によって変わります。

現在の浄土宗の一般的な付け方は、故人の生前の信仰の浅深(せんしん)、授戒会や五重相伝を受けているか、人柄、年齢、寺院や社会への貢献度などを考えて付けられます。

お戒名は、故人の俗名、所依経典(しょえのきょうてん)やその他経典類、宗祖の言葉などから選ばれます。故人の俗名の他には、故人の好きだった言葉などからも選ぶこともあります。

 

所依経典とは、浄土宗の教えの根拠となる経典(お経)のことで、「阿弥陀経」「無量寿経」「観無量寿経」の三巻で、「浄土三部経」と呼ばれるものです。

宗祖の言葉とは、法然上人の残された手紙や俳句などです。手紙などは、「法然上人御法語」として編集されています。

 

お戒名は、仏様もと極楽で新たな一歩を踏み出すためのお名前です。そこには、いろいろな想いや意味が込められています。「俗名のままでいい」とは言わずに、お戒名を付けて下さい。

 

和尚のひとりごとNo111「お霊膳」

 

「お年忌の時にお仏壇にお供えするお膳はどの用な物でしたか?」と聞かれることがよくあります。

 

満中陰、お仏壇開眼、お年忌、お盆などの特別な法要の時に阿弥陀様、両大師様、ご先祖様にお供えするお膳のことを「お霊膳(おれいぜん)」「お霊供膳(おりょうぐぜん)」といいます。

 

お料理は肉や魚など生臭(なまぐさ)なものを使わない精進料理で、献立は、ご飯と「一汁三菜(いちじゅうさんさい)」の五品となります。

 

「一汁三菜」とは、汁物(みそ汁やお吸い物など)と野菜などを料理したもの三品のことです。

 三品は、一般的には、「煮物」「和え物又は、なます」「香の物(漬け物など)」ですが、香の物の代わりにフルーツなど、お供えすることもあるようです。

 

お膳には、飯椀(めしわん)はご飯 汁椀(しるわん)は汁物 平(ひら)は煮物 壷(つぼ)は和え物 高坏(たかつき)は香の物を盛りつけ、写真のように配膳します。

 zen      箸がある方を仏様に向けてお供えします。

 

椀類には蓋(ふた)がついていますが、法要が始まる時には蓋は取っておいて下さい。

 椀類です。右から飯椀、汁椀、平、壷、高坏です。

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