和尚のひとりごと「伝道掲示板169」

umare

“三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識(し)らず
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し”

迷いの生にある私たちは無明のただ中にあると釈尊は説いた。
無明(無知)こそが迷いを生み、生成流転の世界を現出する。
生の始まりは時間の起源であり、生の終りはこの世が幕を閉じる瞬間である。
自分自身のことさえ分かっていないことに気づかされる。

o0800132613600301794

和尚のひとりごと「伝道掲示板168」

 yuyu

次のように続く..
“擾擾(じょうじょう)たる四生、唯だ患(うれひ)にして楽しからず
牟尼の日久しく隠れ、慈尊の月未だ照さず、三災の危きに近づき、五濁の深きに没む。
加以(しかのみならず)、風命保ち難く露体消え易し”

いよいよ叡山に入ろうとする若き伝教大師の決意のことば。
菩薩の誓願がここにある。

40354a643b3bf44fae45c06ccef0d5c3_m-860x573

和尚のひとりごと「伝道掲示板167」

 honrai

菩提達磨から数えて六祖となる慧能禅師のことば。
師神秀曰く
「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し。時々に勤めて払拭(ほっしき)して、塵埃(じんあい)をして惹(ひ)かしむること勿かれ」
弟子慧能答えて云く
「菩提にもと樹なく、明鏡もまた台に非ず。本来無一物、何れの処にか塵埃をひかん」
『六祖壇経』

本来無一物が禅の境地
そして私たちの当たり前の本来の姿。

その捉われなき境地を蘇東坡はこう詠んだ。
“無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう) 花有り月有り楼台有り”

img_cache_a_553_3_1341737894_jpg

和尚のひとりごと「伝道掲示板166」

onoga

不識己有貧莫過此
空海『吽字義』

己を知る事こそが難しい。
誰もが自己の外ばかりを気に掛けるが
それは実のところ、自分自身を見ているに過ぎない
本当に問題にすべきこと
釈迦はそれのみを説き続けた。

OSK201211200007

利剣持てる空海

和尚のひとりごとNo386「ちょっと不便でちょうどいい」

 携帯電話が普及し、街中では多くの人々が携帯電話を片手に話をしながら、或いはメールやラインを打っている姿をよく見かけます。電車内でも殆どの方が携帯電話を操作しています。電車内での通話は出来ないので、恐らく携帯電話内のコンテンツを利用したり、インターネットであらゆる情報を入手しているのだと思われます。携帯電話一つあれば、あらゆる情報を即座に入手する事が出来、どこに居ても様々な人たちと繋がる事が可能になりました。外出先で公衆電話を探し回るような事もなくなり、街中で電話ボックスを見かける事は殆どありません。2020jyuuitigatu


 携帯電話の無い時代には、友達の家に電話をする時も緊張したものです。友達が出るとは限らないからです。親、兄弟、電話を掛けた家に居る誰かが出るのです。誰が出ても良いように、「もしもし、私は〇〇ですが、△△さんのお宅でしょうか。︎︎さんは居られるでしょうか?」と話し出します。そのことで電話先の家族の方は、子供が誰と繋がっているのかを認識し、子供の友人関係を把握する事が出来ていました。しかし、今は携帯電話で直接特定の個人と繋がる事が出来ます。違う人が電話口に出る事は先ずありません。その事で親は子供が誰と繋がっているのかを把握しきれなくなってきているそうです。学校内の友達のみならず、インターネットを介して知り合った実際に会った事のない人や、行ったこともない所まで交友関係が広がっているからです。国内だけではなく、世界中の人々と繋がる事が出来るのは世界観が広がるので良い事でしょうが、直接相手を知らない分、事件につながる危険性もあります。


 お互いを理解し合うには何よりもコミュニケーションが大切です。電話でもコミュニケーションは取れますが、実際に会って話す事でお互いの人柄も理解し合え、信頼関係も築いていけるものです。「理解する」という事は、「お互いの距離を縮める」或いは、「相手の立場に立って考えられる事」を意味します。「理解する」を英語でunderstand(アンダースタンド)と言います。underは「〜の下に」と訳しますが、元々「〜の間」という意味があったそうです。Stand(スタンド)は「立つ」です。「相手の間に立つ」つまり「相手との距離を縮めます」というのが「理解する」という事です。


 便利な世の中になると、ついつい簡単に物事を済ませがちになります。実際に相手に会って、また日々の生活の中で粗末にしがちなコミニュケーションを大切に、相手の立場に立って考えられるように心がけていきたいものです。

和尚のひとりごと「伝道掲示板165」

rakan

一休禅師はある夏の夜、鴉の声を聞いて豁然大悟したという。それを聞いた師匠は「羅漢の境地であり作家のものではない」と一喝、対し一休は「これが羅漢の境涯ならば私はそれで結構」と答えた。
聞いた華叟和尚は凡聖分別分かたれる以前の境地を悟ったという。

祥瑞寺

ゆかりの祥瑞寺

和尚のひとりごと「伝道掲示板164」

makoto

天候不順、罪びと数知れず、荒れる世の中を統べるには神仏への信仰こそが肝要である。
そう信じて大仏発願を志した聖武天皇の残したことば。

奈良東大寺大仏は毘盧遮那仏、宇宙の根源を体現する仏の真の姿だという。
開眼の導師をつとめたのは、南インド出身の菩提僊那(ぼだいせんな)
天平勝宝4年(752年)4月に「大仏開眼供養会」が盛大に厳修された。

菩提僊那はまた20年以上の長きにわたりこの極東の島国で過ごしたのち
天平宝字4年(760年)2月25日、大安寺にて入滅したと伝えられる。
遥か西方を向き合掌したまま、57歳の生涯を閉じたという。

987d64d6-s

聖武天皇の御前にて
右手奥に菩提僊那、手前に行基菩薩

和尚のひとりごと「伝道掲示板163」

dougen1pdf

「溪声便ち是れ広長舌、山色豈清浄身に非ざらんや」
山川草木悉皆成仏
それは自己の心持ちに他ならない。

dogen1-1

和尚のひとりごと「伝道掲示板163」

Microsoft Word - 文書 1

遊行上人一遍のことば。
捨ててこそまことが見えてくる。
itihenn
添付ファイル エリア

和尚のひとりごと「伝道掲示板162」

mida

弥陀身心遍法界(みだしんじんへんほっかい) 衆生念仏仏還念(しゅじょうねんぶつぶつげんねん)
一心専念能所亡(いっしんせんねんのうしょもう) 果満覚王独了々(かまんかくおうどくりょうりょう)
山崎弁栄上人は24歳のときに「一心法界」を会得したという。

男体山にある石碑には次のようにある。
“明治十五年二十四歳の時一夏六十日間筑波山上に入山修行、
深三昧の岩床に称名日々十万遍、
王三昧円かに成就して、如来の真境了々と現前。
爾来三業清浄、一行精進、施、戒、進、禅、慧欠くることなく、
更に三年間草庵に籠って、一切経七千三百余巻読了”

「仏教の真理は三昧に入り 神を凝らすにあらざるよりは 証入すること能はず 
依て暫く山に入れり」

「仏法は学解にあらず、三昧実証にあり」
これも実理の人、山崎弁栄上人のことばである。

ChByDCUUoAAqxIT-213x300