和尚のひとりごと「伝道掲示板110

8-27

映画『リトルブッダ』よりラマ僧ノルブのことば

我々を取り巻くこの世界は
たとえその姿を変えても残るだろう..
しかしながらそれを見る人間たちは
常に吹き荒れる無常の嵐にさらされて生きている

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映画の舞台となったネパールのボダナートの仏塔に描かれた覚者の眼

和尚のひとりごと「伝道掲示板109

8-26

“生まれによって賤しい人となるのではない。
生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賤しい人ともなり、
行為によってバラモンともなる”
(原始仏典『スッタニパータ』より 中村 元 訳)

お釈迦さまの言葉
生まれや出自ではなく、家柄でもなく
自らの行いこそが自らを尊い存在と成しえる。
あらゆる身分制度や差別の根拠を覆す力強いことば。

Dr._Bhimrao_Ambedkar

 

独立後のインド憲法を起草したアンベードカル
アウトカーストの出身であったが平等思想としてのブッダの教えを奉じた

和尚のひとりごとNo318「法然上人御法語第二十八」

前篇 第28 来迎引接(らいこういんじょう)

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~来迎は本来的に定まっている~

【原文】

法爾(ほうに)の道理(どうり)と云(い)う事(こと)あり。炎(ほのお)は空(そら)に上(のぼ)り、水(みず)は下(くだ)り様(さま)に流(なが)る。菓子(かし)の中(うち)に酸(す)き物(もの)あり、甘き物あり。これらはみな法爾(ほうに)の道理(どうり)なり。

阿弥陀佛(あみだぶつ)の本願(ほんがん)は、「名号(みょうごう)をもて罪悪(ざいあく)の衆生(しゅじょう)を導(みちび)かん」と、誓い給(たま)いたれば、ただ一向(ひたすら)に念仏だにも申(もう)せば、仏(ほとけ)の来迎(らいこう)は法爾(ほうに)の道理(どうり)にて疑いなし。

勅伝第21巻

 

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【ことばの説明】

来迎引接(らいこういんじょう)

らいこういんじょう(来迎引接/来迎引摂)は、臨終を迎えた念仏者(浄土願生者)のもとに、阿弥陀仏と聖衆(しょうじゅ)が極楽浄土より迎えに来て(来迎)、浄土へ導いて下さること(引接)。無量寿経に説かれる法蔵菩薩の四十八願中、第十九願に誓われた内容。

法然上人によれば、来迎引接は、死に際して起こるであろう生への執着心や後生への不安を滅ぼし、念仏者を正しく定まった安らかな心にて浄土へ向かわせる為のものであるという。

 

法爾(ほうに)の道理(どうり)/法爾道理

原語はdharmatā-yukti(ダルマター・ユクティ)。異訳語として「法性(ほっしょう)」、「法然」、「自然(じねん)」ともいう。本来的に定まっている物事のありよう、姿のこと。

 

【現代語訳】

本来的に定まっている摂理というものがあります。例えば炎は天空に向かって立ち昇り、(逆に)水の流れは高きから低きへ向かいます。また果物には酸っぱい種類のものもあれば、甘い種類のものもあります。これらこそがまさにそのままの在り様で本来的に定まっている摂理であります。

(さて同様に)阿弥陀佛の本願というのは「名号によって罪深く悪を為さざるを得ない人々を救おう」と誓われたものに他なりませんので、ただ只管(ひたすら)に念仏さえ称えれば、彼の仏の来迎も本来的に定まっている摂理であり、疑う余地はありません。

 

来迎引接が自然法爾である、つまり動かしようのない事実である。あたかも天に向かう炎や高きより低きへ落ちる水のように。

伝承された経中にて仏の言葉として誓われた確かな事実、それを信受された元祖上人の、

冷静でありながら力強い御言葉です。

合掌

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板108

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如実知見(にょじつちけん)

事実を事実に即して受け止め、見極めること。
実相は受け入れるものである。
そしてこの世の実相は諸行は無常、諸法が無我であることに尽きる。
では如実知見の対象は「無常な諸法」であろうか?
「永遠なる理法」であろうか?

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ツイッターの画像を引用させて頂きました。

和尚のひとりごと「伝道掲示板107

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独生独死独去独来
(どくしょうどくし どっこどくらい)

独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる(『仏説無量寿経』)

人はこの愛欲の世間にひとりで生まれ、ひとりで死に、ひとりで去り、ひとりで来るのだ。行うところに随って苦しみの人生を得たり、幸福な人生を得たりする。行う者自身がその報いを受けるのであり、代わりに受けてくれる者はだれもいないのだ(紀野一義師訳)

この厳しい言葉を生を懸命に生きることへの励ましであると信受する。

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釈尊はこう述べた。
「犀の角のようにただ独り歩め」(『スッタニパータ』)

和尚のひとりごと「伝道掲示板106

施餓鬼

“どうか一切如来、ならびに観世音菩薩よ
この仏前に供えた飲食を飢えに苦しむ有情たちにお送りくださいますように”

仏より阿難に授けられた「無量威徳自在光明大聖妙力の神呪」より

餓鬼とは癒しようのない飢えと渇きに悶えている存在
目に見えないかも知れないが、
普段の生活では気に留めないが
そのような哀れな生存があるかも知れない
そのような者たちに施しをすることで慈悲の心を育てる

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和尚のひとりごと「伝道掲示板105

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是時目連母則於是日(ぜじもくれんぼそくおぜにち)
得脱一劫餓鬼之苦(とくだついっこうがきしく)

目連の母はその日をもって
一劫にも及んだ終わりの見えない飢えの苦しみから脱することを得た

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仏説盂蘭盆経に説かれる目連救母の物語

和尚のひとりごと「伝道掲示板104

諸行無常 是生滅法

諸行無常(しょぎょうむじょう)
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめっき)
寂滅為楽(じゃくめついらく)

諸行無常は仏教の旗印、三法印に数えられるこの世の実相を表した言葉。
諸々の因縁によって仮に現れているこの世界
生じては滅し、また生じる
これらが静まる境地こそが安楽である。

雪山(ヒマラヤ山)で修行していた雪山童子(せっせんどうじ)は
この偈の前半を唱える羅刹の声を聞き
後半の句を聞きたいがために自らの身を食らわせる覚悟をする。
聞き終わったあと、崖の上から身を投じると羅刹はとたんにインドラ(帝釈天)に身を変じ、童子を抱きとめたという。
雪山童子は前世の釈尊であったと結ばれている。

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施身聞偈図(法隆寺に伝わる玉虫厨子)

和尚のひとりごと「伝道掲示板103

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諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、──これが諸の仏の教えである。
(中村元師訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」より)

「七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)」として知られる仏教の教えの基本

和尚のひとりごと「伝道掲示板102

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朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて
夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり

人間のはかなきことは老少不定(ろうしょうふじょう)のさかひなれば、誰(たれ)の人も早く後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏(あみだぶつ)を深く頼みまゐらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
                                 「白骨の御文(おふみ)」より


浄土真宗本願寺八世となった蓮如上人は宗祖の教えを民衆にわかりやすく説くために数多くの御文章(ごぶんしょう)を残している。
人の命の儚さほど、無常を実感させてくれるものはないかも知れない。

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この御文が書かれた山科本願寺の蓮如上人御廟所