皆様も一度は、「地獄絵図」を見られたことがあるかと思います。

幼小のころは、まさに、身の毛もよだつ恐ろしい絵図に、夜ひとりで寝れなかったことはないでしょうか。

そんな地獄のことを書かれたお坊様が、恵心僧都源信です。

 

恵心僧都源信(942年~1017年)は、天台宗の僧侶で、平安中期から平安後期にかけて活動されました。

地獄について書かれたものが『往生要集』という書物です。

 

『往生要集』は上中下巻の3巻からなります。その上巻に地獄の様相が事細かく書かれています。

 その様相を絵にされたものが、『地獄絵図』と呼ばれるものでございます。

 そして、この『地獄絵図』から私達の地獄のイメージが作られているわけです。

 

『往生要集』は地獄の恐ろしさ、極楽のすばらしさ、極楽へ往生するためのお念仏について等が説かれています。

『往生要集』は、法然上人もお読みになり非常に大きな影響を受けられたといわれています。

平成28年(2016年)は恵心僧都源信が亡くなられて一千年忌にあたります。 比叡山では、天台宗をはじめとして、その他の宗派でも遠忌法要が行われました。

浄土宗も五月に浄土宗門主(もんす)伊藤唯眞猊下を御導師に比叡山根本中堂にて一千年忌遠忌法要をお勤めになられました。

 

地獄の恐ろしさを思い、そちらへ行くのではなく、極楽へと導いていただけるお念仏のありがたさに感謝しながら、このお盆の時期に、お念仏をしっかりと、お称えしましょう。

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信州善光寺のご案内です。

 

善光寺は仏教の諸宗派(浄土宗などの~宗といわれるもの)に属さない独立した寺院です。

 

前回の和尚のひとりごとNo.100でも触れましたが、浄土宗と天台宗の寺院が善光寺のお世話をさせていただいています。その寺院のなかで、浄土宗の善光寺大本願と天台宗の善光寺大勧進の住職が、善光寺の住職を兼ねています。

 

善光寺のご本尊は、一光三尊阿弥陀如来様です。

 

ご本尊の一光三尊阿弥陀如来様の仏像は日本最古の仏像といわれています。

 

「善光寺縁起」によれば、欽明天皇13年(552年)仏教の伝来ともに、日本に伝えられたといわれています。

 

仏教の受け入れについて、賛成派と反対派の論争の最中に、反対派の手によって、難波の堀江に打ち捨てられました。

 

その後、信濃の国司の従者(長野県の知事のお付きの人)として都に来ていた本田善光によって信濃の国(長野県)にお連れされたのです。

 

善光が、都から信濃へ帰る途中に、難波の堀の近くを通った時に、「善光~善光~」と呼ぶ声が聞こえ、あたりを見回すと、水の中から金色(こんじき)に光る仏像が飛び出してきました。その仏像が、一光三尊阿弥陀如来様の仏像だったのです。

 

阿弥陀様は、善光に一緒に信濃に連れて行くようにとおっしゃったそうです。

 

善光は、阿弥陀様のおっしゃるとおりに、信濃の国にお連れし、はじめは、自宅(長野県飯田市)でお祀りしていましたが、のち現在の地(長野県長野市)に移ってお堂を建て、お祀りされたそうです。

 

皇極天皇3年(644年)には、皇極天皇の勅願によって伽藍が造営されました。この時、本田善光の名をとって、「善光寺」と名付けられたと伝えられています。

 

「牛にひかれて善光寺参り」「一生に一度は善光寺参り」など、善光寺参りに関する言葉ができるほど、一般の人にとっては、大切な行事でした。

 

この大切な善光寺参りへ、ぜひ皆様も経験していただきたいとおもいます。

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「牛にひかれて善光寺詣り」とことわざにもある長野県の善光寺は、浄土宗の大本山と思われていますが、実は、善光寺は大本山ではありません。

善光寺の中に「善光寺大本願」というお寺があります。こちらのお寺が、浄土宗の大本山になります。

善光寺は、「~宗」というような宗派はなく、全ての仏教の宗派のお寺です。

善光寺のお世話をさせていただいているのが、浄土宗と天台宗です。
善光寺の中には、たくさんのお寺があります。善光寺のお世話、参拝者のための宿坊となります。
それらのお寺は、浄土宗と天台宗のお寺になります。

それぞれの宗派のお寺のまとめ役のお寺が、浄土宗が「善光寺大本願」 天台宗が「善光寺大勧進」です。
そして、「善光寺大本願」「善光寺大勧進」の住職が、善光寺の住職を兼ねています。

善光寺大本願の御詠歌は

ふみまよう こころの闇をてらしませ わしのみ山にのぼる月影

善光寺大本願は尼僧寺院で、歴代の住職は、尼公上人です。
また、尼公上人は、皇族の方、堂上貴族からお迎えされてきました。

善光寺大本願では、毎早朝、上人がお勤めのために徒歩で本堂へ向かわれます。
その往復の道すじに信徒の皆様が膝(ひざ)をついて参列し、尼公上人にお念珠を頭に頂く(なでていただく)「御念珠頂戴の儀」が行われています。

機会があれば、ぜひ参列していただきたいと思います。

次回は善光寺をご紹介します。

 

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大本山 鎌倉の光明寺の紹介です。
正しいお名前は、天照山蓮華院光明寺(てんしょうざんれんげいんこうみょうじ)といいます。
創立は、鎌倉時代の寛元元年(1243年)と伝えられています。
寺を開かれたのは、浄土宗第三祖 良忠上人です。

「光明寺」というお寺は、多くございます。(大本山 金戒光明寺など)区別するために、「鎌倉の光明寺」と呼ばれています。
鎌倉時代に建てられたからではなく、神奈川県鎌倉市の地に建てられているから、「鎌倉の光明寺」です。

御詠歌は、
出ずる(いずる)日も入る(いる)日もともに
南無阿弥陀仏 仏の光うけぬ日ぞなき


「鎌倉の光明寺」は関東における念仏修行の根本道場として、後土御門天皇より、「関東総本山」の称号を下賜され、国の安寧と平和を祈る「勅願所」とされました。

現在、浄土宗で勤められている「十夜法要」の発祥のお寺でもございます。

※江戸時代になりますと、「関東十八檀林」の筆頭とされ、念仏信仰と仏教研鑽の根本道場として、隆盛しました。


「関東十八檀林」 檀林とは僧侶の修行道場と学問の研究所のことです。十八檀林とは、江戸時代に幕府より正式に認められた浄土宗僧侶の修行道場と学問所がある十八のお寺のことです。

 

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今日は、本日(平成28年4月1日)玉圓寺のホームページが新しくなりました。 いままで、玉圓寺のホームページをご覧いただいていた皆さま、いかがでしょうか。 檀信徒の皆さま、お参りの際に感想など、お聞かせいただければありがたいです。

こちらの(和尚のひとりごと)は、いままでは過去の記事を含めて全て一覧で表示されていましたが、新しいホームページでは、記事の内容で分類しました。 最新の記事は、トップページ(最初の画面)に表示されます。過去の記事は、画面右上の和尚のひとりごとを選んでいただくと分類分けされたものが表示されます。

たとえば、法然上人を選んでいただくと、法然上人について書かれた記事が、表示されます。

もう一度、過去にはどんな記事が、あったのかと読んで頂ければありがたいです。

檀信徒の皆さま 玉圓寺のホームページをご覧いただいている皆さま、玉圓寺一同、当ホームページをご覧いただきまして感謝しております。

引き続き、玉圓寺ホームページをよろしくお願いいたします。

次回は大本山 鎌倉の光明寺の記事です。

浄土宗の大本山善導寺をご紹介します。

善導寺は、正しくは、井上山光明院善導寺(せいじょうざんこうみょういんぜんどうじ)と申します。

九州は福岡県久留米市にございます。

善導寺は九州の地の浄土宗、念仏の根本道場として、幾度かの盛衰を経て今日(こんにち)にいたります。

善導寺は浄土宗の第二祖 聖光上人(しょうこうしょうにん)が開かれたお寺です。

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最近の話題で、葬儀事情が、TV ラジオ 雑誌等で、よく耳にします。

直葬(ちょくそう)とは、祭壇を飾ったり、儀式的な事をせず24時間後、火葬所に搬送されて終わりと言う事です。

家族身内がいるのに葬儀 僧侶の回向 お戒名も頂けないままに火葬所送り。

あなたを育ててくれた大事な両親を、物扱いでいいのでしょうか?  生前に「子供に迷惑掛けたくないから、亡くなっても葬儀は、しなくてもいいよ」といってもこれは、本音でしょうか?

私たちが、生まれてきた時どれだけの愛情をそそいでくれたのですか?

直葬は、終わった後、何とも言えない悲しい思いが、抜けきれず、一生心から離れません。

経済的な理由でどうしても葬儀式が出来ない方は、福祉関係、葬儀関係 菩提寺(お付き合いのある寺院)に、相談してください。必ずいい結果があるはずです。

知恩院の御廟を紹介です。

以前(和尚のひとりごと92)ご紹介しました勢至堂へ参る道、石段を登り、門をくぐりますと正面に勢至堂のお堂が見えます。右側を見ますとさらに上へと続く階段があります。その階段を登ったところに御廟がございます。

御廟には、法然上人のご遺骨がご奉安されています。

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こんにちは、玉圓寺の宮島です。先日、カンボジアに行く機会が、ありました。

カンボジアはつい最近まで、内戦と混乱が続いていました。1993年に収まってからまだ十数年しかたっていません。まだまだ混乱の傷跡が多くのこっていますが、首都のプノンペンは大分復興されているようでした。(サッカーの国際試合2015年11月18日の日本対カンボジアなどができるぐらいに)

復興されてきたとはいえ、インフラ整備は、まだ不十分なようです。

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和尚のひとりごとNo.93 「師走」


十二月に入り、今年(平成二十七年)も残り少なくなってきました。

ところで、十二月のことを、昔から師走と呼びますが、昔とはいつぐらい前なのでしょうか。平安時代の頃にはすでに十二月のことを師走と呼んでいたようですが、はっきりとした起源は不明だそうです。

では、師走とはどういう意味なのでしょうか。

そのまま、「師が走り回るほど忙しい」という意味です。

ここでクイズです。この「師」とは誰のことでしょうか?

① 華道(生け花)のお師匠さん
あちらこちらにお正月用のお花を生けるのに忙しいです。

ちなみに浄土宗には華頂流という生け花の流派があります。


② 落語や漫才などの芸人のお師匠さん
年末年始のテレビなどの特番に忙しいです。

③ 学校の先生
テストや通信簿の作成、年が明けると受験シーズンになるので忙しいです。

④ お坊さん
年末は、普段はゆったりしているお坊さんでも走り回るほど忙しいです。

① から④番のうち正解はどれでしょうか。
(和尚のひとりごとで問題にしている時点で答えは出ているようなものですが。)

正解は最後で。

十二月は「師馳(は)せ月」ともいい昔からお正月は盆と同じように祖先の霊をともらう月で、お坊さんが、お経をあげるために、あちこちの家を忙しく走りまわったのが由来といわれています。

「師」とは、お坊さんのことを「法師」と呼ぶことからきています。

※「師走」については諸説ありますが、「師は僧侶」説をとらしていただきます。

玉圓寺でもお正月一月一日には、ご先祖様を敬い一年の安全を願う修正会(百燈明)を行っています。