和尚のひとりごとNo112「お戒名」

 

お戒名のお話です。

最近、「お戒名は要りません。俗名のままでお願いします」という方がいらっしゃるようです。しかし、お戒名は仏教徒ならばつけて頂くものです。

 

お戒名とは、仏門に帰依した者に与えられる名前のことで、法名、法号ともいいます。

仏門に帰依した者とは、仏様を信仰するということです。

仏様のもとに行くのに、仏様を信仰していないというのもおかしな話ですよね。

ですから、お戒名は必要なものです。

 

さて、お戒名はどのようにして、付けられるのでしょうか。

お戒名の付け方は、宗派や時代、又は地域によって変わります。

現在の浄土宗の一般的な付け方は、故人の生前の信仰の浅深(せんしん)、授戒会や五重相伝を受けているか、人柄、年齢、寺院や社会への貢献度などを考えて付けられます。

お戒名は、故人の俗名、所依経典(しょえのきょうてん)やその他経典類、宗祖の言葉などから選ばれます。故人の俗名の他には、故人の好きだった言葉などからも選ぶこともあります。

 

所依経典とは、浄土宗の教えの根拠となる経典(お経)のことで、「阿弥陀経」「無量寿経」「観無量寿経」の三巻で、「浄土三部経」と呼ばれるものです。

宗祖の言葉とは、法然上人の残された手紙や俳句などです。手紙などは、「法然上人御法語」として編集されています。

 

お戒名は、仏様もと極楽で新たな一歩を踏み出すためのお名前です。そこには、いろいろな想いや意味が込められています。「俗名のままでいい」とは言わずに、お戒名を付けて下さい。

 

和尚のひとりごとNo111「お霊膳」

 

「お年忌の時にお仏壇にお供えするお膳はどの用な物でしたか?」と聞かれることがよくあります。

 

満中陰、お仏壇開眼、お年忌、お盆などの特別な法要の時に阿弥陀様、両大師様、ご先祖様にお供えするお膳のことを「お霊膳(おれいぜん)」「お霊供膳(おりょうぐぜん)」といいます。

 

お料理は肉や魚など生臭(なまぐさ)なものを使わない精進料理で、献立は、ご飯と「一汁三菜(いちじゅうさんさい)」の五品となります。

 

「一汁三菜」とは、汁物(みそ汁やお吸い物など)と野菜などを料理したもの三品のことです。

 三品は、一般的には、「煮物」「和え物又は、なます」「香の物(漬け物など)」ですが、香の物の代わりにフルーツなど、お供えすることもあるようです。

 

お膳には、飯椀(めしわん)はご飯 汁椀(しるわん)は汁物 平(ひら)は煮物 壷(つぼ)は和え物 高坏(たかつき)は香の物を盛りつけ、写真のように配膳します。

 zen      箸がある方を仏様に向けてお供えします。

 

椀類には蓋(ふた)がついていますが、法要が始まる時には蓋は取っておいて下さい。

 椀類です。右から飯椀、汁椀、平、壷、高坏です。

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和尚のひとりごとNo110「鎮西忌」

 

2月の行事は、一般的には、2月3日の節分 2月14日のバレンタイン、仏教徒には、2月15日の涅槃会。涅槃会というのは、簡単に説明すると、お釈迦さまのご命日の年忌法要です。涅槃会については、和尚のひとりごとNo41をご覧下さい。

 

そして、私達浄土宗檀信徒には、鎮西忌(ちんぜいき)があります。

鎮西忌は、浄土宗第二祖(二代目)の聖光房弁長上人(しょうこうぼうべんちょうしょうにん)の年忌法要です。

鎮西とは、九州の別称であり、平安時代末から鎌倉時代にかけて九州のことを鎮西と呼ばれていたことにはじまります。

聖光房弁長上人は鎌倉時代の人で九州を中心に活躍されていたことから、鎮西上人と呼ばれています。そして、上人の忌日法要を鎮西忌と呼んでいます。

 

平成29年2月現在 知恩院の御影堂は改修工事中で仮の御影堂にてお勤めされておられ、

仮の御影堂には三上人のお像がお祀りされています。

真ん中のお像が、法然上人。法然上人に向かって右側にお祀りされているのは知恩院第二世の源智上人。そして、左側にお祀りされているのが聖光房弁長上人です。

 

余談ではありますが、現在の浄土宗は大きく分けますと、二つに分かれます。

浄土宗を開かれたのは法然上人ですが、その跡(あと)を継がれた方によって分かれています。

一つは、私たちの聖光房弁長上人を二代目とする知恩院を本山とする浄土宗。

もう一つは、証空上人を二代目とする浄土宗。

私たちは「鎮西派」、証空上人を二代目する浄土宗は「西山派」(せいざんは)と呼ばれています。

和尚のひとりごとNo109「法然上人のご命日」

 

年が明けて一月に入りました。世間一般では、一月は正月 十日戎 成人式がある月ですが、お寺さんは、「寒行」と呼ばれる修行をする月です。

 

「寒行」とは、文字どおり寒さに耐え忍んで修行する事です。

修行は、宗派や地域によって様々です。

玉圓寺も「寒行」を、お勤めします。近隣の浄土宗のお寺さんと一緒に托鉢行脚の修行をいたします。

 

又、浄土宗にとって一月は特別な月になります。一月二十五日は法然上人のご命日になります。

和尚のひとりごとNo28でご紹介させて頂きましたが、法然上人の年忌法要は御忌(ぎょき)として、四月にお勤めさせて頂いています。

 

浄土宗檀信徒の皆様も一月二十五日には、お仏壇(一般的な浄土宗のお仏壇は、正面中央に阿弥陀様、正面右に善導大師、正面左に法然上人がお祀りされています。)の法然上人に手を合わせて、南無阿弥陀佛とお念仏をお称えしましょう。

和尚のひとりごとNo108「除夜の鐘」

 

皆様、この年の瀬忙しくされているかともいます。

大晦日の夜はいかがお過ごしでしょうか。

 

 大晦日の夜といえば、紅白歌合戦を見て、除夜の鐘を聞く風景が多かったと思います。

その中でも代表的な鐘といえば、知恩院さんの鐘ですね。

僧侶がつくダイナミックな鐘のつき方は、見事なものです。

 

和尚のひとりごともNo108をむかえました。

年末ということもあり、108のつながりで「除夜の鐘」についてご紹介します。

 「除」とは「とり除く」という意味があり、「除夜」とは、「旧年を除く夜」ということです。

「除夜の鐘」はこの1年の煩悩を鐘の音きいて、煩悩を消し去ることです。

 「除夜の鐘」を108回突くのは、煩悩の数が108あるとされているからです。

 煩悩の数が108とは、誰が数えたのでしょうか?

 

よく聞くのが、「四苦八苦」で4×9で36と8×9で72を足して108になるという俗風習の説もありますが、煩悩の数え方はその他にもいくつかあります。

 

その一例を紹介します。

 

煩悩とは、愛着(あいじゃく)、執着(しゅうじゃく)のことで、自分の感情、感覚を意味しています。

 数え方は、人の身体の働きを表す「六根(ろくこん)」(眼  耳  鼻  舌  身  意)がありそれぞれに「好(良い)」「悪(悪い)」「平(どちらでもない)」があります。

これで、6×3の18

人身(じんしん)に入って心に作用する「六塵(ろくじん)」(色  声  香  味  触  法)があり、それぞれに「苦(苦しい)」「楽(楽しい)」「捨(どちらでもない)」があります。

これで6×3で18

 

六根と六塵を足して36になり、人には、「三世」(現在 過去 未来)がありますので36×3で108になります。

 

 煩悩をなくして新年を迎えましょう。

 玉圓寺では、1月1日 9時から4時まで百燈明会(修正会)ご先祖供養を、お勤めをさせていただいています。

清らかな心身(しんしん)で、阿弥陀様 ご先祖様に新年のご挨拶をしましょう。

和尚のひとりごとNo107「喪中の期間」

 

引き続き、喪中についてです。

 

よく質問されますのが、「喪中はいつまでですか、年があけたら終わりですか」などの喪中の期間についてです。

 まず、「喪中」とは、「喪に服する期間」のことで、「服喪期間」とも言います。

 「喪」とは、「人の死後、その近親の者が、一定の期間、外出や社交的な行動を避けて身を慎むこと」です。

故人を静かに偲ぶ期間でもあります。

 喪中の期間は、昭和22年に廃止されるまで、『服忌令(ぶっきりょう)』という法律によって決められていました。

 

現在では、喪中の期間というものは、各々ご自身で決めて頂いてもいいわけですが、一般的には、『服忌令』の期間を参考にして用(もち)いられています。

 『服忌令』による喪中の期間は、亡くなられた人との関係によって変わりますが、現在では、近親者(配偶者 父母 子 祖父母 兄弟姉妹)で13ヶ月とされています。

 一周忌までが喪中になります。

 

余談ですが、『服忌令』は江戸時代 徳川綱吉公によって制定された法律です。また、この法律以外にも、古代日本より公家社会において服忌に関しての法律があったようです。

 しかし、江戸時代の法律が昭和の時代まで使われてたとはびっくりしました。

 

和尚のひとりごとNo106「喪中とお正月」

 12月に入りますと、お正月の準備にとりかかれる方が多いかと思います。

 今年、ご不幸があり喪中の方からお正月の過ごし方について、質問を受けることも多くなります。

 その中でも多い質問に答えていきたいと思います。

 

Q.年賀状はどうしたらいいの?

 A.年内12月初旬に届くように喪中ハガキを出すようにしましょう。

「おめでとうございます」のあいさつは世間一般的にはよくないと思われていますので、年賀状は出さない方が良いでしょう。

年賀状を頂く分には、大丈夫です。頂いた時は、松の内(1月7日)を過ぎてから寒中見舞いのハガキを出すといいでしょう。

 

Q.「あけましておめでとうございます」のあいさつは、どうしたらいいの?

 A.「おめでとうございます」と言わなければ大丈夫なので、「今年もよろしくお願いします。」などのあいさつをしましょう。

 

Q.「門松 しめ縄飾り 鏡餅などの正月飾りは?」

 A.門松、しめ縄飾りや鏡餅は、歳神(としがみ)様をお迎えするために飾るものです。

喪中だからといって、飾ってはいけないということはありませんが、こちらも世間一般的には、よくないとおもわれています。

外に向けて飾るのは、非常識と思われたりしますので、控えたほうがいいかと思います。

内に向けては、つまり、家の中は、鏡餅など飾っても大丈夫です。

 

Q.おせち料理は食べてもいいの?

 A.食べても大丈夫です。

おせち料理は、もともとは、季節の実りを感謝したものでした。

のちに、節句料理となり、五節句(人日、桃、端午、七夕、重陽の節句)に食べられていたものが、お正月に食べられるようになったものです。

おせち料理は食べていただいても大丈夫です。

 

Q.お年玉はあげてもいいの?

A.あげてください。

 お年玉は、お供えした鏡餅を割って皆に配ったことが始まりであるといわれています。

 

Q.初詣にお参りに行ってもいいの?

A.初詣にお参り行っても大丈夫です。

 初詣は、神様 仏様にあたらしい年の挨拶にお参りに行くことです。

 

 

仏様の教えの中で、喪中だからといってお正月にしてはいけないということはありません。

世間一般的に控えたほうが良いとされているだけです。

 ご自身で、「しないほうがいいかな」と気になるようでしたら、控えていただいた方がよいでしょう。

 

それでは、よいお正月をお迎えください。

 

 追伸

玉圓寺では、毎年元旦に、百燈明会(修正会)を、お勤めしています。

一年の計は、元旦からと申しますように、お寺に出向き本堂で手を合わせお勤め(回向)することにより、一年の邪気が飛び、お勤めをされた家は、栄えると言われています。

玉圓寺では、ひと家族様ごとに、個別回向(お勤め)を致しております。

 

百燈明会 1月1日 9時~16時

 

喪中の方は、ぜひお寺にお参りして、ご先祖様のご回向(お勤め)をしてあげて下さい。

 

和尚のひとりごとNo105「享年 行年と満年齢の数え方」

 

享年 行年と満年齢の数え方を図にしてみました。

20161101

享年・行年は生まれてから経た年数です。

東洋の考え方では、「生まれた時」は「懐妊した時」と考え、母親の胎内で過ごした時間を加えます。

実際には、「懐妊した時」は特定できないので、胎内で過ごす期間を1年と考えました。

また、歳は個人がとるものではなく、みんな一緒にとるものだと考え、元旦(1月1日)に歳をとるようになりました。

 

などから、

「生まれた年を1歳とし、以後、正月元旦に1歳ずつ加えて数える」という「数え年」の考え方ができました。

満年齢は、明治以降に法律によって決められました。

和尚のひとりごとNo104「八大地獄」②

 

和尚のひとりごとNo103に引き続き地獄についてご案内いたします。

等活地獄のつぎの地獄は「黒縄地獄(こくじょうじごく)」です。

黒縄地獄は殺生の罪に加えて盗みの罪を重ねた者が堕ちる地獄です。

黒縄とは板を鋸(のこぎり)で切るときに目じるしとなる線を書くための道具のことです。

この地獄に堕ちると、熱く焼けた縄(黒縄)で身体をぐるぐる巻きにされ、線が引かれます。その線にそって、地獄の獄卒たちが熱く焼けた鋸や鉄の斧などで切り刻まれるといわれています。その苦しみは、等活地獄の10倍であるとされています。

黒縄地獄の寿命は、1000年とされています。黒縄地獄の1日は天の世界のうちの忉利天(とうりてん)の世界の1000年であり、忉利天の1日は人の世界の100年とされています。

黒縄地獄の寿命を人の世界の時間にすると13兆3225億年になります。

 

黒縄地獄の次は、「衆合地獄(しゅごうじごく)です。

衆合地獄は殺生の罪 盗みの罪に加え、邪淫の罪を犯した者が堕ちる地獄です。

この地獄には、刀葉樹(とうようじゅ)呼ばれる葉が刃(やいば)になっている樹があり、その樹に美しい女性がいるといされています。

その女性は樹の上や下に現れ、ここに堕ちた罪人は、女性の姿を追い求めて、樹の昇り降りを繰り返し、刃の葉で、その身の肉が割かれ(さかれ)、心もずたずたに切り刻まれるといわれています。

その苦しみは、黒縄地獄の10倍だといわれています。

衆合地獄の寿命は、2000歳とされています。衆合地獄の1日は、天の世界のうちの夜摩天(やまてん)の世界の2000年であり、夜摩天の1日は、人の世界の200年とされています。

衆合地獄の寿命を人の世界の時間になおすと、106兆5800億年になります。

 

地獄の怖い話ばかりだと、憂鬱な気分になってきますので、また別の機会にさせていただきます。

和尚のひとりごとNo103「八大地獄」

 

和尚のひとりごとNo102に引き続いて地獄について紹介します。

 

 「往生要集」には、地獄は大きく八つに分かれていて、生前に犯した罪の重さによって堕ちる先が変わると、説(と)いています。

 

 最も罪の軽いものが堕ちるところから、「等活(とうかつ)地獄」「黒縄(こくじょう)地獄」「衆合(しゅごう)地獄」「叫喚(きょうかん)地獄」「大叫喚地獄」「焦熱(しょうねつ)地獄」「大焦熱地獄」「無間(むけん)地獄 [又は阿鼻(あび)地獄]」と分かれます。

 

 これらを併せて「八大地獄」と呼びます。

 それぞれの地獄について紹介していきます。

 

 「等活地獄」は殺生の罪を犯したものが堕ちる地獄です。

「等活」とは、「等しくよみがえる」という意味です。

 

この地獄に堕ちると、罪人同士の殺し合いや、地獄の番人たちの責め苦(せめく)が果てしなく続き、たとえ死んだとしてもふたたびよみがえり、また同じ責め苦が繰り返されます。

 

 この地獄に堕ちた罪人の寿命は500歳です。500歳といっても、私たち人の世界の500年では有りません。

天界はいくつもの世界に分かれています。その中で四天王(増長天 持国天 広目天 多聞天 )がいらっしゃる世界が四大王衆天です。

 

四大王衆天の一日は、私たち人の世界の50年です。その四大王衆天の500年が等活地獄の一日になります。

 等活地獄の500年は、人の世界の時間にすると、1兆6653億1250年にもなります。

 

 罪が軽いものが行く「等活地獄」でもこれほどの苦しみを受けるとは、想像を絶します。その他の地獄の苦しみは、どのようなものでしょうか。

次回は、「黒縄(こくじょう)地獄」「衆合(しゅごう)地獄」の紹介です。