Monthly Archives: 8月 2020

和尚のひとりごと「伝道掲示板114

aiba

 

遂に意を決して年の十二月八日の中夜、人定まれる時刻を以て私(ひそ)かに宮を出(い)で、車匿(チャンナ)に命じて、白馬犍陟(はくばカンタカタ)を牽かしめ、之に騎して夜中に城を去り給えり
『釈尊伝』より

若きゴータマの出家は皆が寝静まった夜半のことであったという
城の者たちは皆眠りふけり、ただ王子と従者車匿(チャンナ)
また愛馬カンタカタのみが目を覚ましていた
世界は深い眠りに落ち、ただひとり王子のみが目覚めに向けて歩み出そうとしていた

shaku

出城(野生司 香雪画伯)

和尚のひとりごと「伝道掲示板113

 muryou

無量億劫(むりょうおっこう)にも値(あ)ひ難く見奉(みたてまつ)り難し
猶(なお)霊瑞華(れいずいけ)の時々に乃ち出(い)づるが如し
『無量寿経』より

大悲をもって道を説き給う仏の世に出でたるに出会えることが
稀にみる僥倖であることを譬えていう

浄土宗の法然上人は教法に出会えた喜びをこのように残した。
釈尊の在世(ざいせ)に遇わざる事は悲しみなりといえども、教法流布(きょうぼうるふ)の世に遇う事を得たるは、これ悦(よろこ)びなり。譬えば目(め)しいたる亀の、浮き木(うきぎ)の穴に遇えるがごとし。
「登山状」より

『優曇華(うどんげ)』

千年に一度花を咲かすといわれる『優曇華(うどんげ)』

和尚のひとりごと「伝道掲示板112

kiku

聞くを羞(は)じて問わずんば後に羞を来すべく、
生死を畏(おそ)れずして放逸(ほういつ)に過ぎならば後に畏れを来すべし
『出曜経』

尋くは一時の恥、訊かぬは一生の恥
実行すべきは今この時しかない
仏の実践した不放逸の教えは即断、実行を常に求めている

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和尚のひとりごと「伝道掲示板111

buppo

佛法(ぶっぽう)の大海(たいかい)には信(しん)を以て能入(のうにゅう)とす(龍樹『大智度論』より)

汲み出せども汲み出しきれぬ大海にも譬えられる仏の教えに入るには
信ずる心こそが不可欠である

智度は”般若波羅蜜”の訳
中観派の祖である龍樹による空の教えの浩瀚な注釈である

pixta_13068242_M紺紙金字大智度論が伝えられる京都 神護寺

和尚のひとりごと「伝道掲示板110

8-27

映画『リトルブッダ』よりラマ僧ノルブのことば

我々を取り巻くこの世界は
たとえその姿を変えても残るだろう..
しかしながらそれを見る人間たちは
常に吹き荒れる無常の嵐にさらされて生きている

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映画の舞台となったネパールのボダナートの仏塔に描かれた覚者の眼

和尚のひとりごと「伝道掲示板109

8-26

“生まれによって賤しい人となるのではない。
生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賤しい人ともなり、
行為によってバラモンともなる”
(原始仏典『スッタニパータ』より 中村 元 訳)

お釈迦さまの言葉
生まれや出自ではなく、家柄でもなく
自らの行いこそが自らを尊い存在と成しえる。
あらゆる身分制度や差別の根拠を覆す力強いことば。

Dr._Bhimrao_Ambedkar

 

独立後のインド憲法を起草したアンベードカル
アウトカーストの出身であったが平等思想としてのブッダの教えを奉じた

和尚のひとりごとNo318「法然上人御法語第二十八」

前篇 第28 来迎引接(らいこういんじょう)

gohougo

~来迎は本来的に定まっている~

【原文】

法爾(ほうに)の道理(どうり)と云(い)う事(こと)あり。炎(ほのお)は空(そら)に上(のぼ)り、水(みず)は下(くだ)り様(さま)に流(なが)る。菓子(かし)の中(うち)に酸(す)き物(もの)あり、甘き物あり。これらはみな法爾(ほうに)の道理(どうり)なり。

阿弥陀佛(あみだぶつ)の本願(ほんがん)は、「名号(みょうごう)をもて罪悪(ざいあく)の衆生(しゅじょう)を導(みちび)かん」と、誓い給(たま)いたれば、ただ一向(ひたすら)に念仏だにも申(もう)せば、仏(ほとけ)の来迎(らいこう)は法爾(ほうに)の道理(どうり)にて疑いなし。

勅伝第21巻

 

dai28

【ことばの説明】

来迎引接(らいこういんじょう)

らいこういんじょう(来迎引接/来迎引摂)は、臨終を迎えた念仏者(浄土願生者)のもとに、阿弥陀仏と聖衆(しょうじゅ)が極楽浄土より迎えに来て(来迎)、浄土へ導いて下さること(引接)。無量寿経に説かれる法蔵菩薩の四十八願中、第十九願に誓われた内容。

法然上人によれば、来迎引接は、死に際して起こるであろう生への執着心や後生への不安を滅ぼし、念仏者を正しく定まった安らかな心にて浄土へ向かわせる為のものであるという。

 

法爾(ほうに)の道理(どうり)/法爾道理

原語はdharmatā-yukti(ダルマター・ユクティ)。異訳語として「法性(ほっしょう)」、「法然」、「自然(じねん)」ともいう。本来的に定まっている物事のありよう、姿のこと。

 

【現代語訳】

本来的に定まっている摂理というものがあります。例えば炎は天空に向かって立ち昇り、(逆に)水の流れは高きから低きへ向かいます。また果物には酸っぱい種類のものもあれば、甘い種類のものもあります。これらこそがまさにそのままの在り様で本来的に定まっている摂理であります。

(さて同様に)阿弥陀佛の本願というのは「名号によって罪深く悪を為さざるを得ない人々を救おう」と誓われたものに他なりませんので、ただ只管(ひたすら)に念仏さえ称えれば、彼の仏の来迎も本来的に定まっている摂理であり、疑う余地はありません。

 

来迎引接が自然法爾である、つまり動かしようのない事実である。あたかも天に向かう炎や高きより低きへ落ちる水のように。

伝承された経中にて仏の言葉として誓われた確かな事実、それを信受された元祖上人の、

冷静でありながら力強い御言葉です。

合掌

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板108

nyojitsu

如実知見(にょじつちけん)

事実を事実に即して受け止め、見極めること。
実相は受け入れるものである。
そしてこの世の実相は諸行は無常、諸法が無我であることに尽きる。
では如実知見の対象は「無常な諸法」であろうか?
「永遠なる理法」であろうか?

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ツイッターの画像を引用させて頂きました。

和尚のひとりごと「伝道掲示板107

dokko

独生独死独去独来
(どくしょうどくし どっこどくらい)

独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる(『仏説無量寿経』)

人はこの愛欲の世間にひとりで生まれ、ひとりで死に、ひとりで去り、ひとりで来るのだ。行うところに随って苦しみの人生を得たり、幸福な人生を得たりする。行う者自身がその報いを受けるのであり、代わりに受けてくれる者はだれもいないのだ(紀野一義師訳)

この厳しい言葉を生を懸命に生きることへの励ましであると信受する。

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釈尊はこう述べた。
「犀の角のようにただ独り歩め」(『スッタニパータ』)

和尚のひとりごと「伝道掲示板106

施餓鬼

“どうか一切如来、ならびに観世音菩薩よ
この仏前に供えた飲食を飢えに苦しむ有情たちにお送りくださいますように”

仏より阿難に授けられた「無量威徳自在光明大聖妙力の神呪」より

餓鬼とは癒しようのない飢えと渇きに悶えている存在
目に見えないかも知れないが、
普段の生活では気に留めないが
そのような哀れな生存があるかも知れない
そのような者たちに施しをすることで慈悲の心を育てる

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