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和尚のひとりごとNo812「幸せへのスタート」


 ある大学で教授が「クイズの時間です!」と大きな壺を一つ取り出し教壇に置きました。その壺に教授は一つ一つ大きな石を詰めていきました。壺が一杯になる迄石を詰めて学生達に聞きました。「この壺はもう満杯か?」教室中の学生が「はい。」と答えました。「本当にそうだろうか?」そう言うと教授は教壇の下からバケツ一杯の小石を取り出しました。そしてその小石を壺の中に流し込み壺を振りながら、石と石の間を小石で埋めていきました。そしてもう一度聞きました。「この壺は満杯か?」すると一人の生徒が、「多分違うだろう。」と答えました。教授は「そうだ。」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツを取り出しました。それを石と小石の隙間に流し込んだ後、三度目の質問をしました。「この壺はこれで一杯になったのだろうか?」学生達は声を揃えて、「いいや。」と答えました。教授は水差しを取り出し、壺の縁迄なみなみと水を注ぎました。彼は学生達に最後の質問を投げかけます。R4itigatu

 「私の言いたい事が分かるだろうか?」すると一人の学生が手を挙げました。「どんなにスケジュールが一杯でも最大限の努力をすればまだ予定を詰め込む事は可能だという事です。」それを聞いた教授は「そういう考えもあだろうが今私の言いたい事とは違う。」と言いました。「今回の重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私達に示してくれる教えは、大きな石を先に入れない限り、それが入る余地はその後二度と無いという事なんだ。つまり水や砂を先に入れてしまうと、もう大きな石を入れる事は出来ない。さて君達の人生にとって“大きな石”とは何ですか?」と教授は話し始めました。「それは、仕事であったり、志であったり、夢や目標であったり。ここで言う“大きな石”とは、君達にとって一番大事なものです。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。もし小石や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしたならば、君達の人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう。そして大きな石、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。」

 このお話での壺とは「人生の時間」の比喩であり、大きな石とは「人生の大切な何か」の比喩です。皆さんにとっての“大きな石”とは何か、先に入れるべきものは何でしょうか。人によって「壺」の大きさは異なります。人生が長い人もいれば、短い人もいます。その様な意味で壺の大きさは人によって異なります。しかし自分自身の一生涯の時間はどこまで続くのかは誰にも分かりません。その時間をいたずらに無駄にしてしまう過ごし方、有効な時間の使い方は様々です。大きな石は、人生の大切な何かです。

 浄土の御教えはこの世で命終える時に阿弥陀様にお迎えに来ていただいて、西方極楽浄土に生まれさせていただくという御教えです。先ずは“信仰”という大きな石を先に納めていただいて、日々の日常を幸せに過ごしていただければと思います。先に後世(ごせ)を確立して現世(げんぜ)を穏やかにお念仏を申して過ごして参りましよう。