Monthly Archives: 1月 2022

和尚のひとりごと「伝道掲示板544」

20220111

アーナンダよ
今やわたくしは老いさらばえ、人生の旅路の果てにさしかかり
老齢となった。
もはや齢八十に達している。
老朽化した車は修繕を重ねることで
かろうじて動くようになる
わたくしの身体もまた然りである。
『大般涅槃経』より

和尚のひとりごとNo821「法然上人御法語後編第二十七」

仏神擁護(ぶっしんおうご)

【原文】
宿業(しゅくごう)限りありて受(う)くべからん病(やまい)は、いかなる諸(もろもろ)の仏(ほとけ)・神(かみ)に祈るとも、それによるまじき 事(こと)なり。祈るによりて病も止(や)み、命(いのち)も延(の)ぶる事あらば、誰(たれ)かは一人(いちにん)として病(や)み、死(し)ぬる人あらん。
況(いわん)やまた、仏(ほとけ)の御力(おんちから)は、念仏(ねんぶつ)を信(しん)ずる者(もの)をば、転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と云(い)いて、宿業限ありて重く受くべき病を軽(かろ)く受けさせ給(たま)う。況や非業(ひごう)を払(はら)い給 (たま)わんこと、ましまさざらんや。
されば念仏を信ずる人は、たといいかなる病を受(う)くれども、「皆(みな)これ宿業なり。これよりも重(おも)くこそ受(う)くべきに、仏の御力(おんちから)にて、これほども受(う)くるなり」とこそは申(もう)すことなれ。
我等(われら)が悪業(あくごう)深重(じんじゅう)なるを滅(めっ)して極楽(ごくらく)に往生(おうじょう)するほどの大事(だいじ)をすら遂(と)げさせ給(たま)う。まして此(こ)の世(よ)に、幾程(いくほど)ならぬ命(いのち)を延(の)べ、病を助(たす)くる力、ましまさざらんやと申(もう)す事なり。されば、「後生(ごしょう)を祈り、本願(ほんがん)を頼(たの)む心も薄(うす)きひとは、かくのごとく、囲繞(いにょう)にも護念(ごねん)にもあずかる事なし」とこそ善導(ぜんどう)は宣(のたま)いたれ。同じく念仏すとも、深く信(しん)を起して穢土(えど)を厭(いと)い、極楽を 欣(ねが)うべき事なり。

浄土宗略抄

koudai27


【ことばの説明】
転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)
「重きを転じて軽く受く」と読み、仏によって本来受けるべき重い罪の果報が転換され、軽く受けさせるように仕向けて下さること。

宿業(しゅくごう)
現世において受けるべき報いの原因となった前世における行い(主に悪業)のこと。

非業(ひごう)
前世の行いが原因として特定できない報いのこと。

穢土(えど)
穢れに満ちた清らかならざるこの世界のこと。


【訳文】
前世の悪業の報いとして定まり、当然受けるべき病について、いかに神や仏に祈ったところで、その祈りが効果をあらわすことはないでしょう。もし祈ることで病が癒え、寿命が延びることがあるならば、誰一人として病に犯され、死んでいく人はいなくなるでありましょう。
もちろん、また仏のお力は、念仏を信じる者については「重きを転じて軽く受く」といって、本来前世に作した悪業の報いとして定まっているはずの病を、軽く受けさせるようにしてくださいます。ましてや前世の悪業によらないいわれなき災いに関しては、なおさら防ぎ払ってくださらないことなどありましょうか。
したがって念仏を信じる者は、たとえその身でいかなる病を受けることになろうとも、「皆これは私の身がかつて行った行為の報いなのである。これよりももっと重く重く受けるはずだったが、仏さまのお力によってこの程度で済んでいるのだ」と考えるべきなのです。
私たちのかつての行いがまことに深く重く罪深いものであっても、それを消滅させて、極楽世界に往生させてくれるほどの大きな事を成し遂げて下さる、それが仏さまであります。ましてやこの世で、幾ほどかの寿命を延ばして、病を癒えさせることくらいの力が無いはずはないというものです。ですから「来世の安楽を願い、本願にたよる気持ちの薄い人は、このように、仏菩薩が我が身を包んで下さることもなく、その守護をこうむることもないのである」このように善導大師は仰られたのです。同じように念仏をするのでも、心より信心を起こし、汚れたこの世界を厭い、極楽世界を願うべきなのです。


仏の本願の御力を信ずる気持ち、それが強まれば強まるほど、我が身に降りかかる災いに対しての捉え方も変わってくるかも知れません。この御法語に示される元祖のお言葉をしっかりと受け止めたいと思います。

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板543」

20220109

アーナンダよ
今やわたくしは老いさらばえ、人生の旅路の果てにさしかかり
老齢となった。
もはや齢八十に達している。
老朽化した車は修繕を重ねることで
かろうじて動くようになる
わたくしの身体もまた然りである。
『大般涅槃経』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板542」

20220108

眠れぬ人に夜は長く
疲弊した人にさらなる一里の道のりは遠い
正しき真理を知らぬ愚者にとり
生死の道のりは果てしなく長い
『ダンマパダ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板541」

20220107

帝釈天が神々のうちで高位にあったのは
七つの誓戒を保っていたが故である。

”父母を養う
年長者を敬う
柔和なる言葉をつかう
謗ることをやめる
吝嗇な心を捨て、喜んで与える心を持つ
他の懇願に応じて布施を楽しむ
真を語り
怒ることがない”

そのような者でありたい、と。
『相応部経典』帝釈相応より

和尚のひとりごと「伝道掲示板540」

20220106

百の特徴を持ち、百の特相を具えるものがあり
その一部の特徴しか見ない者は、思慮浅はかなる者であり
百の特相を見る者こそ賢者である
『長老偈』スヘーマンタ長老の言葉より

和尚のひとりごと「伝道掲示板539」

20220105

悪を行い、それを隠し
どうか誰にもわたくしのしたことが悟られぬように
と隠し事をする人
このような者が賤しき人であると知れ。

かつて饗しを受けながら、自ら客を招く段になると返礼をせぬ人
このような者が賤しき人であると知れ。

バラモンや道の人、もの乞う人たちに嘘をつき騙す人
このような者が賤しき人であると知れ。

食すべき適切な時間となっても
バラモンや道の人を罵り、食を施さぬ人
このような者が賤しき人であると知れ。

この世の迷妄にどっぷり浸かり、僅かなものを欲しいばかりに
事実に違うことをしゃべる人
このような者が賤しき人であると知れ。

自らを褒め称え、他人を軽蔑し
慢心のあまりに下劣な存在となっている人
このような者が賤しき人であると知れ。
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板538」20220104

証人台に立ったときにも
自らの保身の為、誰か他人の為、あるいは財を得る為に
偽りを語ってはばからない人
このような者が賤しき人であると知れ。

ときには暴力によって、ときには互いに愛すことによって
親族や友人の妻と交わる者
このような者が賤しき人であると知れ。

己は豊かな財を持ちながら、年老いた父母を養わぬ人
このような者が賤しき人であると知れ。

血を分けた母、父、兄弟、姉妹または義母を打ち据え
言葉により罵る人
このような者が賤しき人であると知れ。

忠告を求められても、相手の利益を考えず
不利益となることを教え、隠し事をする者
このような者が賤しき人であると知れ。
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板537

20220103


”賤しき人とはどのような人でありましょうか?”
火に事えるバーラドヴァーシャ婆羅門に対して釈尊は説かれた。

”怒りやすく、怨みを抱いて、邪悪であり、見せかけにて人を欺いている
誤った見解の持ち主、他人に対して底意ある人
このような者が賤しき人であると知れ。

母親の胎内より生ずる者、卵より生ずる者
およそこの世界の生き物に害を与え、憐れみを持たぬ者
このような者が賤しき人であると知れ。

村落を破壊し、包囲網を張って、圧制者として振る舞う者
このような者が賤しき人であると知れ。

村落にあっても、森にあっても
与えられぬものを他人より奪う者
このような者が賤しき人であると知れ。

実際のところ負債を抱えているにも関わらず
返済を促されると知らぬ顔をして言い逃れをする者
このような者が賤しき人であると知れ。

まことに僅かなものを欲するあまり、道行く人を殺害して
奪い取る者
このような者が賤しき人であると知れ。”
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板536

20220102

腹を立てたバラモンがやって来た。
釈尊はこのように仰った。

”汚れなき者、咎なき者を汚すならば
その禍は汚した者自身に返ってくる。
それはあたかも風向きに反して細やかな砂を投げても
それは必ず自分に戻ってくるようなものだ。”

バラモンはそのまま釈迦の教えを聴く者となった。
『相応部経典』婆羅門相応より