Monthly Archives: 5月 2022

No958「五重相伝Q&A 2」

Q. 檀家になっている寺は檀那寺と呼ぶのですか?

A.  はいそうです。檀那寺とはご自身、もしくは家が帰依しているお寺のことで菩提寺とも呼びます。そして菩提寺や自らが帰依するお寺のお坊さんは、仏法やお念仏の教えとの関係を切り結び、深めてくれる大切なご縁となります。
檀那(ダーナ)とはインドの言葉で施主を意味し、昔から仏法を支え後世へと伝えていくのに大きな役割を果たしてきました。

※あくまでも「和尚のひとりごと」の見解です。

No956「五重相伝Q&A 1」

Q. 五重相伝を卒業(? 表現がわかりません)したら在家出家したことになりますか?

A.  私たちは五重相伝のような大切な行を「満行 まんぎょう(成満 じょうまん)」したと呼びならわしています。
「在家」と「出家」は本来相反する意味合いを持ちます。かつてお釈迦さまが真の道を求められたとき、家を出て、王位を捨て、財産からも離れた生活を選ばれました。これが仏教における出家のはじまりであり、私たち僧侶もまたお釈迦さまの歩まれた生活を理想として日々精進すべきものとされています。在家とは仏法に寄り添いながらも、家を出る事なく自らの社会的責務を果たしている皆さまのことです。
ご質問ですが、五重相伝を受け教えの奥義を受け継いだ皆さまは、出家でこそありませんがそれに準じた貴い経験を経て今に至ります。皆さまには五重相伝で受けたお念仏の、み教えを得難き糧として、これからの人生を歩んで頂きたいと思います。

※あくまでも「和尚のひとりごと」の見解です。

和尚のひとりごとNo954「偉人の名言85」

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他人の事を良く知ってる人は智者であるが、
自分のことを知っている人は賢者である。
人に勝つものは力があるが、
自分に勝つものは真の強者である。

老子

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和尚のひとりごとNo951「こころの声に耳を澄まそう」

顔をじっくり見てみると不思議な事に気がつきます。何が不思議か?顔の中には二つ有るものと、一つしかないものがあります。目が二つ、耳も二つ有ります。ところが口は一つだけです。日常の働き、それぞれの普段の仕事量を考えると実に不思議です。目というのは何の仕事をするのか。目は見るのが仕事です。他にはあまり働きはありません。一つしか仕事が無いのに目は二つ有ります。耳は聞くのが仕事です。耳もまた二つ有ります。ところが口はどうでしょうか?話をするのが口です。食べるのも口です。風邪をひいて鼻が詰まれば、息の出し入れは口がしないといけません。口は二つも三つも働きがあるのに一つしかなく、一つしか仕事が無い目と耳は二つ有ります。何故そうなっているかが、歌で詠まれています。2022gogatu
   『人間は耳が二つに口一つ 多くを聞いて少し言う為』
 いかがでしょうか。多くを聞いて少し言う為に、耳は二つで口は一つだそうです。この歌は、「二つの目は、しっかり活用して世間の事を見なさい。世間の事はしっかり二つの耳で聞きなさい。けれども聞いた事、見た事は半分しか喋らない様に」と口は一つしかないと戒めているのです。果たして私達はその様に使えているでしょうか。人間は見なくてもいいと言われても、見たくなるのが性分です。何でも聞きたくなり、更に見た事、聞いた事を一つしかない口で、二倍三倍も喋って噂話に花咲かせるのが愚かな人間の性分です。
 今もなお新型コロナウイルスという目に見えないウイルスに脅かされる日々です。この二年程の間に生活様式も随分変わってきました。また物の買い占めがあったり、ウイルスに罹った人への思いやりのない言葉を耳にしたり、その様な事をしてしまう人の心を恐ろしく感じる時もあります。私達の目には見えないウイルスを恐ろしく感じ、心も動揺してしまうのです。
   目に見えず 耳に聞こえず 手に触れず 心に触れる弥陀の御光(みひかり)
 私達を日々お照らしくださっている阿弥陀様の救いの御光も目には見えません。しかし目には見えないけれども阿弥陀様の御光は私達を常に照らしてくださっているのです。それに気づかせて頂いたならば、阿弥陀様のお慈悲の心を頂いて、思いやりの心を持って人々に接していく事が出来るのです。そして今まで日常で当たり前に出来ていた事が、本当は大変に有り難い事で、沢山の方々、沢山の物事のご恩の中で生かされていた有り難さを、改めて知る事が出来ていくのではないでしょうか。「世の中の全てを“おかげさま”と喜べる人は幸せです」これは浄土宗の大本山、百万遍知恩寺・第七十五世法主、服部法丸(はっとりほうがん)台下のお言葉です。今は困難な時ではあるけれども、よく考えてみたならば、沢山のご恩の中にいる私だと喜ばせて頂く。そう受け取る事でこの世を幸せと生かさせていただけるのです。そして、お念仏の御教えをお示しくださいました法然上人のご恩を想い、共々にお念仏を申して暮らして参りましょう。