伝道掲示板

和尚のひとりごと「伝道掲示板391

konoyo

”アヌルッダよ
この世には様々な力が存在する。
これらの中で最も優れた力は何か。
それは幸いの力である。”
『増一阿含経』より

本当の幸いとは何か?
釈尊は自らほど真剣に幸いを追求している人はいないであろうと仰っている。

和尚のひとりごと「伝道掲示板390

kurusimi1

”この世に存在する様々な苦しみは、そもそもどこからやって来たのでしょうか?”

”メッタグーよ。
私が知り得た通りに、そなたに説き示そう。
この世の様々な苦しみは、実に執着を縁として生ずる。

その事を自覚する事なく執着する者は愚かであり、繰り返し繰り返し苦しみに近づいていく。
だからこそ、自覚する事があり、この苦しみの起源を観察した人は
再び生まれる事を引き起こす原因を作ってはならない。”

和尚のひとりごと「伝道掲示板389

syoku

”汝等比丘、諸々の飲食を受けること
まさに薬を服するが如くすべし。
好(よ)きにおいても悪しきにおいても
増減を生ずることなかれ。
わずかに得て身をささえて
以て飢渇を除け。

蜂が花を採るに
ただその味のみを取って
色香を損ぜざるが如し。”
『仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっすいはつねはんりゃくせつきょうかいぎょう)』より

飲食は薬のように食すべきである。
あたかも花の蜜を求める蜂が
決してその色や香りを損なうことがないように。

仏による食の戒めである。

和尚のひとりごと「伝道掲示板388

seiwo

”私は死を喜ばず
また生をも喜ばない。
雇われた者が仕事の報酬を待つように
私はただ死がやってくるのを待つ。
正しく知り、正しく注意を払いながら
ただ死を待つ。
私は師ブッダに従い、彼の教えを実践した。
生存の重荷は捨て置かれて久しく、
再び生存へと導く要素は全て破壊された。
家なき身として出家した私の目的は果たされた。”

初転法輪において最初に法眼がアンニャーシ・コンダンニャ(憍陳如)長老の言葉。

和尚のひとりごと「伝道掲示板387

kisoiau 1

”正しい教えも理解できない者たちがいる。
心が汚れ、他人に牙をむこうとするねじ曲がった心の持ち主である。
他者に対する闘争心を捨て、競い合う事を止め、
不信の心根を除くならば、正しい教えを信受することが出来るであろう。”
『相応部経典』婆羅門相応より

和尚のひとりごと「伝道掲示板386

hutatunoi

ビハールの一角にガンジスの支流のひとつバルガ川がある。
かつて尼連禅河(ナイランジャラー河)と呼ばれたこの川の畔の菩提樹の下で
釈尊は降魔成道を成し遂げ、覚った者となった。

釈尊は川を漕ぐ船頭の言葉により苦行から禅定へと歩みを変えたという。

もしそなたの琴の弦が張り過ぎたならば、琴の音色はひびくだろうか?

もしそなたの琴の弦が緩すぎたならば、琴の音色はひびくだろうか?

もしあなたの琴の弦が張りすぎず、緩すぎず、
丁度よいころ合いで張ってあったならば、琴の音色はひびくだろうか?

仏教の道は、苦行の果てに命終わることを理想とするジャイナ教とは異なり
感官を抑制せず、恣に進む道ともまた異なる。
禅定により万象の真実を見極める道である

和尚のひとりごと「伝道掲示板385

taxtuta

かつて王舎城郊外に500人もの子供を持つハーリティー(鬼子母神)が住んだ。彼女は近隣の幼児を次々とさらい、食い殺していたため、大変恐れられていたという。
釈尊はその500人の子供たちの中で、ハーリティー最愛のプリヤンカラを神通力によって隠してしまった。見失った我が子を求め狂乱する彼女に釈尊が説いて云わく。
汝、500人の子供の中でたった一人を失った事で悲しみに暮れている。
では、たった一人の子供たちを失った世の親たちの事を思うがよい。

伝説によれば釈尊のこの説示によりハーリティーは仏の教えに帰依し、善神となったと伝えられる。

鬼子母神のこの説話は義浄三蔵のもたらした『根本説一切有部毘奈耶雑事』をはじめ、数々の書に伝えられ、北東インドより東南アジアの広きにわたって親しまれてきた。

和尚のひとりごと「伝道掲示板384

hitono1

”比丘らよ、このガンジス川の処々に水の流れが渦まく姿があるだろう。
しかしよく観察してみるとよい。
何処にも渦巻そのものは存せず
渦巻の本質と呼べるものも存在しない。
人もまたかくの如く
絶えず変遷し、ひと時も同じ姿を保っていないのである。”
『相応部経典』蘊相応より

和尚のひとりごと「伝道掲示板383

jyasuminn

”比丘らよ
汝らは貪りと怒りを捨て去れ
あたかもジャスミンの花が
惜しげもなく自らの花びらを次から次へと落としていくように”

和尚のひとりごと「伝道掲示板382

zangenonenn

酒に溺れていた生活を反省し
ある老人が釈尊のもとを訪ねた。
数多くの罪業の報いに怖れ慄きながら。
釈尊は仰った。
”白象が引く五百台に積んだ薪を降ろし
これを焼き尽くすには何百台分の火種が必要だろうか?”

老人答えて云わく。
”ほんの僅かな火種さえあれば
火は燃え広がります。”

釈尊は真の懺悔の念があれば
積み重ねた罪業を消すに十分であることを示したのであった。