伝道掲示板

和尚のひとりごと「伝道掲示板371

akugyou

コーサラ国王は云わく。
”自己より愛しい存在はないと口にしながら悪を為す者は
自己を敵の如く扱う事ではないのか”

釈尊がそれに対して仰るには
”誰であれ、その身体で、言葉で、心によって悪を為す者たちは
その者自身にとり自己は愛すべき者ではない。
もし自己を大切に考えるならば、
自身を悪から遠ざけなければならぬ。
悪行を為す者に、安楽が訪れる事は、実に容易なことではないのだから。”

コーサラ・サンユッタ(拘薩羅相応)より

和尚のひとりごと「伝道掲示板370

konoyo

”この世には母でさえもその子を救い得ず
子供もその母を救い得ない三つのケースがある。
それは「老い」と「病への恐怖」と「死にゆくことの恐れ」とである。
我が母が老いさらばえてゆくのを、その子が身代わりになることが出来ようか?
我が子が病によって苦しむ姿をみても、母はその代わりに病の苦しみを引き受けることが出来ようか?
我が子の死、母親との死別、いかに母子であっても、互いに身代わりになれないことが存在する。
いかに深い愛情で結ばれていようとも、このような場合には
絶対に助けることがかなわないのである。”

和尚のひとりごと「伝道掲示板369

jikai

”居士らよ、持戒者に備わる功徳には次の五つが数えられる。
第一に、財を得られること
第二に、周囲より良い評判を得られること
第三に、会合を開いたときに、何事にも動じない落ち着きを得られること
第四に、臨終の際において、精神が錯乱することを免れること
第五に、死後に今より善き境涯、つまり天界への生まれることが出来ること
以上である。”

居士(グリハパティ)とは在家の身でありながら、戒を守り、仏道を歩まんとした人たちのこと。
釈尊は在野にあっても、持戒の功徳がかくの如くであることを説いた。

和尚のひとりごと「伝道掲示板368

baramon


”錐の先から芥子粒が落ちるが如く、愛着と憎悪と高慢と欺瞞とが脱落した人
このような人を、私はバラモンと呼ぶ。

荒々しい態度に出ることなく、物事の本当の姿を明確に伝え
言葉によって何人の感情をも害することなき人
このような人を、私はバラモンと呼ぶ。

この世において、長いものであれ短いものであれ
微細なものであれ粗大なものであれ
浄らかであろうと汚れていようと
いかなるものについても、与えられていないものを取らない人
このような人を、私はバラモンと呼ぶ。

現世に望みを持たず、来世にも望みを持たず
欲求を持たずして、捉われのない人
このような人を、私はバラモンと呼ぶ。”

バラモンとは尊敬に値する人を指している。
ここに表されている釈尊が理想とした人格は
私達もまた目指すべき沙門の姿である。

和尚のひとりごと「伝道掲示板367

sandoku


”貪りと怒りと愚かさは熱の如くである。
人はこれらに苛まれて
あたかも発熱によって眠りにつけないように苦しめられている。

反対にこれら三毒がない人は
寒い季節の夜に、木の葉でできた粗末な寝床においても
また蒸し暑い季節の狭苦しい部屋の中においても
安らかに眠りにつくことができるであろう。”

和尚のひとりごと「伝道掲示板366

yamai

”私に病の自覚が生じたとき、
私に生まれた気づきは次の如くであった。
この私に病が生じた。
今や怠けている場合ではない。”

ウッティヤ長老の言葉。

和尚のひとりごと「伝道掲示板365

kakusya

”私は覚った方より八万四千の法を
また比丘らから二千の法を獲得した。
これこそがこの世界に回る法輪であり、現に現れている教えである。”

仏滅後の第一結集において
教えを誦出した阿難尊者の言葉。
阿難尊者は後世に至るまで
”経”を保つ者たちより尊崇されたと言われる。

和尚のひとりごと「伝道掲示板364

tennyo

”牛飼いダニヤはこのように言った。
成年に達した牛もいれば、未だ乳に頼る幼い牛もいる。
既に孕んだ牝牛もいれば、やがて交尾を行うであろう牡牛もいる。
そしてこれら牡牛たちの主である牡牛さえもいる。

天の神よ もし雨を降らさば降らせ。

釈尊は仰った。
私には成年に達した牛もいなければ、未だ乳に頼る幼い牛もいない。
既に孕んだ牝牛もいなければ、やがて交尾を行うであろう牡牛もいない。
そしてこれら牡牛たちの主である牡牛さえもいない。

天の神よもし雨を降らさば降らせ。”

牛はかけがえのない財産である。
在家にある身にとってそれは天が及ぼす災害に対しても備えとなるだろう。
しかし家なき身となった釈尊にとり
執着に値する財を持たない事こそ、将来に対する何の気苦労や慮りも持つ必要のない
真の自由の証であった。

和尚のひとりごと「伝道掲示板363

ameyo1


”我が住む庵(いおり)はよく葺(ふ)かれ、風も防ぎ、安楽である。
天の神よ、汝の思うがままに雨を降らせるがよい。
我が心は安静であり、既に解脱を成し遂げ、精進ある者としてここにいる。
天の神よ、雨を降らせるがよい。”

『長老偈(テーラガーター)』劈頭を飾る
スブーティ(須菩提)長老の言葉

和尚のひとりごと「伝道掲示板362

kurusimi 1

”欲情と憎悪の心
快いものとそうでないもの
あるいは身の毛もよだつ戦慄は
すべからく全ての愛執から生じている。

世間の人々は愛欲に対して執着する。
それはあたかもつる草が林の木々に蔓延るが如くである。

これらがどこから生じているのか
この理を弁える者は、
それを根源から断ち切るがよい。”