伝道掲示板

和尚のひとりごと「伝道掲示板172」

shujou

“衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし、衆生近きを知らずして、遠く求るはかなさよ、縦令ば水の中に居て、渇を叫ぶがごとくなり、長者の家の子となりて、貧理に迷うに異ならず”

最後は
“当処即ち蓮華国、この身即ち仏なり”と結ばれる。

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和尚のひとりごと「伝道掲示板171」

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“弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、偏へに親鸞一人がためなりけり”
弥陀の本願による救い、もっと言えば彼の仏の誓願自体が私のためのものである
そのことに気づくには師の言葉の如く
自身が愚鈍なる凡夫であること、救われ難き器であることを誠の心で見つめなければならない..

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唯円開基と伝えられる報佛寺の石碑

和尚のひとりごと「伝道掲示板170」

 doushin

最澄の遺誡として伝えられる。
仏道に揺るぎなく堅固な心
食うために修行するのか、修行する身を保つために食を得るのか..

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和尚のひとりごと「伝道掲示板169」

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“三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識(し)らず
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し”

迷いの生にある私たちは無明のただ中にあると釈尊は説いた。
無明(無知)こそが迷いを生み、生成流転の世界を現出する。
生の始まりは時間の起源であり、生の終りはこの世が幕を閉じる瞬間である。
自分自身のことさえ分かっていないことに気づかされる。

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和尚のひとりごと「伝道掲示板168」

 yuyu

次のように続く..
“擾擾(じょうじょう)たる四生、唯だ患(うれひ)にして楽しからず
牟尼の日久しく隠れ、慈尊の月未だ照さず、三災の危きに近づき、五濁の深きに没む。
加以(しかのみならず)、風命保ち難く露体消え易し”

いよいよ叡山に入ろうとする若き伝教大師の決意のことば。
菩薩の誓願がここにある。

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和尚のひとりごと「伝道掲示板167」

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菩提達磨から数えて六祖となる慧能禅師のことば。
師神秀曰く
「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し。時々に勤めて払拭(ほっしき)して、塵埃(じんあい)をして惹(ひ)かしむること勿かれ」
弟子慧能答えて云く
「菩提にもと樹なく、明鏡もまた台に非ず。本来無一物、何れの処にか塵埃をひかん」
『六祖壇経』

本来無一物が禅の境地
そして私たちの当たり前の本来の姿。

その捉われなき境地を蘇東坡はこう詠んだ。
“無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう) 花有り月有り楼台有り”

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和尚のひとりごと「伝道掲示板166」

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不識己有貧莫過此
空海『吽字義』

己を知る事こそが難しい。
誰もが自己の外ばかりを気に掛けるが
それは実のところ、自分自身を見ているに過ぎない
本当に問題にすべきこと
釈迦はそれのみを説き続けた。

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利剣持てる空海

和尚のひとりごと「伝道掲示板165」

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一休禅師はある夏の夜、鴉の声を聞いて豁然大悟したという。それを聞いた師匠は「羅漢の境地であり作家のものではない」と一喝、対し一休は「これが羅漢の境涯ならば私はそれで結構」と答えた。
聞いた華叟和尚は凡聖分別分かたれる以前の境地を悟ったという。

祥瑞寺

ゆかりの祥瑞寺

和尚のひとりごと「伝道掲示板164」

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天候不順、罪びと数知れず、荒れる世の中を統べるには神仏への信仰こそが肝要である。
そう信じて大仏発願を志した聖武天皇の残したことば。

奈良東大寺大仏は毘盧遮那仏、宇宙の根源を体現する仏の真の姿だという。
開眼の導師をつとめたのは、南インド出身の菩提僊那(ぼだいせんな)
天平勝宝4年(752年)4月に「大仏開眼供養会」が盛大に厳修された。

菩提僊那はまた20年以上の長きにわたりこの極東の島国で過ごしたのち
天平宝字4年(760年)2月25日、大安寺にて入滅したと伝えられる。
遥か西方を向き合掌したまま、57歳の生涯を閉じたという。

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聖武天皇の御前にて
右手奥に菩提僊那、手前に行基菩薩

和尚のひとりごと「伝道掲示板163」

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「溪声便ち是れ広長舌、山色豈清浄身に非ざらんや」
山川草木悉皆成仏
それは自己の心持ちに他ならない。

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