和尚のひとりごと「伝道掲示板334

『釈尊の言葉その30』

釈尊はあるとき、修行僧に仰った。
「比丘らよ、汝らが長い生死輪廻の中において
かつて愛した者との別離にあたって流した涙の量と、四大海の海水と
果たしてどちらが多いだろうか?」

「世にも尊き聖者よ、私たちは師の教えにより
かつての愛した者との別離において流した涙の方が
四大海の海水よりも多いことを承知しています」

「よいかな、比丘らよ
我らは生死輪廻の中において
父母の死別、我が子との死別、友との死別に遭い
じつに四大海の海水も及ばないほどの涙を流してきたのだ」

 合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板333

『釈尊の言葉その29』

身体により過ちを犯さぬように、護り慎んでおれ
身体による悪行を捨て、身体により善行をなせ。

言葉により過ちを犯さぬように、護り慎んでおれ
言葉による悪行を捨て、言葉により善行をなせ。

心により過ちを犯さぬように、護り慎んでおれ
心による悪行を捨て、心により善行をなせ。


身・口・意の三業により、人間のあらゆる行為(業)は尽くされる。
その各々について、悪を防ぎ、善を行うよう、まもり落ち着け、自らを調御(ちょうご)すること。
釈尊の教えはかくの如くであった。

 合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板332

『釈尊の言葉その28』

”ブッダはどのようなお方か?”
ある夜叉(精霊)は、別の夜叉に問われて次のように答えた。

”かくの如く立派な聖者であるブッダは
一切の生き物に対して、心安らかなまま動ずることなく
与えられないものを取らず
生き物を殺さないように心がけ
怠惰からは遠ざかり
常に注意を払っている。

偽りの言葉を吐かず、粗暴な言葉づかいをせず
陰口をたたかず、意味のないおしゃべりに興ずることもない。

欲望の享楽にふけることなく
心は濁らず、あらゆる迷いを克服し
目覚めたる者として、一切の物事を明らかに見通す眼を持っている。

明知を持ち、煩悩の汚れなく
その行いは清らかである。

彼はもはや再びこの世界に生まれるという事がない”

 合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板331

『釈尊の言葉その28』

 

釈尊が語る。
”母よ。そなたは、「ジーヴァーよ!」と叫んで、林の中で泣き叫ぶ。
ウッビリーよ。そなた自身を知るのだ。
同じジーヴァーと呼ばれた八万四千人もの娘たちがこの火葬場で荼毘に付されたが
そなたが悼むのは、その中の誰であるのか?”

ウッビリーは答えた。
“ああ、あなた様は、私の胸に突き刺さっていた見定めがたい矢を抜いて下さいました。
あなた様は、深い悲しみに打ちひしがれている私から、我が子を失った悲しみをより除いて下さいました。

今や私は、矢を抜き取られ、囚われの心無き者となり、安らぎを得ました。
私は聖者であるブッダと、その真理の教えと、修行者たちの集いに帰依致します。”

長老尼偈(テーリーガーター)は、釈迦に導かれた女性の修行者たちの言葉を集めたもの。
釈尊は子供の死を悼む者に対して、教えを説くのではなく、自ら覚らせる方法をとった。

 合掌

和尚のひとりごとNo576「法然上人御法語後編第十一」

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廻向発願心(えこうほつがんじん)
【原文】
 廻向発願心(えこうほつがんじん)というは、過去および今生(こんじょう)の、身口意業(しんくいごう)に修する所の、一切の善根(ぜんごん)を、真実の心をもて極楽に廻向して、往生を欣求(ごんぐ)するなり。これを廻向発願心と名づく。この三心を具しぬれば、必ず往生するなり。
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廻向発願心(えこうほつがんじん、又はえこうほつがんしん)
三心のひとつ。
自分自身が過去世より今までに為してきた全ての善き行い(善根)と、他者が為してきた善き行いを褒め称える心の全てを、三心の他の二心である「至誠心(誠の心)と「深信」(深く信ずる心)とに回向して往生を願うこと。
『観経疏』に説示された善導大師による廻向発願心のこの解釈を、法然上人はそのまま受け継がれた。
回向(廻向、パリナーマ)とは方向を転じて差し向けるが原意。
行い(業、カルマ)には必ず相応の報いがあり(因果応報)、自ら為した行いの報いは自身が受け取る事(自業自得)が原則である。たとえば善き行いは安楽をもたらし、反対に悪しき行いは苦悩をもたらす(善因楽果、悪因苦果)。しかしながら善き行いについては、その功徳を他者に振り向けたり、特定の目的の為に役立てることが出来ると考える。これが回向となる。

今生(こんじょう)
三世(三際、さんざい)の一つで、現世のこと。「世」は時間を意味し今現に生きている時間を今生と呼ぶ。

欣求(ごんぐ)
悦び願い求めること。



廻向発願心(えこうほつがんじん)というのは、過去世ならびに現在世において、身・口・意の三業によって為してきた全ての善き行いを、誠の心をもって極楽(浄土への往生)に向けて振り向けて、往生を心より願い求めることであります。これこそを廻向発願心と名づけます。(以上述べてきた)これらの三心を具えれば、必ず往生する事がきるのです。


生きる上で為してきた、そしてこれからも為していくであろうさまざまな行い、中でも善き行い(善根)を念仏往生の為に振り向けることができる。それら全てを、極楽往生に向けた意義深い業とすることができる、そのように拝受致したいと思います。

和尚のひとりごと「伝道掲示板330

『釈尊の言葉その27』

”釈尊が拘薩羅(コーサラ)国王に仰った。
日常の政務に忙殺されている場合ではない。
東西南北の四方から巨大な山がこちらに向かって迫ってくる。
まさに世の終わりが来んとしているのである。
もしそのようなときが来たら、そなたは何をするのか?

国王が答えて云わく
そのような時には
ただ残り少ない生命ある限りに
善き行いをして、功徳を積むよりほかにないでしょう。

釈尊云わく
その通りである。
王よ、今まさにそなたに老いと死の危機が迫り来たっているのだ。
そのような事態においてこそ為すべき事柄をなせ。”

 合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板329

『釈尊の言葉その25』

”究極の道理を心得えた者は
有能であり、率直であり、正しく
言葉は柔和であり、高慢の心を離れており
足ることを知り、わずかな食物で生活し
雑事に関わることなく、質素な暮らしに徹し
全ての感覚器官が静まり、聡明であり
謙虚であり、他人の家で貪ることがなく
他の識者たちから非難されるような行為をせず
他人を欺かず、軽んじず、
敵意をもって他人に苦痛を与えるようなこともなく
あたかも母が己のたった独りの子供を生命をかけて守ろうとするように
あらゆる生きとし生けるものどもに無量の慈悲の心を起こし
全世界に対して、無量の慈悲の心を起こす。
そのようにあらねばならない。”

 合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板328

『釈尊の言葉その24』

釈尊はある居士(在家信者)に次のように教え諭した。

”居士よ
欲望は干し草でできた松明に似ている。
その松明を手に、風に向かって進もうとするが如くである。
居士よ、そなたはどのように思うだろうか?
もしその者が速やかに火がついた松明を手放さないならば
やがてその火が彼の手を焼き、腕を焼き
ついには身体そのものを焼くことになるだろう。
そして死の苦しみを味わうことになる。
だからこそそなたは、世俗的な利得への執着を離れ
それを滅ぼさなければならないのである。”

 合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板327

『釈尊の言葉その23』

天の子が釈尊に問いかけて云わく
「何をやめれば安らかに暮らせるでしょうか?
何をなくせば悩まずに済みますでしょうか?」

釈尊がこれに答えて曰く
「怒りをやめることによって
人は安らかに暮らせる。
怒りをなくせば、悩むこともなくなる。
怒りの根は毒を含み
またその果実は甘美である。
だからこそ怒りを滅することを
聖者たちは讃えるのだ。」

 合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板326

『釈尊の言葉その22』

”臆面もなく
「われは(汝の)友である」と口では言いながら
してやれる事さえ、実行しない人
こういう人は「われの友ではない」と心得るべきである。

あるいは、上っ面の言葉だけで甘いことを言う人
こういう人は「口先だけで実行の伴わない人」と賢者たちは見抜いている。

友和が破れる事恐れ、甘い言葉しか投げかけず
ただ友人の至らぬ点ばかりを気にするような人
このような人は友とは言えない。”

合掌