和尚のひとりごと「伝道掲示板332」
”ブッダはどのようなお方か?”
ある夜叉(精霊)は、別の夜叉に問われて次のように答えた。
”かくの如く立派な聖者であるブッダは
一切の生き物に対して、心安らかなまま動ずることなく
与えられないものを取らず
生き物を殺さないように心がけ
怠惰からは遠ざかり
常に注意を払っている。
偽りの言葉を吐かず、粗暴な言葉づかいをせず
陰口をたたかず、意味のないおしゃべりに興ずることもない。
欲望の享楽にふけることなく
心は濁らず、あらゆる迷いを克服し
目覚めたる者として、一切の物事を明らかに見通す眼を持っている。
明知を持ち、煩悩の汚れなく
その行いは清らかである。
彼はもはや再びこの世界に生まれるという事がない”
合掌
和尚のひとりごと「伝道掲示板331」
釈尊が語る。
”母よ。そなたは、「ジーヴァーよ!」と叫んで、林の中で泣き叫ぶ。
ウッビリーよ。そなた自身を知るのだ。
同じジーヴァーと呼ばれた八万四千人もの娘たちがこの火葬場で荼毘に付されたが
そなたが悼むのは、その中の誰であるのか?”
ウッビリーは答えた。
“ああ、あなた様は、私の胸に突き刺さっていた見定めがたい矢を抜いて下さいました。
あなた様は、深い悲しみに打ちひしがれている私から、我が子を失った悲しみをより除いて下さいました。
今や私は、矢を抜き取られ、囚われの心無き者となり、安らぎを得ました。
私は聖者であるブッダと、その真理の教えと、修行者たちの集いに帰依致します。”
長老尼偈(テーリーガーター)は、釈迦に導かれた女性の修行者たちの言葉を集めたもの。
釈尊は子供の死を悼む者に対して、教えを説くのではなく、自ら覚らせる方法をとった。
合掌
和尚のひとりごとNo576「法然上人御法語後編第十一」
廻向発願心(えこうほつがんじん)
【原文】
廻向発願心(えこうほつがんじん)というは、過去および今生(こんじょう)の、身口意業(しんくいごう)に修する所の、一切の善根(ぜんごん)を、真実の心をもて極楽に廻向して、往生を欣求(ごんぐ)するなり。これを廻向発願心と名づく。この三心を具しぬれば、必ず往生するなり。
廻向発願心(えこうほつがんじん、又はえこうほつがんしん)
三心のひとつ。
自分自身が過去世より今までに為してきた全ての善き行い(善根)と、他者が為してきた善き行いを褒め称える心の全てを、三心の他の二心である「至誠心(誠の心)と「深信」(深く信ずる心)とに回向して往生を願うこと。
『観経疏』に説示された善導大師による廻向発願心のこの解釈を、法然上人はそのまま受け継がれた。
回向(廻向、パリナーマ)とは方向を転じて差し向けるが原意。
行い(業、カルマ)には必ず相応の報いがあり(因果応報)、自ら為した行いの報いは自身が受け取る事(自業自得)が原則である。たとえば善き行いは安楽をもたらし、反対に悪しき行いは苦悩をもたらす(善因楽果、悪因苦果)。しかしながら善き行いについては、その功徳を他者に振り向けたり、特定の目的の為に役立てることが出来ると考える。これが回向となる。
今生(こんじょう)
三世(三際、さんざい)の一つで、現世のこと。「世」は時間を意味し今現に生きている時間を今生と呼ぶ。
欣求(ごんぐ)
悦び願い求めること。
廻向発願心(えこうほつがんじん)というのは、過去世ならびに現在世において、身・口・意の三業によって為してきた全ての善き行いを、誠の心をもって極楽(浄土への往生)に向けて振り向けて、往生を心より願い求めることであります。これこそを廻向発願心と名づけます。(以上述べてきた)これらの三心を具えれば、必ず往生する事がきるのです。
生きる上で為してきた、そしてこれからも為していくであろうさまざまな行い、中でも善き行い(善根)を念仏往生の為に振り向けることができる。それら全てを、極楽往生に向けた意義深い業とすることができる、そのように拝受致したいと思います。
三心のひとつ。
自分自身が過去世より今までに為してきた全ての善き行い(善根)と、他者が為してきた善き行いを褒め称える心の全てを、三心の他の二心である「至誠心(誠の心)と「深信」(深く信ずる心)とに回向して往生を願うこと。
『観経疏』に説示された善導大師による廻向発願心のこの解釈を、法然上人はそのまま受け継がれた。
回向(廻向、パリナーマ)とは方向を転じて差し向けるが原意。
行い(業、カルマ)には必ず相応の報いがあり(因果応報)、自ら為した行いの報いは自身が受け取る事(自業自得)が原則である。たとえば善き行いは安楽をもたらし、反対に悪しき行いは苦悩をもたらす(善因楽果、悪因苦果)。しかしながら善き行いについては、その功徳を他者に振り向けたり、特定の目的の為に役立てることが出来ると考える。これが回向となる。
今生(こんじょう)
三世(三際、さんざい)の一つで、現世のこと。「世」は時間を意味し今現に生きている時間を今生と呼ぶ。
欣求(ごんぐ)
悦び願い求めること。
廻向発願心(えこうほつがんじん)というのは、過去世ならびに現在世において、身・口・意の三業によって為してきた全ての善き行いを、誠の心をもって極楽(浄土への往生)に向けて振り向けて、往生を心より願い求めることであります。これこそを廻向発願心と名づけます。(以上述べてきた)これらの三心を具えれば、必ず往生する事がきるのです。
生きる上で為してきた、そしてこれからも為していくであろうさまざまな行い、中でも善き行い(善根)を念仏往生の為に振り向けることができる。それら全てを、極楽往生に向けた意義深い業とすることができる、そのように拝受致したいと思います。