和尚のひとりごと「伝道掲示板257」

取骨偈

(書き下し文)
仏この夜滅度し給うこと、薪尽きて火の滅するがごとし
諸々の舎利を分布して、しこうして無量塔を起つ

亡者を荼毘に付したのちその遺骨を拾う際に唱える。または「降魔偈」がそれに代わる。
出典『法華経』では釈尊滅後にその骨を分骨して、その仏舎利を祀る数多くの仏塔が建てられたと記す。『大般涅槃経』によれば、釈尊の遺骨は八つに分配されて八大仏塔が建立されたとする。生前の偉大な教師に再び相見える事を願い、多くの仏教徒がそこを訪れた。
私たちはそれに倣い、遺骨を祀り、亡きあとに偲ぶ大切なよすがとする。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板256」

出棺偈

如来本誓(にょらいほんぜい) 一毫無謬(いちごうむびゅう)

願仏決定(がんぶつけつじょう) 引接精霊(いんじょうしょうれい)

源信僧都『往生要集』中の臨終行儀では、「我を引摂し給え」としていると言う。
迎接式(こうしょうしき 出棺式)に際に唱える。

(意味)
弥陀が誓われた誓願に一切の誤りはない
どうか必ず亡者を浄土へ迎えて頂きますように

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板255」

納棺偈

阿弥陀如来おわします安養極楽世界に救い取って頂き
菩提正覚(正しく完全な悟り)が自らのものとなるように

新亡納棺の際の偈文。
納棺が済んだら一唱一下の念仏を止め、この偈文を三唱後、十念を唱える。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板254」


三帰三竟_page001

三帰三竟_page002

『授菩薩戒儀』より。
帰敬式、得度式、剃度式など様々な場面で唱えられ、枕経では新亡に授与する形をとる。

「三帰」とは三宝への帰依の表明。「三竟」はその帰依が終わったことを表わす。
古来より仏・法・僧の三つの宝への帰依は仏教徒となる事の表明であり、ことある毎に唱えられてきた。ここで”尽未来際”は未来永劫にわたってのものである事を示す。古来、正式な仏教信者となるには、この三帰依を三度唱えることで事足りたと言われている。

合掌

和尚のひとりごとNo486「法然上人御法語後編第五」

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法然上人御法語後編第五「無上功徳(むじょうくどく)」

【原文】
善根(ぜんごん)無ければ此(こ)の念仏を修(しゅ)して無上の功徳を得んとす。余(よ)の善根多くば、たとい念仏せずとも、頼む方もあるべし。
然(しか)れば善導は、「我が身をば善根薄少(ぜんごんはくしょう)なりと信じて本願を頼み、念仏せよ」と勧(すす)め給(たま)えり。経に、「一度(ひとたび)名号を称(とな)うるに、大利(だいり)を得(う)とす。またすなわち無上の功徳を得(う)」と説けり。いかに況(いわん)や念々相続せんをや。然れば善根なければとて念仏往生を疑うべからず。


【語句の説明】
無上功徳(むじょうくどく)
善行による報いとして得られる最も優れた徳のことで、ここでは本願念仏による利益・功徳が最上であることを表現している。

善根(ぜんごん)
あらゆる善業の本となるもので、無貪・無瞋・無痴の三善根を数える。反対に貪・瞋・痴(むさぼり・いかり・おろかさ)は三不善根(三毒)と呼ばれ悪業の根底にある煩悩である。

「我が身をば善根薄少(ぜんごんはくしょう)なりと信じて本願を頼み、念仏せよ」
善導大師『往生礼讃』より。

「一度(ひとたび)名号を称(とな)うるに、大利(だいり)を得(う)とす。またすなわち無上の功徳を得(う)」
『無量寿経』巻下にはこのようにある。
「この人、大利を得たりとす。すなわちこれ無上の功徳を具足す」


【現代語訳】
善き行いを積み重ねることができないからこそ、念仏にすがり、念仏を修めることでこの上なき功徳を得んとするのです。もし仮に念仏ではないが善き行いを数多く積み重ねているのならば、たとえ念仏を称える事なくしも頼る手立てがあるのでしょう。
そのようなわけで善導大師は「自分自身は善いとされる行いを積むこと至極わずかである、そのように信じて仏の本願に頼り、念仏を行う事だ」と勧められているのです。経典には「ひとたびでも念仏を申せば、大いなる利益を得ることにつながる、つまりこの上なき功徳を手に入れることができる」と説かれています。ましてや念仏を絶えず相続し続けるならばその功徳が大きいことは言うまでもありません。だからこそ、日ごろより善き行いを積んでいないからという理由で、念仏による往生を疑うようなことがあってはならないのです。


法然上人は『選択集』でこのように述べる。
「無上功徳とは、これ有上に対する言なり。余行を以て有上と為し、念仏を以て無上と為す」
仏の本願に誓われ、間違いない正しい行として保障された念仏と他の行の違いはかくの如く、
私たちはただ安心して念仏を頼りとし、仏の名号を称えるだけでよいのである。
合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板253」

剃髪偈

『華厳経』より。

(意味)
髪と髭を剃り落したならば
衆生は皆、煩悩を除き、寂滅の境地に達する
かくの如く願え

剃度作法の中で、報恩偈のあと、いよいよ髪を剃る際に唱える。
髪や髭を俗人の煩悩に喩え、それを除くことに俗世間を離れてゆく姿を象徴させる。
剃髪は、釈尊が他の修行者との区別化を図る目的で仏教沙門(釈子)は髪を剃るべしと定められて以来の伝統である。

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板252」

報恩偈

『四分律行事鈔』より。
出家作法において唱える偈文。入道出家とは父母との恩愛の絆を断って、仏弟子として新たな道を歩むことを意味する。
得度式や枕経における剃度作法(御髪剃 おかみそり)の際に唱える。

(意味)
三界を流転する身では、父母の恩・愛の絆を断つことは出来ないが
今改めて出家の身となって恩・愛を断つことこそが、真の意味でその恩に報いることになる

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板251」

請護念偈

『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』より
在家の王妃シュリーマーラー(勝鬘夫人)は眼前の釈尊を讃え称える。

(意味)
我を憐み護り、仏法が芽吹く種子を増大させ
現世のみならずこの身朽ち果てたのちの生においても
どうか願いを受け入れて下さいますように..

『往生礼讃』では、六時に配される礼讃の最後に必ず唱える偈文。

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板250」

普済偈

(書き下し文)
神力大光を演べ あまねく無際の土を照らし
三垢のやみを消除して 広く諸々の厄難をすくう

(意味)
仏はその尋常ならざる力によりて大いなる光明を放ち
限りない世界を万遍なく照らす
そしてそれにより衆生の貪・瞋・癡の三毒の暗闇を除き
諸々の厄難から救い給う

『無量寿経』より。
神仏のご加護に頼み、災いを取り除かんと祈念する際の回向文。

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板249」

法楽偈「伝道掲示板249」

如来の清浄なる慈悲行は数知れず
それら一つ一つは皆ともに仏のただ一つの特徴として現れる
この故に見る者を飽きさせることはない。
神々に対して仏力によって解脱門が開かれる。

鎮守法楽の意味を込めて、神々を供養する回向文。
西域ホータン出身の実叉難陀(シクシャーナンダ)が則合掌天武后に招かれて訳した『八十華厳』が出典。

合掌