和尚のひとりごと「伝道掲示板144」

daiaru

山田無文老師は、若き日にチベット探検家で有名な河口慧海師に師事、
天龍寺雲水を経て花園大学学長や妙心寺派管長も務めた。

仏教の本来を真摯に歩まんとする仏法者の言葉は誠に手厳しい。
“緋の衣に金襴の袈裟をかけ、ゾロゾロ並んでお経を読む、それだけやないか。
ありゃ花魁道中や。私はそういっとる。仏教やない”

84aace43737a1c3452faa796d190e852

和尚のひとりごと「伝道掲示板143」

bunmei

文明とは、電灯のつくことでもない。飛行機のあることでもない。原子爆弾を製造することでもない。文明とは、人を殺さぬことであり、物を壊さぬことであり、戦争をしないことであり、相互に敬うことである。

日蓮宗の僧だが、各宗の学林で学び、のちには不殺生、非武装、核廃絶を訴えて、平和運動を展開
世界各地に白亜の仏塔(日本山妙法寺)を建立、行動力の人。

unnamed (1) (2)

和尚のひとりごと「伝道掲示板143」

jibunno

清水寺の中興の祖とも仰がれる大西良慶師は明治8年の生まれ、
興福寺にて法相唯識を学び、のちに清水寺を北法相宗として独立させた。
日本で最長寿の高僧としても知られた。

1579239622

和尚のひとりごと「伝道掲示板141」

 tenjiki

浄土宗の学僧袋中良定上人が寛永16年(1639)入寂の前日に残したと伝えられる辞世の句。
“明に渡って未だ見ぬ仏法を学びたい”
一心の思いで海に出た若き日の袋中上人であったが、ついに大陸への上陸は果たせず琉球国にとどまった。
時の琉球国王である尚寧王の帰依を受け、かの地に念仏を流通させたと伝えられる。

06circd022c-0009 (1) 袋中上人は沖縄に伝わるエイサーのルーツをつくったとも言われる。
那覇市松山町松山公園内の桂林寺址に建てられている記念碑

和尚のひとりごと「伝道掲示板140」

 kusano

沙門良寛は江戸後期のひと。
辞世の句として次のことばも伝えられている。
“良寛に 辞世あるかと 人問はば 南無阿弥陀仏と 言ふと答へよ”

尊崇する道元禅師の「春は花夏ほとゝぎす秋は月冬雪さえて冷(すゞ)しかりけり」にちなんで
「形見とて何か残さん春は花山ほととぎす秋はもみぢ葉」と詠んだ良寛の晩年の境地。


main_2

徳川美術館所蔵

和尚のひとりごとNo355「実りをいただく幸せ」

浄土宗のお勤めの一つに「十夜(じゅうや)法要」というお念仏を申す行事が御座います。「お十夜」「十夜講」「十夜念仏」とも言われますが、元々は陰暦の十月五日の夜から十五日の朝まで十日十夜に渡って勤められる法要でした。現在では十月から十一月にかけて、全国の浄土宗寺院で広く勤められています。

 この法要は、浄土宗で最も重要な経典の一つである『無量寿経』に、「この世において十日十夜の間、善行を行うことは、佛の国で千年間善行を積むことよりも尊い」と説かれている内容によって、その教えを実践したものです。御佛様の在します世界で善い事をするのは良い環境が整っているので行いやすいですが、悩み苦しみの多いこの世の中で善い事を行うのは非常に難しいものです。様々な欲望によって、時には自分勝手な考えをしてしまう場合もあります。また思い通りにいかないと腹を立ててしまったりするからです。そんな世の中で、十日十夜に渡って善行を修める事は非常に尊い行いとなるのです。10gatu

 “法要のいわれ”としては、今から550年程前の室町時代に、伊勢守(いせのかみ)平貞経(たいらのさだつね)の弟貞国(さだくに)が、京都天台宗の真如堂(しんにょどう)で勤められたのが始まりとされております。信仰篤き貞国公が出家を志した時、枕元に一人の高僧が立ち、出家せずとも今の身分のままで救われる阿弥陀様の功徳を説き聞かされ、出家をやめ、兄に代わって家督を継ぐことになりました。すると大いに繁栄し、そのお礼の心を込めて修めたものとも言われています。

その後、明応四年、1495年に浄土宗の大本山の一つである鎌倉光明寺の第9世・観譽祐崇(かんよゆうそう)上人が、後土御門(ごつちみかど)天皇に招かれ、宮中においてお念仏の御教えを説かれ、さらに真如堂の僧侶と共にお念仏を唱え、光明寺で法要を行うようになりました。これが浄土宗でのお十夜の始まりになっています。現在では十日十夜から短縮して勤められる場合が多いのですが、たった一日或いはわずか数時間のお勤めでも尊い行いであり、十声一声(とこえひとこえ)でも救われるお念仏であります。

 阿弥陀様が法蔵菩薩であった修行時に、お念仏を申す全ての人々を救うと誓われ、そのお誓いが叶い、誰もが救われていく道を私たちにお示しくださいました。そのことに感謝し、気候的に過ごしやすい実りの秋にお念仏申して過ごして参りましょう。

和尚のひとりごと「伝道掲示板139」

 hitoha

早島鏡正師『ゴータマ・ブッダ』より

入滅を予感したブッダは頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)の姿で横たわったが
背後に悲しみ咽ぶ従者アーナンダの声をきく。
悲しみを諫め四半世紀にわたり道行をともにした弟子にかけた言葉。
「およそ、生じ、存在し、作られ、破壊されるべきものであるのに、それが破壊しないようにということが、どうしてありえよう…」

いつの世でも時を共にした者の死は悲しい。
果てしない長大なる時間の流れに比べれば、それがほんのつかの間のあいだでのことであったとしても。
そしてブッダは臨終に際し、再び諸行無常の理を説き
残された者が自らの修行の完成の為に、怠ることなく励むように諭した。

1280px-Indian_Museum_Sculpture_-_Parinibbana,_Loriyan_Tangai_(9220598586)

ロリヤン・タンガイ(現在のパキスタン)出土の仏涅槃浮彫

和尚のひとりごと「伝道掲示板138」

 om

 Om・Mani・Padme・Hum
Padme(パドマ)とは泥中にあっても決して泥に染まらない蓮の華のこと
観音浄土への転生を望む高原の仏教徒たちの切なる願い

1550044593_om_mani_padme_hum

和尚のひとりごと「伝道掲示板137」

 shou

“菩薩正念(しょうねん)を以て世間を觀(み)るに
一切(すべて)皆(みな)業縁(ごうえん)より得たり
一切法(すべてのもの)を觀察(み)るに悉く因縁より起る
生なきが故に滅なし”

因縁所生であることは実体として存続し得ないことを意味する
実体として存在しないのであれば
それが滅することも生ずることも成立し得ないであろう..


60巻本『華厳経』を訳出した仏陀跋陀羅は天竺(てんじく)禅師とも称された。
同学の僧伽達多(サンガダッタ)とともに罽賓(カシミール)に至った際に中国僧の智厳に請われ東行を決意したという。

6d6ff04d

現在のインド、ジャンムー・カシミールにある仏教僧院に描かれた仏たち

和尚のひとりごと「伝道掲示板136」

butsu

 

“佛言はく、一切の法の自性は本来寂静にして、自性涅槃なり、
涅槃の故に自性は認むべからず、故に自性なしと説きぬ
諸法は衆生が相ありと執計せるが故に有り
然れどもこれ假の名にして實は無きなり
次に諸法は因縁によりて成りたるものなれば假に有るものにして實はなきなり
次に諸法の本性は見るべからず、聞くべからず生もなく滅もなきなり”

諸法を成り立たせる原因と条件があって初めて名としての体を持つ。
従って自性は存在しない。
そして我々衆生が見かけの世界に相貌ありと計らうが故に有る。
従って実体なき仮のものである。
『解深密経』は仏の深密の教えが解明された経であり
唯識の深義(じんぎ)が闡明されている。

i-img1200x1200-1595151423egsbvw1363349