和尚のひとりごとNo142「南無阿弥陀佛 いまを生きる」

 

 南無阿弥陀佛のお念仏は最期臨終の夕べ、阿弥陀様に迎えに来ていただいて西方極楽浄土に往き生まれさせていただくという教えです。ですから死後の事を説く、今を生きる人々には無用の教義だと古くから揶揄する方もおられたそうです。しかし「後生の一大事」と後の世の事をキチッと思い定めてこそ、今を生き切れるのであります。

 『無量寿経』の一節には「老病死を見て世の非常を悟る。国と財と位を棄てて山に入りて道を学す」と説かれております。これはお釈迦様の伝記に習った修行者のあり方です。先ずは老・病・死の有り様を見てこの世の無常をさとり、国や財宝や王位を捨てて、悟りへの道を学ぶ為に山に入り修行していくのです。私たちも先ず老・病・死の有り様を見て我が事であるとしっかり受け止めてこそ、今の生活が充実出来るのであります。しかしどうでしょうか?「老を嫌い、病を恐れ、死を隠す」姿が現実の我々の日常ではないでしょうか?12gatu

 江戸時代に谷風(たにかぜ)という関取が居られました。ある日の事、道中で小さな小僧に出会い、「関取、一番取りましょう」と言ってきた。「何じゃ小僧!ワシを谷風と知っての事か?」と言うと「知っていればこそ、一番取り組もうと言ったのだ」と言い返された。「おのれ生意気な小僧め!サァどこからでもかかってこい」と大声で谷風関が怒鳴りながら取り組んだところ、この小僧なかなかの腕っ節の強さであります。谷風は満身の力を出しましたが遂に草むらの中に投げられてしまいました。驚いた谷風、「小僧しばらく待った!この谷風は天下無敵と言われたものじゃが、お主はワシよりも強い。一体お前は何者じゃ?」すると小僧は、「私はあなたよりも強いですよ。あなたは“谷風”、私は“無常の風”ですもの」と言われたそうです。これは一つの笑い話ですが、仏法の真理、普遍的な教えが説かれた笑話であります。“無常の風”にかかってはどんな関取、英雄豪傑、力持ちでも敵いません。しかし無常の世の中、その無常を我が事であるとしっかり受け止め、そしてこの世を生ききった先にはお浄土が有ると思い定めれば、死生(ししょう)ともに煩いはないのであります。

 またお念仏は、お浄土で縁あるお方と再会出来るという御教えでもあります。更にお浄土に往けば引接縁(いんじょうえん)と言ってこの世に残してきた縁ある人を同じ西方極楽浄土へと導く事が出来ます。法然上人は「先に生まれて、後を導かん、引接縁はこれ極楽の楽しみなり」とお言葉を遺されております。つまりお浄土に往ったならば「引接縁」こそが一番の楽しみであると仰られたのです。亡き人とまた再会出来るという事、或いは自分が先に命尽きても残してきた人とまた会えるという楽しみがある事は、死という苦しみから解放される最上の教えであります。無常の世の中でありますが、その先には無常ではない常住のお浄土の世界がある。亡き人ともまた会えるという事を共々に生きがいにしていただき、今をしっかり生き切りましょう。

和尚のひとりごとNo141「三心」

 

法然上人の一枚起請文に、次のような一節があります。

「三心四修(さんじんししゅ)と申すことの候そうろうは、

皆決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり」

 ここに言われる「三心(さんじん)」とは、阿弥陀さまが建てた西方浄土に往生しようとする者が持つべき三種の心構えのことです。

浄土宗で大切にしている『観無量寿経』には、こう説かれています。

 第一に「至誠心(しじょうしん)」とは「まことの心、真実心」のこと、

 第二に「深心(じんしん)」とは「仏の本願を深く信じる心」のこと、

 そして第三に「回向発願心(えこうほつがんしん)」とは、あらゆる行為を全て西方極楽浄土への往生の願いへと振り向けることだとされています。

 簡単に言えば、「三心」とは私たちの極楽往生への切なる願いです。

 法然上人によれば、極楽往生への条件であるこの「三心」さえも、『南無阿弥陀仏』とおとなえして必ず往生するのだ、と思い定める中に自然に備わってくるというのです。

 難しく考える必要はありません。

 まずは仏が説示され法然上人が勧められるお念仏を申し、慈悲に満たされた阿弥陀如来の浄土に生まれることを願おうではありませんか。

和尚のひとりごとNo140「ぬくもりに やすらぐ」

 

 江戸時代後期に活躍された浄土宗の僧侶に徳本上人(とくほんしょうにん)というお方が居られます。徳本上人は紀伊の国、現在の和歌山県日高町の農家に生まれました。四歳の時、一緒に遊んでいた友達が亡くなり、「友達はどこへ行ったの?また会えるの?」と母親に尋ねました。すると母親は「死んだ人にはもう会えないのよ」と答えてしまいました。しかし泣き叫ぶ我が子を見るに偲びず、「今の別れを嘆くよりは、阿弥陀様を頼り、南無阿弥陀佛のお念仏を唱えれば極楽浄土でまた会う事が出来ますよ」という浄土の御教えを教え諭しました。四歳の子には難しい教えかと思われたのとは裏腹に、この教えが我が幼子の心の奥底に深く刻み込まれ、いつとなく南無阿弥陀佛のお念仏を唱えて過ごす様になったと言われています。

 二十七歳の時に得度式、僧侶になる為の儀式を受け、「徳本」の名を頂いて出家致しました。日々の食事は豆の粉一合、或いは少量のそば粉のみと、生涯を通じて粗食であったと言われています。明け方二時、三時に起きると、立って座っての礼拝(らいはい)を行い、日中はお念仏を唱えながら山中を歩き回られ、睡眠時間は二、三時間程度で亡くなるまで横になって寝る事はなかったと伝えられております。想像を絶する荒修行をし、心を戒め、身を律して、南無阿弥陀佛とお念仏を唱えて日本全国を行脚し、庶民の苦難を救った逸話が各地に残されております。

 

 ありがたや 天は笠なり 地は足駄 たといこけるも 六字の上に

 

 これは徳本上人の詠まれた御歌です。「笠(かさ)」は、雨や雪、直射日光を防ぐ為に頭に被る道具です。「足駄(あしだ)」とは通常の下駄よりも歯がやや高い高下駄で、専ら雨天時の履物として使用されたそうです。そう考えるとこの御歌は、雨の日に詠まれたものでしょうか。雨が降っているのにもかかわらず、降る雨をしのぐ笠も持たず、また雨宿りをする場所も求めず、徳本上人はただ一人、雨の中を念仏申して歩んでおられたのでしょう。雨でぬかるんだ道中、滑って転ぶ事もあります。転べば大怪我をする事もあるでしょう。しかしこけたとしても、阿弥陀様に守られている。たとえ道中で命尽きたとしても、阿弥陀様に迎えとっていただける。その思いを、「たといこけるも六字の上に」と表現されております。「六字」とは南無阿弥陀佛の六文字の御名号の事です。雨が降ってくる「天」そのものを「笠」、ぬかるみの「大地」を「足駄」と捉え、阿弥陀様の御慈悲の大きさを表しておられると同時に、いつでも阿弥陀様に包まれ見護られて、生かされている思いが感じられます。11gatu

徳本上人の様な荒行には足元にも及びませんが、私達も共々にお念仏を申し、大いなる阿弥陀様の御慈悲に見護られているそのぬくもりを感じ、安らぐ日々を送らせていただきましょう。

和尚のひとりごとNo139「大仏」

心の旅 浄土宗8大総大本山巡りの旅にて、浄土宗高徳院の鎌倉の大仏さま、大本山鎌倉の光明寺に参拝してきました。

鎌倉の大仏さま、大きいですね、遠くからでも存在感があり引き付けられます。また中を拝見することができ貴重な体験をさせていただきました。

大仏さまは、鎌倉をはじめ、奈良の大仏さま、飛鳥の大仏さまと日本全国に大仏さまがたくさんいらっしゃいますが「大仏」というお名前の仏さまではありません。asuka

鎌倉は、阿弥陀さま、奈良は毘盧遮那仏さま、飛鳥は、お釈迦さまです。

大仏というのは、「大きい仏像」のことです。

仏像は立像で一丈六尺(約4.85m)坐像は半分が基本の大きさで、これよりも大きい仏像を大仏といいます。

(この定義あてはまらない大仏さまもいらっしゃいます。)

nara一丈六尺の大きさは、仏さまが衆生(私たち)を助けるために、この世に現れるときの大きさだといわれています。(岩波仏教辞典より)

日本以外の国の大仏さまは、石仏が多く、インド スリランカから東南アジアにかけては、お釈迦さまと弥勒菩薩さまが多く、中国では、隋時代より前は、お釈迦さま、弥勒菩薩さま後からは、お釈迦さま 阿弥陀さまが多いようです。

皆さまも、大仏さまに参拝されてはいかがでしょうか。

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和尚のひとりごとNo138「曇り夜も月は輝いている」

 月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ

 10gatuこの和歌は法然上人の詠まれた「月かげ」の御詠歌です。月の光は全てのものを照らし、村里に住む人々に隈無く降り注いでいるけれども、月を眺める人にだけその月の美しさは分かるものです。阿弥陀様の御慈悲の御心は、全ての人々に平等に注がれているけれども、手を合わせて「南無阿弥陀佛」とお念仏を称える人のみが阿弥陀様の御救いを蒙る事が出来るのですという意味であります。

 

 「月かげ」は『観無量寿経』の一節、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の御心をお示しくださった御歌です。仏様の御光(光明)は、遍く十方の世界をお照らしくださり、念仏を称える衆生(私たち)を救い取って捨て去る事がないというのが、そのお経の意味であり、その譬えが「月かげ」の御詠歌になります。月は雲に隠れてしまう時もありますが、曇り夜であっても月は輝いています。阿弥陀様もたとえ眼前に見えなくとも、いつでも念仏申す者を見護ってくださっているのです。

 

 昔、京の都、徳大寺に唯蓮房という僧侶が住んで居られました。唯蓮房はお経に説かれる阿弥陀様のお救い、「摂取」について「一体どの様なお救いであろうか」と疑問に思われました。そこで雲居寺(うんごじ)というお寺に参籠され、「摂取の意味を教えていただきたい」と御本尊の阿弥陀様の御前に於いて七日間の不断念仏を修めていかれました。日中夜、休むことなく「南無阿弥陀佛」とお念仏を申していく修行が不断念仏です。すると七日目の満願の夜の夢の中に阿弥陀様が現れなさって、唯蓮房の手をしっかりと握りしめ、「唯蓮房、唯蓮房、摂取是なり」と示されました。その後、唯蓮房は高野の念仏聖と言われていた明遍僧都を訪ねられ、夢の虚実を尋ねたところ、明遍僧都は涙を浮かべ「私にも同じ様な事が御座いました。実夢、正夢でありましょう」と共に手を取り喜ばれたそうです。(『選択集弘決疑鈔』良忠上人著)

 阿弥陀様は、御慈悲の御光をいつでも、どこでも、どこまでもお照らしくださっており、常に私たちを見護ってくださっています。そして南無阿弥陀佛とお念仏をお称えしたならば、どの様な生き方をした人間であろうとも最期臨終の夕べには念仏申す者の手をしっかりと握りしめ、西方極楽浄土に救い取ってくださるのであります。

 

 あみだぶと よべば答えて 御佛は 枕の上に あらわれにけり(福田行誡)

 

 福田行誡(ふくだぎょうかい)上人は江戸幕末から明治期に活躍された浄土宗僧侶で、知恩院第76世御門主猊下になられたお方です。神仏分離令、廃仏毀釈といった明治期の仏教危機の難局に立ち向かい、仏教指導者として舵をとられた泰斗であります。行誡上人の威容を誇った行動は、常に阿弥陀様に思いを寄せて念仏申して居られたからでありましょう。

 常平生はいつも阿弥陀様が見護ってくださっている。そして最後臨終の夕べには間違いなくお迎えに来てくださる。その有難さを共々に喜び、日々お念仏申して参りましょう。

和尚のひとりごとNo137「施餓鬼」

今月は彼岸がございます。浄土宗の多くの寺院では彼岸法要は施餓鬼会を勤めます。玉圓寺でも施餓鬼会を勤めます。

餓鬼に施すことよって得られた徳をご先祖さまに送る法要です。

 

餓鬼とは、六道(地獄 餓鬼 畜生 阿修羅 人間 天上)の餓鬼に堕ちてしまった衆生(人々)です。

餓鬼は常に飢えと渇きに苦しんでいることから、餓鬼に堕ちるのは、食べ物を粗末にした人だけと思われがちですが、それだけではありません。嫉妬深かったり、欲深いことなどもあげられます。

人はだれでも、欲があり、物を強く手に入れたいと思うこともありますし、他人をうらやむ心が強ければ、嫉妬にもつながります。

悪いことしたから 悪い人だから、餓鬼に堕ちるわけではありません。私たちは誰でも餓鬼に堕ちる可能性があるのです。

しかし、私たちには、お念仏による極楽往生という救いがあります。

皆さま、お念仏をお称えし、私たちだけが救われるのではなく、施餓鬼会をお勤めして、ご先祖さまを供養し、餓鬼に堕ちてしまった衆生(人々)の苦しみをなくして救いとってあげて下さい。

和尚のひとりごとNo136「あの人の恩 ありし日を思う」

 

 『今昔物語』という古典文学のお話です。父親思いの兄弟が居りました。ある時、父が亡くなり二人とも嘆き悲しみますが、その後出世した兄は仕事が忙しくなり、父のお墓参りが出来ない状態が続きました。兄は早く悲しみを忘れようと父のお墓の傍に“忘れ草”を植えました。“忘れ草”とは、萱草(かんぞう)というユリ科の花で「見る人の思いを忘れさせてしまう」と言われている花です。その花言葉は、「悲しみを忘れる」「憂いを忘れる」「物忘れ」です。一方、弟の方は墓参りに行かなくなった兄を嘆かわしく思い、自分は絶対に父の事を忘れまいと“思い草”を父のお墓の傍に植えました。“思い草”とは紫苑(しおん)というキク科の植物で秋に花を咲かせます。紫苑は、「見る人の心にあるものを決して忘れさせない」と言われており、その花言葉は「君を忘れない」「遠方にある人を思う」「追悼」です。花言葉通り花のおまじないが利いて、兄は父を忘れ、弟はずっと父を忘れず墓参りを続けました。その結果、毎日お墓に参る弟の行いに感心したお墓の“守り鬼”が父親思いの弟に予知能力を授け、弟は日々平穏無事に過ごす事が出来たそうです。

 これは平安時代の末に書かれたお話ですが、古の人々のお墓参りに対する思い、お墓参りを重んじておられた様子を窺い(うかがい)知る事が出来ます。お墓は、故人を偲び、お祀りする場所であります。又、「心のよりどころ」になる大切な場所でもあります。

 胸の内 聞いてもらいに 墓参り9gatu

 日々の思いや自分の気持ちを、墓前で亡くなった方々に聞いてもらうと心穏やかになるものです。亡き人を身近に感じ、想いを寄せる事の出来る場所がお墓でありましょう。又、お墓参りをする事で自身の信仰を深めさせていただけるものです。信仰を深め、亡き人やご先祖様に想いを寄せて、故人様への御恩を知り感謝していただきますと、今居る自分自身の有難さに気付かされます。有難さに気づけば、日々の生き方、人生そのものが変わってまいります。供養(くよう)は「供物養心(くもつようしん)」と言って、亡き人や仏様に手を合わせ、物を供える事によって、己の心を養わさせていただけるという意味が御座います。今居る自分の命の有難さに気付くからです。

 心が変われば態度が変わる  態度が変われば行動が変わる  行動が変われば習慣が変わる  習慣が変われば人格が変わる  人格が変われば運命が変わる  運命が変われば人生が変わる

 “墓じまい”が増えてきたという事を耳にいたしますが、お墓は今居る自分は亡き人、ご先祖様のお陰様と気付かされる大事な場所であります。負担のない程度にお墓参りもしっかり勤めて参りましょう。きっと皆様の生き方が変わってまいります。

 

「守り鬼」お墓を守る隠れた存在のこと 穏(オン)がなまってオニ(鬼)になったといわれています。

和尚のひとりごとNo135「極楽浄土に思いを馳せる」

 

 浄土宗が拠り所としている経典に三つ有り、それを浄土三部経と言います。『無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』の三つです。そのうち『観無量寿経』には、阿弥陀仏や極楽浄土を観想するという方法が説かれています。阿弥陀様や西方極楽浄土に想いを寄せて、心の中に阿弥陀様そして仏様の居られるお浄土の様子を思い描いていくという方法です。これらは心を静めて極楽往生を願う修行方法であり、我々にはなかなか修め難い観想念仏と言われるものです。しかし、時には仏様や極楽浄土に思いを馳せる事の必要も伝えられています。お念仏は心静かにお称えする必要はありません。いつでも、どこでも、どの様な心の状態であっても、ただ「南無阿弥陀佛」とお称えするのが浄土宗の宗義であります。では何故、観想念仏という修行方法もあるのでしょうか。

 法然上人は三昧発得(さんまいほっとく)したお方です。三昧発得とは、お念仏を称えている時、求めずして自ずから阿弥陀様や極楽世界を目の当たりにし、崇高な宗教体験をする事であります。つまり法然上人はこの世に於いて、実際に阿弥陀様に出逢われたという事です。しかし時代を経た後々の人々には信じ難く、我々には体験出来ないものでありましょう。

 8gatuでは、実際に仏様を目の当たりにされた方と、そうでない方では、お念仏の伝え方にどの様な違いがあるでしょうか。何事においても実際に見られた事のあるものならば、確信をもって「居る。有る」としっかり説かれるでしょうが、見た事のないものになると「恐らく居ると思う。有ると思う」と不確かな断定表現になるものです。三昧発得された法然上人にお出会いして、直接お念仏の御教えを聞かれた方と、法然上人から時代を経た人々から伝え聞くお念仏の教えにも違いが出てくるものです。それは実際に仏様に出逢われた方から聞く教えと、そうでない方から間接的に聞く教えの差異でもあります。

 

 この世において私たちは阿弥陀様には出逢えないのでしょうか。今まさに出逢うという事は不可能に近くても、お寺に参って御本尊様をしっかりと拝んで頂く事は出来ます。或いは、お仏壇の仏様のお姿を見てお念仏する事も出来ます。その事によって心の中に阿弥陀様を思い描き易くなります。また御影を拝して亡き人のお姿を思い出し、お浄土へ思いを馳せる事も出来ます。いつでもどこでもお称え出来る易しい往生行でありますが、時には阿弥陀様や亡き人、御先祖様や、先に往かれた方々の居られる極楽浄土に思いを馳せてお念仏申してみましょう。お念仏の御教えを説かれたお釈迦様と、三昧発得された法然上人。極楽浄土に思いを馳せてお念仏申すという、観想念仏につながる御教えを説かれた所以がその辺りにある事もお分かり頂けると思います。

和尚のひとりごとNo134「フィリピン記」

 

玉圓寺の随身、隆心です。先日、フィリピンのマニラに行く機会がありました。

あまり時間はありませんでしたが、マニラ大聖堂とサン・アグスチン教会を見学しました。

マニラ大聖堂は大司教座というマニラのカトリックキリスト教の本拠地だそうです。

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中に入ると天井が高く広い空間で奥行きがありました。まわりを見ると柱にモニターとスピーカーがあり、司祭さんの話が聞こえるようになっていることに感心しました。また告解部屋もあり興味深かったです。F3

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F4次はサン・アグスチン教会です。フィリピンで一番古い教会で、博物館も併設されています。

博物館はフィリピンでの布教の歴史にまつわる物がたくさん展示されており楽しめました。

教会に入り正面を見ると、十字架でもイエス・キリスト像でもなく見知らぬ人のお像がお祀りされていました。F6

フィリピンでのキリスト教の布教に貢献され、聖人に列せされてこの教会の名前の由来になった聖オーガスティン(アグスチン)という方だそうです。

 

 

F5後方には、地震で落ちた教会の鐘が展示されており、ガイドの方が、重さが、3.4トンもある大きな鐘と自慢げに説明されるので、「知恩院の鐘楼(しょうろう)は70トンもあってもっと大きいぞ」と心の中で叫んでしまい、後になって少し後悔しました。

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また、教会の中には、納骨堂?のような所があり、火葬したお骨を納めることができるとのことで、土葬とばかり思っていたのでびっくりです。

 

興味深いフィリピンの旅でした。

和尚のひとりごとNo133「倶会一処」

 

 東日本大震災から7年が経過致しました。「震災幽霊」という言葉を聞いた事があるでしょうか。被災地に於いて「既に亡くなった人を見た」とか、「突然電話のベルが鳴った」とか、「亡くなった人の声が聞こえた」等、被災地で不思議な体験をされた方が居られるそうです。これが「震災幽霊」として震災直後から噂されている霊的現象であります。心理学者によると、「日常的に強いストレスがかかっている状態で霊的なモノが見えた様に感じる」と解説されています。或いはまた、「遺族が被災者の突然の死を徐々に受け入れる為につくられる心を修復する為のプロセスである」とか、「まだ死を認められない為に幽霊という存在をつくり上げている」等、様々な解釈がなされています。数多くの犠牲者を出し、全てのものを破壊した未曾有の大災害によって未だに多くの人々が心に傷を負った状態であり、その傷の深さは計り知る事が出来ないものです。

 その様な「震災幽霊」、津波で亡くなった人を見たという噂を聞きつけて、同じ様に津波で幼い子供を亡くした母親が、「幽霊でもいい、もう一度子供の姿を見られるのなら、もう一度子供に会えるのならば」と、津波が押し寄せてきた辺りを夜通し、我が子の名前を呼んで歩き続けたそうです。「もう一度会いたい。お願い出てきてちょうだい」お母さんは祈る様に夜が明ける迄歩き続けられました。毎晩、海岸沿いに出かけられては我が子の名前を呼ぶ事を数ヶ月も続けられたそうです。けれどもこのお母さんは、噂されている様な「震災幽霊」を見る事もなく、我が子に再び会う事も出来なかったそうです。

 7gatuこの世において故人と再び会い、語り合う事は不可能であります。しかし、いずれ自分自身が今生での命を終え、西方極楽浄土に往生したならば亡き人と出会えるのです。『阿弥陀経』というお経の中に、「倶会一処(くえいっしょ)」と説かれ、まさに亡き人と一つの処で倶に会う事が約束されています。「宿縁(しゅくえん)」と言って、この世での縁が虚しいものでないならば、後の世で再び会う事が出来る。その場所が西方極楽浄土であり、その為の手段が南無阿弥陀佛のお念仏であります。お念仏を申して阿弥陀様にお願いしたならば、最期臨終の夕べには間違いなく阿弥陀様に迎えとっていただき、西方極楽浄土へ生まれさせていただける。そうして縁ある亡き人と再会出来る。その事を一つの生きがいとして、共々に日々南無阿弥陀佛とお念仏を申して過ごして参りましょう。