和尚のひとりごとNo162「善き行いに 善き心」

 

 昔、中国に白楽天(はくらくてん)というお方が居られました。国を治めていくに当たり、道林禅師(どうりんぜんじ)という僧侶にどの様な政(まつりごと)をすれば良いか尋ねられました。白楽天がお寺を訪ねると道林禅師は木の上で座禅を組んで居られました。ビックリした白楽天は、「そんな所で座禅を組んで居ては危ないですよ。」と言うと、禅師は、「危ないのはそなたの方じゃ。」と返されました。白楽天は、「私は大地の上に立っておりますから全然危なくありません。木から落ちたらどうするのですか。あなたの方が危ないです。」と言うと、「いやいや危ないのはそなたじゃ。」とまた禅師に返されました。「どうして私の方が危ないのですか。」と聞き返しますと禅師は、「お前の思い一つで世の中が変わる。この国が良くなるか悪くなるかはお前の心一つである。だから危ないのじゃ。」と仰られました。「ですから私は禅師に教えを請うて、それでこの国を治めていきたいと思い尋ねて参りました。」と言うと道林禅師は、

 「諸悪莫作(しょあくまくさ)  衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)

  自浄其意(じじょうごい)   是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」

<意訳>

 「諸々の悪をなす事なかれ    諸々の善を奉行せよ

  自らその心を浄(きよ)くする これ諸仏の教えなり」

 

 と仰られました。それを聞いた白楽天は、「そんな事ぐらいは百も承知です。もっと違う仏教の奥義を教えて頂きたい。」と再度お願いすると禅師は、「たとえ三歳の童子これを知るといえども、八十の翁(おきな)これを守る事を得ず。」と返答されました。19hitigatu

 「善い事をしなさい。悪い事をしてはいけませんという事は三つの子供でも知っている事です。しかし八十歳になってもなかなか守る事が出来ないものですよ。だからその心というものをしっかりと心得て守っていけば宜しい。それが仏様の教えです。」と仰せになられたのです。

 仏教の根本は、どんな悪い事も致しません。どんな小さな善い事でも進んでしていきましょう。そして私(自分)の心を浄(きよ)くしていく事が仏の教えであります。心を浄くするというのは、自分勝手な欲を起こさず、損得を考えず、善い行いを進んでしていく事です。出来るだけ善き心を育てさせていただいて、日々和やかにお念仏申して過ごして参りましょう。

法然上人御法語第六

第六 五劫思惟gohougo

~因果を超えて~

 

【原文】

酬因感果(しゅういんかんか)の理(ことわり)を、大慈大悲の御心の内に思惟して、年序そらに積もりて、星霜五劫(せいそうごこう)に及べり。然るに善巧方便(ぜんぎょうほうべん)を廻(めぐ)らして思惟し給えり。

然(しか)も、「我れ別願をもて浄土に居(こ)して、薄地低下(はくじていげ)の衆生を引導(いんどう)すべし。その衆生の業力(ごうりき)によりて生まるるといわば、難(かた)かるべし。

我れ須(すべから)く衆生のために永劫(ようごう)の修行を送り、僧祇(そうぎ)の苦行を廻(めぐ)らして、万行万善(まんぎょうまんぜん)の果徳円満(かとくえんまん)し、自覚覚他(じかくかくた)覚行窮満(かくぎょうぐうまん)して、その成就せん所の、万徳無漏(まんとくむろ)の一切の功徳をもて、我が名号として、衆生に称えしめん。衆生もし此(こ)れに於(お)いて信を致して称念せば、我が願に応えて生まるる事を得(う)べし。『勅伝 第三十二』

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【ことばの説明】

酬因感果(しゅういんかんか)

原因となる行為がもたらした結果としての果報を得ること。ここでは修行という因(原因)が成仏という果(結果)をもたらすことを意味している。

 

五劫(ごこう)

「劫」とは極めて長い時間のこと。 サンスクリット語のkalpa(カルパ)の音を写した「劫波(劫簸)」を省略した表現。

一つの宇宙(世界)の誕生(始まり)から消滅(終わり)までの1サイクルを指し、ブラフマー神(梵天)という神にとっての一日に等しいという。仏典において具体的な数値は示されないが、よく引かれる譬喩(『雑阿含経』あるいは『大智度論』)によれば下記の通り。

「一返が一由旬(いちゆじゅん 四十里=約157キロ)に及ぶ巨大な岩を、100年に一度だけ布で撫で、その結果としてようやく岩がすり減ってなくなってしまうまでの長い期間を経ても、実はまだ劫には及ばない(劫はそれほど長い期間である)」(磐石劫 ばんじゃくこう)、

あるいは「四方四十里の城を芥子粒(けしつぶ)で満たし、その後100年に一度、その芥子粒を一粒づつ取り出していき、最終的に全ての芥子粒がなくなってもまだ劫には及ばない」(芥子劫)。

一つの劫(一大劫)を時間的経過によって分類する場合は、世界の生成(成劫 じょうこう)、存続(住劫 じゅうこう)、破壊(壊劫 えこう)、消滅後の世界が存在しない状態(空劫 くうこう)の4段階で考える。

法蔵菩薩が四十八願を立てる為の思惟に「五劫」を要したことは『無量寿経』に説かれている。

 

善巧方便(ぜんぎょうほうべん)

サンスクリット語ではupāyakauśalya(ウパーヤカウシャリヤ)といい、巧みな手立て(方法、手段)のこと。仏が衆生を救済し導くに当たり、衆生側の機根(素質、性格、置かれている状況)に応じて最適な手段を講じること。

 

別願

諸仏・菩薩に共通する「総願」に対して、「別願」とは諸仏・菩薩が各々の立場より起こす個別の誓願のこと。

「総願」は四弘誓願(しぐせいがん)ともいい、大乗の菩薩が初発心時に必ず立てなければならない四つの誓いで、

  1. すべての衆生を救うこと(度)、②すべての煩悩を断つこと(断)、③すべての教えを学ぶ
  2. こと(知)、④この上ない悟りを得ること(証)をその内容とする。

阿弥陀仏の別願は四十八願である。「今この四十八願は、これ弥陀の別願なり」(法然『選択集』)。

 

業力(ごうりき)

業の力、すなわち果報を生じさせる原因となる業の働きのこと。業(karman カルマン)のもとの意味は「行為、行い、活動」、何らかの意志的な行為は、必ず一定の結果を行為の主体にもたらすとされ、そこに見いだされる法則性が「善因楽果(ぜんいんらっか)、悪因苦果(あくいんくか)」ということになる。善き行いは必ず心身に楽をもたらし、反対に悪なる行為は心身に苦をもたらす。

 

僧祇(そうぎ)

「阿僧祇(あそうぎ)」の略。阿僧祇は原語 asaṁkhya(アサンキャ 数えられない)から、つまり「数えきれない、無量の、無数の」を意味する。

 

果徳

修行の結果として自ずから得られる徳(よい性質、利益)のこと。

 

自覚覚他(じかくかくた)覚行窮満(かくぎょうぐうまん)

「自覚」は自ら覚悟(さとり)を獲得すること、「覚他」は他者(衆生)をして自らと同じさとりの境地に導く(成仏させる)こと。

「覚行窮満」は、自ら覚り他を覚らせる、この両者を満たすことにより、はじめて「覚行」は完成し菩薩は仏となることができることを意味する。

「自覚覚他覚行窮満せる之を名づけて仏と為す」(善導『観経疏』「玄義分」)。

 

【現代語訳】

(弥陀の前身、法蔵菩薩は)(衆生が)修行を行うことを原因として、それに応じた果報を得るということ(因果応報の道理)について、大いなる慈悲の御心にて熟考を重ねるうち、いつしか年月が積み重なり、過ぎ去った歳月は五劫にも及んだ。それでもなお(衆生を導く為の)巧みな手立てについて考え続けた。

(そうして考え続けた)その上に、「わたくし(法蔵)は、別願(という特別な願)を立てて浄土に住み、修行をしたがまだ高みに達していない人々を導き入れよう。(ただし、そうしたところで)人々自身の行い(修行)がもたらす果報として、浄土に生まれさせることは(因果の道理に従えば)難しいだろう。

(それならば)わたくしは是が非でも人々のために、限りなく長い修行生活を厭わず、また果てしなく長い期間の苦行を企て、多くの修行と善き行いの結果として得られる徳を完全に満たし、わたくしがさとるだけではなく、人々をしてわたくしと同等のさとりの境地に導くことで覚りに向かう修行をも完成させ、そうした結果として(わたくしに)備わる、悟りの障害となる煩悩のけがれのない全ての功徳をわたくし自身の名号とし、人々に称えさせよう。人々がもしこれを深く信じて、称名念仏を行うならば、わたくしの願いに応じて(人々はわたくしの作った極楽浄土に)生まれることができるであろう」

 

 

仏教では因果応報が大原則であった。自らの責任において為した行いの報いは、必ず受け取らなければならない(自業自得)。そして大きな果報である「仏のさとり」や「仏国土への往生」を果たすためには、それに見合うだけの厳しい修行や、善き行いを積み重ねなければならない。

さらにここでは、「衆生の業力(ごうりき)によりて生まるるといわば、難(かた)かるべし」と言われる。濁世に生き、煩悩による造罪を重ねる衆生自身の行いによっては、浄土への往生を果たすことは誠に難しいというのである。ではどうすればよいのか?

そこで仏によって示されるのが全ての功徳が込められた「南無阿弥陀仏」の名号である。

深く信じ、その名号を称えれば、必ず往生を遂げられる。

仏の大慈悲に基づき、信心と称名こそが往生の要行であることを述べた法語である。

合掌

 

 

No160和尚のひとりごと「びんずるさん」

わが国でも昔から馴染み深い「びんずるさん」について紹介します。 十六羅漢の第一に数えられる賓頭盧(びんずる)尊者、名前を聞いたことはあってもという方も多いかもしれません。 詳しくは、名がピンドーラ、姓をバーラドヴァージャと言い、バラモンの家系に生を受けお釈迦さまに弟子入りした方です。 神通力に優れた能力を発揮しましたが、あまりに勝れていたため、お釈迦さまから軽々しく神通を示現することたしなめられたこともありました。また非常に聡明であり、説法が他の異論や反論を一切許さないほどであったことから、”獅子吼(ししく)第一”ライオンの如くとも称されたそうです。まさに独り勝ちといった感じです。 binzurusonja2

その賓頭盧尊者ですが、お釈迦さまより重大な使命を授かります。つまり自分(お釈迦さま)が亡くなったのちの世において、お釈迦さまに代わり衆生を済度せしめ、末世の人々が供養するに値する存在として頑張るようにというわけです。そこで賓頭盧尊者はあえて涅槃に入らず、西方の土地で教えを説き続けたと言われます。 その姿は”白髪長眉の相”つまり白く長い眉毛が特徴です。今では身体の不調を感じたとき、賓頭盧像のお身体のその箇所を撫でれば快癒(かいゆ)する「撫で仏(なでぼとけ)」として信仰を集めています。元々はお寺の食堂(じきどう)に祀られていたそうですが、いつの間にか私たちに身近な外陣や回廊の降りてこられた羅漢さまです。皆さまも機会があれば是非お参りください。

和尚のひとりごとNo159「ひとつ ひとつ いのち輝く」

 

 中国においてお念仏の御教えを弘められた善導大師(613〜681)の書かれた『往生礼讃(おうじょうらいさん)』という書物の中に「日中無常の偈」というお言葉があります。

 

 人生不精進(にんしょうふしょうじん)   「人生けるとき精進(しょうじん)ならざれば」

 喩若樹無根(ゆにゃくじゅむこん)  「喩えば植え樹の根無きがごとし」

 採華置日中(さいけちにっちゅう)  「華を採りて日中に置かんに」

 能得幾時鮮(のうとくきじせん)  「よく幾ばくの時か鮮やかなる事を得ん」

 人命亦如是(にんみょうやくにょぜ)  「人の命も亦是の如し」

 無常須臾間(むじょうしゅゆけん)  「無常須臾(しゅゆ)の間なり」

 勧諸行道衆(かんしょぎょうどうしゅう) 「諸々の行道衆を勧む」

 勤修乃至真(ごんじゅないししん)  「勤修(ごんじゅ)して乃ち真に至りたまえ」

 

 意訳をすると次の様になります。

「人として生きていく上で、自らを磨かぬ者は根の絶えた樹の様なものだ。

 華を採り、日なたに置いておいたならば、その美しさはいつまで続くというのか。

 我々のこの世の命も同じである。たちまちにして儚く消えるものである。

 仏道を歩む者達に勧める。よくお念仏に努め励み、悟りを目指してお浄土に至れ!」

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 私達はどうかすると怠け心で日暮しをしてしまいます。若い時は色んな事に興味を持ち、目標を立てて、何事に対しても挑戦する気持ちも湧いてくる事でしょう。しかし年齢とともに体力が衰えてくると、気力も落ち、何に対してもやる気が起こらない時も増えてまいります。この世の命は儚い朝露の様なものでアッという間に消えて無くなるものです。この世の事だけに重きを置いて目標を立ててもなかなか夢を叶えられず、夢途絶えると益々気力は衰える一方です。しかし、目に見える今この世だけではなく、命尽きた後も往く世界がある。後の世を思う信仰心がしっかりしていれば、年齢は関係なく命輝き、この世を生ききる事が出来ます。信仰の根をしっかりと生やして、お浄土で花咲かせられる様に日々、共々に南無阿弥陀佛とお念仏を申して過ごして参りましょう。

法然上人御法語第五gohougo

第5 選択本願(せんちゃくほんがん)

 

~ただ彼の仏の願に随順す~

 

【原文】

本願というは、阿弥陀仏(あみだぶつ)の、いまだ仏(ほとけ)に成(な)らせ給(たま)わざりし昔(むかし)、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)と申しし古(いにし)え、仏の国土を浄(きよ)め、衆生を成就(じょうじゅ)せんがために、世自在王如来(せじざいおうにょらい)と申す仏の御前(みまえ)にして、四十八願(しじゅうはちがん)を発(お)こし給いしその中(うち)に、一切衆生の往生のために、一つの願を発こし給えり。これを念仏往生(ねんぶつおうじょう)の本願(ほんがん)と申すなり。

すなわち無量寿経(むりょうじゅきょう)の上巻に曰く、「設(も)し我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心(ししん)に信楽(しんぎょう)して、我が国に生(しょう)ぜんと欲して、乃至(ないし)十念(じゅうねん)せんに、若(も)し生ぜずば正覚(しょうがく)を取らじ」と。

善導和尚(ぜんどうかしょう)、この願を釈(しゃく)して宣(のたま)わく、「若し我れ成仏せんに、十方の衆生、我が名号(みょうごう)を称(しょう)すること、下(しも)十声(じっしょう)に至るまで、若し生ぜずば、正覚を取らじ。彼(か)の仏、今現に世(よ)に在(ましま)して成仏し給えり。当(まさ)に知るべし、本誓(ほんぜい)の重願(じゅうがん)虚(むな)しからざることを。衆生称念(しょうねん)すれば、必ず往生を得(う)」と。

念仏というは、仏の法身(ほっしん)を憶念(おくねん)するにもあらず、仏の相好(そうごう)を観念(かんねん)するにもあらず。ただ心を致して、専(もは)ら阿弥陀仏の名号を称念する、これを念仏とは申すなり。故に「称我(しょうが)名号(みょうごう)」というなり。

念仏の外(ほか)の一切の行は、これ弥陀の本願にあらざるが故に、たとい目出度(めでた)き行なりといえども、念仏には及ばざるなり。

大方(おおかた)、その国に生まれんと欲わん(おもわん)ものは、その仏のちかいに随(したが)うべきなり。されば、弥陀(みだ)の浄土(じょうど)にうまれんと欲わん(おもわん)ものは、弥陀の誓願に随うべきなり。

☆出典 『勅伝』第二十五

5-35-1

 

 5-1

 【ことばの説明】

阿弥陀仏(あみだぶつ)

西方極楽浄土の教主。

「阿弥陀」の原語は、サンスクリット語ではAmitābha(無量光仏と訳)Amitāyus(無量寿仏と訳)の2つが想定され、それらの語尾が抜け落ちて“阿弥陀(あみだ)”と音写されたことに由来するとされる。それぞれの意味は、Amitābha(アミターバ)が「無限の光明をもつ者」、Amitāyus(アミターユス)が「無限の寿命をもつ者」であり、伝統的にはこれを次のように解釈している。つまり「空間的に全ての人々を救いとろうとして 摂取の光明がどこにいる人にも届くように“無量光仏”に、また時間的に永遠に人々を救い続けようとして“無量寿仏”になった」(浄土宗大辞典より、法然『三部経釈』)。釈尊亡きあと、すでに仏なき世において、覚りを求めブッダを求める私たちの願いを受け止める仏であり、広大なる慈悲を体現する永遠の現在仏である。

その起源については異説が多いが、西北インドないしガンダーラ地方に深いゆかりがある。インド本土における仏像の作例からも内陸インドでも信仰されていたことは間違いないだろう。またシルクロード、中央アジアよりチベット圏を含む東アジアに渡って広く信仰を集めてきた仏でもある。

代表的な浄土経典である『無量寿経』によると、

かつて歴史上最初の仏であった錠光如来(Dīpaṇkara ディーパンカラ、燃灯仏 ねんとうぶつ)がこの世に出現されてから53人のブッダが現れた。さらにそののちの世に世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏が現れた時、時の国王がその説法を聴く機会に恵まれ、ついに王位を棄てて出家し法蔵比丘と名乗るに至った。法蔵はこの上なく最高の悟りを得たいと決心し、五劫というとてつもなく長い期間に渡って考え抜いた末、生きとし生ける者を救済するための本願として四十八願をたて、その中で自身が理想とする国土の建立を誓った。劫(こう)はサンスクリット語のカルパ (kalpa)に由来し、1つの宇宙が誕生し消滅するまでの1サイクルを表す。五劫は宇宙消滅のサイクルが5回繰り返されるほど長い期間を表現する。そしてさらに長い長い間(兆載永劫 ちょうさいようごう)に渡って、数々の修行を積み、多くの勝れた特性を具えて、ついに阿弥陀と呼ばれる仏となり、我々の住むこの世界より西方に向かい十万億の国土を過ぎたところに「安楽(極楽、sukhāvatī スッカーヴァティ)」という浄土を建立して、今もそこで説法をしているという。

 

法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)

「法蔵(Dharmākara ダルマーカラ)」は阿弥陀仏がかつて菩薩だったときの名前。元国王だったが世自在王仏のもとで出家し法蔵比丘を名乗った。「菩薩(bodhisattva ボーディサットヴァ)」とは、菩提(覚り)を求める衆生のこと。つまり未だブッダではないが、ブッダとなることを目指している者や、ブッダと成ることが確定している者を意味する。

 

世自在王如来(せじざいおうにょらい)

世自在王仏に同じ。原語でLokeśvararāja(ローケーシュヴァラ・ラージャ)。

阿弥陀仏は法蔵菩薩であった時にこの仏に帰依し、この仏に導かれた。かつてこの世界に出現したブッダたち(過去仏)の中、最初の過去仏である錠光如来から数えて54番目(異説では81番目)の仏となる。

 

四十八願(しじゅうはちがん)

阿弥陀仏が因位(修行時代)の法蔵菩薩であった時に立てた48の誓い。世自在王仏は神通力により二百一十億の諸仏の国土(浄土)の有様を法蔵に示したが、法蔵はこれらの諸仏国土の特徴を参考に、自ら建てようとする浄土の理想を五劫もの長い期間に渡り考え抜き、ついにどのような浄土を建立するかを決定した。それが48項目の誓願(誓い)の形で示されている。この四十八願は衆生救済を眼目とするが、法蔵自らが仏となる必要条件ともなっている。つまりこれらの誓願が成就し、往生を望む衆生を迎え入れる準備が整わない限りは

決して仏とはなるまいと誓われているのである。

 

念仏往生(ねんぶつおうじょう)の本願(ほんがん)

『無量寿経』に説かれる四十八願中の第十八願。

「あらゆる世界の衆生が心から信じてわたくしの国に生まれたいと願い、わずか10回でもそれを念じ、それでももし生まれることが出来ないようであれば、決して仏とはならない」との願。

 

無量寿経(むりょうじゅきょう)

『阿弥陀経』『観無量寿経』と並ぶ「浄土三部経」の筆頭であり、浄土教の根本聖典のとして重視されてきた。

内容は、阿弥陀仏が法蔵菩薩時代の発心、本願とその成就、極楽の荘厳、阿弥陀仏による救いとしての三輩往生などの重要な教説が示されるが、特筆すべきは凡夫往生の根拠として第十八願(念仏往生の願)が明示されたことであろう。

漢訳『無量寿経』二巻は、曹魏の嘉平四年(252年)に康僧鎧(こうそうがい)が洛陽の白馬寺で訳したと伝説されているが(『開元釈教録』)、史実として有力なのは、永初二年(421年)に仏駄跋陀羅(ぶっだばったら)宝雲により共訳されたというもの。

康僧鎧(Saṃghavarman サンガバルマン)は3世紀頃の人で現在のウズベキスタンにあった康居(こうきょ)国出身。仏駄跋陀羅(Buddhabhadra)は4世紀頃に中国に入り東晋で活動した北インド出身の訳経僧で、『阿弥陀経』を翻訳した鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)と同時代人。ともに中国で活躍した西域出身の仏教僧である。共訳者の宝雲は河北出身、高名な法顕三蔵に同行してインドまで赴いた訳経僧で梵語に通達していた。

漢訳にはこの二巻以外に4種(すでに失われたもの含め五存七欠と言い慣わす)、他に断片を含めたサンスクリット語の原典数種、チベット語をはじめ、コータン語やソグド語訳など中央アジアの言語に訳されたものも現存する。

 

善導和尚(ぜんどうかしょう)

大業九年(六一三)から永隆二年(六八一)に在世、中国唐初に活動した阿弥陀仏信仰者であり、日本の浄土教に多大な影響を与えた。法然上人をして善導流と言わしめたその浄土思想の骨子は下記の通りである。

  1. 一切の衆生は現生においては(この身、この世では)成仏することが難しい。つまり能力の劣った凡夫である。
  2. その凡夫が輪廻から解脱する唯一の方法は、阿弥陀仏の本願を信じ、その本願のままに称名念仏を行うことである。
  3. それにより、阿弥陀仏は必ず自ら来迎し、極楽浄土への往生を果たすことができる。

当時の中国仏教界を席巻していた玄奘門下の唯識教学によれば、下品(能力の最も劣った人たち)が往生できるのは、報土(真実の仏国土)ではなく化土(衆生の機根に応じて変化した仮の仏国土)であった。またその他のいわゆる聖道門の諸師によっても、凡夫が真実の報土に往生できることは否定される。善導の主張の独創性は、ごく普通の人である凡夫が、凡夫であるままに、信心と念仏により救われていく道を示した点にこそある。

 

念仏

仏を念ずること、憶念すること。念ずる(smṛti)とは「心に留めおくこと」。釈尊在世時代には、修行の一環として「仏」を思い浮かべることが実践され(仏隨念)、時には遠隔にある釈尊に思いを馳せ、あたかも身近に存在するかのような功徳を期待することも行われていたようである。また古来より仏教徒は必ず「南無仏」と口に出して称えて、仏への帰依の念を表明してきた。

『無量寿経』において説かれる「念」の原義は、「心を起こす」あるいは「心をもって随念する」となっている。しかしながら、『観無量寿経』の特に下品下生の段には「声をして絶えざらしめ、十念を具足して、南無阿弥陀仏と称す」とあり、「念を具足して称える」意味を示すという。善導が著した注釈である『観経疏』においては、「念」は「声」であるとされており、往生のための行である「念仏」を「声に出す」という口業として捉えようという意識が明確になる。

さらにそれらを受けた法然上人は、「声はこれ念なり、念はすなわちこれ声なる」として、念声是一の解釈を打ち出した。つまり、浄土宗における念仏は声に出して「南無阿弥陀仏」と称えることであり、この本願の念仏によってこそ往生が果たされるのである。

 

法身(ほっしん)

仏はさまざまな姿を顕わして衆生を導く。仏の姿(現れ方)が示す意味やその働きについて、法身・報身(ほうじん)・応身(おうじん)の三種に分類したのが「三身(さんじん)」と言われるもので、そのうちの法身(dharmakāya ダルマカーヤ)とは、永遠に失われることのない不滅の真理であり、仏の本質のこと。

 

相好(そうごう)を観念(かんねん)する

「相好」は仏の姿・形を指す。つまり、仏の荘厳なる色相(すがた・かたち)やその功徳を心に思い浮かべて、深い禅定の境地に入っていこうとすること。

 

目出度(めでた)き

「立派な、素晴らしい、価値のある」との意味で用いている。

 

【現代語訳】

本願というのは、阿弥陀仏が悟りを得て仏となる以前、かつて法蔵菩薩と呼ばれる修行者だったはるか昔のこと、(自ら建設を志す)仏の国土を浄め、衆生を救済するために、世自在王如来(世間において自在であると称される仏)の前で48の誓いを立てたが、さらにその(48の願の)中で、すべての衆生が往生を果たすことを目的とする特別な誓願を起こした。それこそが念仏往生の願と呼ばれるものである。

つまり『無量寿経』の上巻には次にようにある。

「もし、わたくし法蔵菩薩が仏の位を得たとして、あらゆる世界の衆生が心から信じて、わたくしの国に生まれたいと願い、わずか10回でも心で念じて、それでももし生まれることが出来ないようであれば、わたくしは決して覚りを開かないであろう」

 

善導和尚はこの願を次のように解釈する。

「もしわたくしが仏となるとして、あらゆる世界の衆生の中で、わたくしの名を称えることわずか10回の者までも、もし(わたくしの建設する国に)生まれることがないならば、わたくしは覚りを開かないであろう」

そしてさらに仰っている。

「その阿弥陀仏は、まさにこの瞬間に(みずから建設を誓った国土である)極楽浄土にあって、(既に誓願を果たして)仏となっておられる。だからこそ、知るべきである。かつて仏が菩薩時代に誓った願いは、決して実を結ばない空しいものではなかったことを。衆生が仏の名を呼べば、必ず往生を果たせるのだ」

 

念仏とは、真理そのものである仏を深く心に刻み、忘れないように思い続けることでもなく、仏の優れたお姿を心に思い描くことでもない。ただ真心を込めて、ひたすら阿弥陀仏の名号を声に出して称える、このことを念仏と申すのだ。だからこそ(善導和尚は上で)「わたくしの名を称えること」と仰っているのだ。

(このように)念仏以外のすべての修行は、阿弥陀仏の本願(によって保障された修行)ではないので、たとえ立派で価値ある修行であっても念仏には及ばないのである。

おおよそ、その仏の国に生まれたいと願う者は、その仏の誓いに従うべきである。したがって、阿弥陀仏の国土(である極楽浄土)に生まれ出たいと願う者は、(他ならぬ彼の)阿弥陀仏の誓願に従うべきなのである。

 

 

選択本願念仏とは、仏によって「選択」され、浄土への往生する方法として「本願」に定められた「念仏」のことである。そしてその「念仏」は、無相の法身を対象とする念仏(憶念)でもなく、有相の報身を対象とする念仏(観念)でもない。念仏がそのようなものであると従来理解されていたように、真理の感得を目的とするものではなく、深い禅定(ヨーガ)の体験を目指すものでもない。

ただ仏の名を呼び、仏への全幅の信頼を表明すること、それがここで示される念仏である。

善導大師は無量寿経の願文にあった「十念」をあえて「称我名号下至十声(我が名号を称すること、下十声に至るまで)」と解釈した。確かに梵語では字義通りには「念ずる」と伝承される。しかしながら善導大師がこのように解釈したのは、如来の真意が大慈悲にあると確信してのことであり、本願に誓われた念仏一行により凡夫が救われゆく道がここに初めて開示されたのである。

合掌

和尚のひとりごとNo157「霊山冨士」

 富士山は2013年6月26日に世界遺産に選ばれました。確かにその美しさは私たちの胸を打ちます。季節により、時間帯により、気候により、まったく違った様相をもってその姿を示してくれる日本を代表する山です。

しかし富士が注目を集めるのは、その美しさ故というだけには留まりません。世界中の山々がそうであったように、古来より富士は信仰の対象であり、かつては荒ぶる山として畏れられてきました。それは他ならぬ火山活動によるものであり、度重なる噴火が甚大な被害をもたらしたと伝えられています。

また古くは縄文時代に遡る遺跡もあり、私たちの遠い祖先たちも、富士の威容を遥か彼方に拝していたのでしょう。huji2

やがて火山活動が沈静化に向かった平安期以降、実際に登りその霊力にあやかろうとする人々が増え始めました。中世には神仏習合の影響の下、富士そのものが仏たちが住む世界である両界曼荼羅に見立てられます。神々あるいは仏の住まう世界である山を登山しあるいは抖擻(とそう)すること、それ自体が大切な修行であると見なされます。

このように富士山への信仰の背景には、山に象徴される自然に対する畏敬の念が込められています。

huji1近世には富士修験や富士講で大いににぎわいを見せ、修験者だけではなく一般庶民にも開かれた山となりました。現在では「御来光」を拝み、また「お鉢めぐり」を行うために数多くの登山者が富士を訪れていますが、これだけ多くの人を惹き付ける富士の魅力とは一体何でしょうか?それは富士登山を通して自分自身を見つめなおし、新たな意義を発見出来るからではないでしょうか?古来より私たちが抱いてきた霊山富士への思いが、今に連綿と受け継がれていることに感慨を深く致します。

合掌

和尚のひとりごとNo156「少欲知足(しょうよくちそく)」

 『無量寿経』の中に、「有田憂田(うでんうでん)・有宅憂宅(うたくうたく)」という言葉が出てきます。田んぼが有れば、田んぼによって憂(うれ)い。家が有れば家によって憂(うれ)うという意味です。田んぼや広い土地が有ったら結構な事と思うけれども、その田んぼが有る事によって「水は大丈夫か」「肥料は足りているか」と憂いや心配事が出てくる。それが「有田憂田」。また屋敷が有ったら、大きな立派な家が建ったならば、それは嬉しい事ですが、同時に「火事にならんか」「泥棒に入られんか」と次から次に心配事が増えてくる。有れば結構な事と思うけれども、持っている人には持っている人の悩み、手に入れると手に入れただけの悩みが出てくるものです。更にこのお経の続きには、「無田亦憂、欲有田(むでんやくう、よくうでん)・無宅亦憂、欲有宅(むたくやくう、よくうたく)」と説かれます。田んぼが無ければ亦憂い、田んぼ有ればと欲する。家が無ければ亦憂い、家が有ればと欲するという意味です。

 

 有田憂田 有宅憂宅 無田亦憂 欲有田 無宅亦憂 欲有宅

 

 ただ単に人間は強欲だと言う事ではありません。どれだけのものを手に入れたとしても悩み事、憂い事は次から次へと出てくるものです。或いはこの人生、生きて行く上でどんな道を辿ったとしても、どんな選択をしたとしても悩み憂いから決して離れる事はないというのが人間であり、又無ければ無いで欲や憂いが出てくると説かれるのです。19gogatu

 お金が有る事が幸せだ。「高収入」=「成功者」と言うのは一時のまやかしとも言われます。世界有数の大富豪者になったビル・ゲイツさん。マイクロソフトという会社を作った方です。現代のI・T社会の先駆けとなったソフトウェアを作って、巨万の富を得た方です。そのビル・ゲイツさんが「金持ちで得する事はあまりない」と言っておられます。お金を得る為に時間や人、家族を犠牲にして、それだけ仕事をしてきたその結果のお金。振り返ってみたら、「もう少し自分の為に時間を使えば良かった」、「家族との時間を大切にしておけば」と色々憂い事は出てくるものです。今すでに満ち足りている事に感謝し、現状を喜ぶ事で幸せを感じられるものです。今いる自分の立場を喜ばせていただき、お念仏申して過ごして参りましょう。

法然上人御法語第四

第4 出世本懐(しゅっせのほんかい) gohougo

 

~ブッダはこの教えを説くために出現されたのだ~

 

【原文】

念仏往生(ねんぶつおうじょう)の誓願は、平等の慈悲に住(じゅう)して発(おこ)し給(たま)ひたる事なれば、人を嫌う事は候(そうら)はぬなり。佛の御心(みこころ)は、慈悲をもて体とする事にて候(そうろ)ふ也。されば観無量寿経には、「仏心(ぶっしん)というは大慈悲これなり」と説かれて候(そうろう)。

善導和尚(ぜんどうかしょう)、この文(もん)を受けて、「この平等の慈悲をもては、普(あまね)く一切を摂(せっ)す」と釈し給へり。「一切」の言(ごん)、広くして、漏るる人候ふべからず。されば念仏往生の願は、これ彌陀如来の本地(ほんじ)の誓願なり。余(よ)の種々(しゅじゅ)の行は、本地(ほんじ)の誓いに非ず。

釈迦も世に出(い)で給ふ事は、彌陀の本願を説かんと思(おぼ)し食(め)す御心にて候へども、衆生の機縁(きえん)に随ひ給ふ日は、余の種々の行をも説き給ふは、これ随機(ずいき)の法也。佛の自らの御心の底(そこ)には候はず。

されば念仏は彌陀にも利生(りしょう)の本願、釈迦にも出世の本懐(しゅっせのほんがい)なり。余の種々の行には、似(あら)ず候也。

☆出典 『勅伝』第二十八

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【ことばの説明】

念仏往生の誓願

『無量寿経』に説かれている、修業時代の阿弥陀仏が、仏となる必要条件として誓った四十八願中の第十八願のこと。

「あらゆる世界の衆生が心から信じてわたくしの国に生まれたいと願い、わずか10回でも念仏を試みて、それでももし生まれることが出来ないようであれば、決して仏とはならない」との願。

 

人を嫌う

「嫌う」は、分け隔てる、差別すること。

つまり、念仏往生の誓願は何らかの条件によって選別された人だけを対象とするものではなく(救いの対象を限定するものではなく)、全ての人を対象としたものであるということ。平等思想であることの表明。

 

彌陀如来の本地(ほんじ)の誓願

「本地」とは「本来の姿、本体」のこと。

ここでは「念仏往生の願」が、彌陀如来(阿弥陀仏)が仏となる以前、菩薩として修行していた時代に立てた誓願であることを意味している。

 

普(あまね)く一切を摂(せっ)す

「普く」は「広く、すみずみまで、漏れなく」、「一切」は「全て」ここでは全ての衆生、「摂す」は「収め取る」つまり「救い取る」の意味ととる。

 

余の種々の行

念仏以外のさまざまな修行のこと。

仏の教えは「八万四千(はちまんしせん)の法門」といわれるように、様々な経典において、様々な修行法(実践法)が説かれている。

しかしながら、それらの様々な行は、決して並列的に考えられているのではない。阿弥陀仏の本地の願において「念仏」こそが往生する為の最も優れた行として取り上げられていることを根拠に、念仏がその他の行から明確に差別化されている。

 

衆生の機縁

「衆生」とは原語でsattva、意味するところは「生きとし生けるもの(生類)」のこと。

特に、六道の中の迷いの境涯である「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間」を指すことが多い。

また「有情(うじょう)」という訳語もある。文字通り感情や意識、つまり心を持つ存在を指しており、当然これも人間に限定される訳ではない。

 

「機縁(きえん)」とは「根機(こんき)・因縁(いんねん)」を略したもの。

根機(こんき)とは衆生の持つ資質(素質・能力)のこと、そして因縁(いんねん)とは、何らかの結果(果報)をもたらす直接的な原因である「因(hetu)」と、間接的な条件である「縁(pratītya)」を指す。

ここでは、【仏の教えを受ける側の衆生の資質(素質・能力)】と、【そのような資質を持つ衆生が、仏の教えに触れられた】という2つの条件が揃って、初めて教えが説かれるという事態が成立すること、言い換えると、われわれ衆生の持つ資質が、仏が教えを説くきっかけとなっていることを意味している。

仏の教えが「八万四千の法門」となったのは、それを聴く衆生の側に、さまざまな「機」が存在したからであり、仏は各々の「機」に最適な法を説いたのである。

 

随機(ずいき)の法

衆生の持つ資質(素質・能力)に従った法、すなわち、聴き手に応じて説かれた教え。

 

利生(りしょう)の本願

「利益(りやく)衆生」のこと。

仏や菩薩が衆生に利益を与えること、またはその利益。

ここでは念仏往生の願が、阿弥陀仏が衆生に利益を与える目的で立てた本願であることを言っている。

 

出世の本懐(しゅっせのほんがい・しゅっせのほんかい)

釈尊がこのわれわれの住む迷いの世界である娑婆世界に生まれ出た本来の目的のこと。

もちろん、その目的が衆生に覚りの内容を示し、覚りを開かせるためであることは言うをまたない。しかしながら、さまざまな経においてさまざまな内容が説かれている現状では、それらの中でもっとも説き示したかった教えは本当は何なのか?という疑問も生じざるを得ないだろう。結果、さまざまな異説が生まれた。たとえば、釈尊の出世本懐の経について、天台宗では『法華経』、華厳宗では『華厳経』としている。

それはまた各々の拠って立つ立場の相違も反映している。浄土宗では衆生の済度(救済)は、賢愚善悪(けんぐぜんあく)に関係なく平等になされるものである筈だとの立場から、出世の本懐は阿弥陀仏の本願による念仏の教えを弘めることにあったとしている。

 

 

【現代語訳】

念仏往生の誓願は、あらゆる衆生に平等に適用される、慈悲の心によって起こされた誓いであるから、その救いの対象となる人を分け隔てるということは決していない。だからこそ『観無量寿経』に、「仏の心は、偉大な慈悲の心に他ならない」とはっきり説かれているのである。

彼の善導和尚はこの一文を受けて、「阿弥陀仏は、この平等の大慈悲により、漏れなく全ての衆生を救い取って下さる」と解釈している通りである。ここに「一切」という言葉の意味はまことに広く、漏れ落ちる人がある筈があろうか。だからこそ念仏往生の願は、阿弥陀仏がかつての修行時代に、仏となる為に立てられた願なのであり、念仏以外のさまざまな修行はそうではないのである。

釈尊が、このわれわれの住む迷いの世界である娑婆世界にかつて生まれ出られたのも、実は阿弥陀仏の本願を説こうとされた御心によるものだったが、衆生の資質や置かれた状況に合わせて教えを説こうとされた際には、念仏以外のさまざまな修行を説かれる結果となったのである。ただしこれはあくまでその時の聴き手に応じて説かれた教えであり、釈尊自身が心の底から説きたいと考えられたものではなかった。

そうであるからこそ念仏は、阿弥陀仏にとっては、まさに衆生に利益を与える為の本願であり、釈尊にとっては、この世界にお出ましになって本当に説きたかった教えであったのだ。その他のさまざまな修行とは、このように異なるものなのである。

 

 

「出生の本懐」それは仏が仏として世に出られた本当の目的を表現したことばである。

「出生の本懐」は重いことばだと思うが、同時に、私たち衆生の切実なる期待(そして大きな願い)を表現していると感じる。

仏に恋い焦がれ、仏と同じ境地にたどり着きたいと願う者、あるいは今世(つまり人生そのもの)に絶望し、心の底から安楽なる世界へ超出したいと願う者、それらの者が望むのは一体何だろうか?それは、何らかの前提条件を設けずに、思い立ったその時に実践でき、その効果が確実な修行であろう。私たち自身に与えられたこの身体をもって、仏の浄土に迎えとられていくための方法論であろう。それこそが「仏の名を称すること」すなわち「念仏」であると表明されている。そしてその確実性は彼の仏自身によって誓われているのである。

釈尊はそれを説き示された。人がブッダとなれることを2500年前に自らの身をもって証明された釈迦族の王子は、そののちの世に生を受け、未だ見ぬ仏を想い、その教えに焦がれる衆生に最適な道を、浄土への往生という道を示されたのである。

合掌

和尚のひとりごとNo154「大本山増上寺と日光東照宮 」

浄土宗大本山の一つである増上寺の歴史をひも解くと、もとは弘法大師空海の弟子であった宗叡(しゅうえい)が建立した真言宗の古刹光明寺(こさつ こうみょうじ)を、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人が念仏道場にしたことに始まります。爾来、室町時代の開山から戦国時代さらには江戸時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展してきました。

そうした中、浄土宗にとりましても大きな出来事が起きます。東国に江戸幕府を開こうとしていた徳川家康の帰依を受けるようになったことです。それは家康公が関東の地を治めるようになってから間もなくのこと。やがて増上寺は徳川家の菩提寺(のちに勅願所ちょくがんしょ)となり、1598年(慶長三年)には現在の地(芝)に移転しました。のちには関東十八檀林(僧侶の学問所・養成所)の筆頭として、常時三千人を越す僧侶が学ぶ道場となりました。 zoujyouji

 

そんな増上寺ですが、実は江戸の都市設計上、ある重要な役割を担わされていいたと言われています。当寺の江戸は鎌倉や小田原に比べるとまだまだ未開発の地、港沿いの湿地帯の背後に武蔵野の原野が広がっているような土地柄だったと言われます。そんな中での新たな都市計画です。江戸の街づくりの基本理念は徳川家のブレーン天海僧正によるものです。天海は江戸を京の都、平安京にみたて、鬼門にあたる北東の方角に東叡山寛永寺(東の比叡山です)を配し自ら住職として守り、そこから江戸本丸(江戸城)を挟んで一直線で結ばれる先に増上寺を配しました。つまり増上寺は西南の裏鬼門に位置します。鬼門・裏鬼門は鬼(悪しきもの)が侵入する入り口だというのが古来よりの言い慣わしであります。両寺院が江戸という小さな都市国家を守護する役目を担っていた訳ですね。やがて両寺院には家康公を祀る東照宮が勧請されました。さらにそのラインを反対に江戸の北方面に伸ばしてくと日光東照宮に行きつくともいわれます。地図を眺めて線を引いてみると確かにgobyou

 

 

 

日光東照宮は、東照大権現(江戸城の守護神)として家康公を祀る場所、また北という方角には北極星が鎮座し、その北に位置する東照宮を拝することは、北極星すなわち天帝を拝することでもあると言われました。家康公を天帝と同一視しようとしたのではないでしょうか? 残念ながら増上寺の大塔伽藍に往時の面影を伝えるものは少ないですが、日光東照宮は世界遺産にも登録されています。

 

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都市や町は歴史を持ち、それは人の記憶と似ています。また様々な意図や思惑が込められていることもあるようです。それを探ることも興味深いですね。

合掌

和尚のひとりごとNo153「令和」

日本で最初の元号は西暦で645年の大化の改新に遡ります。それから1400年、私たちは古来より元号が改まるたびに、平和と安寧への強い願いを込めて参りました。
 本日新しい元号が発表されました。
”令和”の時代が、全ての生命あるものにとり、心安らかで幸ある時代となりますようにこころより祈念致します。reiwa
”御仏の光明が すべての世界の衆生をあまねく照らし給うように”
合掌