Monthly Archives: 10月 2021

和尚のひとりごと「伝道掲示板482

20211031

人との交わりは愛着を生む
この愛着に従ってこの苦しみが起きる
愛着より禍いが生じることを見て
犀の角のようにただ独り歩め。

実に欲望は色とりどりで甘美であり
心に楽しく、様々ないろ形をもって心を乱す。
欲望にはこの患いのあることを見て、
犀の角のようにただ独り歩め。

妻子も、父母も、財産も
親類縁者も、蓄えた穀物も
そのほかのあらゆる欲望の対象を捨てて
犀の角のようにただ独り歩め。
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板481

20211030

”家々の戸口に立ち、施しの食を受け
牛の尿を薬とし、樹木の根元を臥坐所とし
糞掃衣をまとって住する。
これらにて満足するならば
まさに彼は四方(よも)の人となる。”
『長老偈』マハーカッサパ長老の言葉より

小欲知足の頭陀行に徹した摩訶迦葉尊者のことば。

和尚のひとりごと「伝道掲示板480

20211029

善き友と交わることこそ肝要であるとかつて釈迦は仰っていた。
ある時、仏弟子アーナンダは申し上げた。
「世尊よ 我々が善き友とともにあれば
既に為すべき道の半ばを為し終えたと言えるのではないでしょうか?」

師は答えた。
「アーナンダよそのように考えるべきではない。
善き友とあることは仏道の半ばではなく全てである。
人は私と共にあることにより老いさらばえてゆく身でありながら
老いから自由になる事ができるのだ」
『相応部経典』道相応より

和尚のひとりごと「伝道掲示板479

20211028

”思慮深き人は島(よるべ)を作れ
いかなる激流もその島を押し流すことの出来ぬような
奮起せよ
努め励み
自己を制せよ”
『釈迦の言葉』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板478

20211027


”他愛もない快楽
取るに足らぬ楽しみを捨て去ることにより
大いなる安楽を得ることが出来るのであれば
心ある人はつまらぬ快楽を捨て
大いなる安楽を手にするであろう。”
『ウダーナヴァルガ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板477

20211026

”未来に備えてあらかじめしておくべきことを今為すべきである。
もしその時がやって来て
未だ為されていない事のないように。
そのように準備する人は
その時がやって来た時にそれを為すことができる。”

『ウダーナヴァルガ』より

和尚のひとりごとNo744「法然上人御法語後編第二十二」

退縁悪知識(たいえんあくちしき)

往生(おうじょう)せさせおわしますまじきようにのみ、申(もう)し聞かせまいらする人々の候(そうろ)うらんこそ、返(かえ)す返(がえ) すあさましく心苦しく候(そうら)え。いかなる智者(ちしゃ)、めでたき人々(ひとびと)仰(おお)せらるるとも、それにな驚かせおわしまし候(そうら)いそ。各(おのおの)の道(みち)にはめでたく貴(たっと)き人(ひと)なりとも、解(さと)り異(こと)に、行(ぎょう)異(こと)なる人の申(もう)し候(そう ろ)う事(こと)は、往生浄土(おうじょうじょうど)のためには中々(なかなか)ゆゆしき退縁(たいえん)、悪知識(あくちしき)とも申(もう)しぬべき事(こと)どもにて候(そうろう)。

 ただ凡夫(ぼんぶ)の計(はか)らいをば聞き入れさせおわしまさで、ひとすじに仏(ほとけ)の御誓(おんちか)いを頼みまいらせおわしますべく候(そうろう)。

正如房へつかわす御文

koudai22

退縁悪知識(たいえんあくちしき)

退縁は、仏道修行において退歩・退転の縁となる要因。

悪知識は、謝った教えを説く指導者。

「往生など叶うはずがありません」

そのように申し聞かせようとする人たちがおられるそうです。誠にもって嘆かわしく気がかりな事です。たとえどのような学者の方々や、賞賛に値する人々がそのように仰っていても、それにびっくりなさってはなりません。それぞれの道において立派で尊敬すべき人であっても、教えに対する理解の仕方が異なり、従って修行の方法も異なっている人の仰る事は、私たちの目指す浄土への往生の為には、かえって妨げとなったり、誤った道へと進ませる結果にもなると申し上げるべきでしょう。

仏ならぬ凡夫の考えを顧みず、ひたすらに仏のお誓いをこそ頼みとなさい。

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板476

20211024

”アーナンダよ
私が死んだ後、汝はこのように思うであろう。
「もう私たちの師はいないのだ」
しかしそのように考えてはならぬ。
かつて私が汝らに説いた教えと戒めとが
汝らの師となるのだから。”

『大般涅槃経』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板475

20211023

”その肉体により、発する言葉によって
心によって悪行を作す者たち
彼らは自らを護っていないのである。

その肉体でもって、発する言葉によって
心によって善行を作す者たち
彼らは自らを護っているのである。

身を慎むことは善い。
言葉を慎むことは善い。
心を慎むことは善い。
あらゆる事に対して慎みを保つ人は
自らを護っている人である。”
『相応部経典』拘薩羅相応より

和尚のひとりごと「伝道掲示板474

20211022

”花摘みに夢中になる人を
死がさらって行くように
あるいは眠りに沈む村を
洪水が押し流していくように

花摘みがまだ終わらないうちに
未だ望みを果たさぬ前に
死神は彼を征服する”
『ダンマパダ』より