Monthly Archives: 11月 2021

和尚のひとりごと「伝道掲示板508」

20211130


”健康は最上の利得であり
満足は最大の財産である。
信頼は最高の知己であり
寂静(ニッバーナ)は最上の安楽である。”
『ダンマパダ』より

人は身体の健やかさと
心が満たされることを望み
満足を求める。
その中でも真の満足は
欲望の静まった涅槃の境地にある

和尚のひとりごと「伝道掲示板507」

20211129

”孤独のなかで梵行に勤しんでいたときには
彼は賢者である、と称賛され
のち淫欲にふけるようになれば
自ら愚者となって悩むようになる。

聖者はこのように災いあることをよく知り
淫欲の交わりにふけってはならぬ。

俗事を離れ孤独であれ
これこそが聖者にとって最上のことである。
またここに留まってはならぬ。
彼はただ真の安らぎに一歩近づいたのみであるから。”
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板506」

20211128

”かつて私は生まれと財と威勢を誇り傲慢であった。
身体の容色と容貌とを誇りに思っていた。
誰であれ、自分と等しい者、より勝れた者はおらず
傲り高ぶりに打ち負かされた愚かなる者としてあった。
母でさえ、父でさえ、師として仰がれる人々でさえ
敬いをもたず、礼節を欠いていた。
ところがこの上ない導きの人、最も巧みなる御者であるブッダを見て
また太陽の如く輝ける修行者たちを見て
慮りを捨てて、憍慢を捨てて、真に浄らかなる心をもって
ブッダに頭を垂れたのであった。
あらゆる高慢、増長の心と蔑む心は捨て去られ
修行は成し遂げられた。
もはや「私は存在するのだ」との思いは絶たれ、思い悩むこともない。”
『長老偈』ジェンタ・プローヒタプッタ長老のことばより

和尚のひとりごと「伝道掲示板505」20271127”他者に従うのは苦痛であろう。
自分が思う通りに行動できる人間であること、これこそまことの楽しみである。
他者と同じものを共有しなければならぬ時、人は煩いを感じるものだ。
束縛を撥ね退けることは難しい。”
『ウダーナヴァルガ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板504

20211126

”愛おしく喜ばしい五つの感覚の対象を捨て
信念をもって家を出て、苦しみに終わりを告げる者となれ。
善き友と交わり、人里離れた静かな処にて寝起きし
食べるものに節度を知れ。
身にまとうものと、施しの食と、わずかな特別な品と、寝起きする場所
こういったものに対して欲を起こしてはならぬ。
生活の戒めに準じ、五つの感覚器官を抑制し、自分自身の身体を観察せよ。
心より世界を厭い嫌う者となれ。
愛欲があればすべて浄らかに見える。
そのような外見から離れて、それは浄らかならざるものであると観察して
静かに精神を統一せよ。”
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごとNo775「法然上人御法語後編第二十四」

滅罪増上縁(めつざいぞうじょうえん)

【原文】
「五逆罪(ごぎゃくざい)と申(もう)して、現身(げんしん)に父を殺し、母を殺し、悪心(あくしん)をもて仏身(ぶっしん)を損(そこ)ない、諸宗(しょしゅう)を破(やぶ)り、かくの如(ごと)く重き罪を造(つく)りて、一念懺悔(いちねんさんげ)の心(こころ)もなからん、その罪によりて、無間地獄(むけんじごく)に堕(お)ちて、多くの劫(こう)を送りて苦(く)を受(う)くべからん者(もの)、終(おわ)りの時(とき)に、善知識(ぜんちしき)の勧めによりて、南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)と十声(とこえ)称(とな)うるに、一声(いっしょう)に各々(おのおの)、八十億劫(はちじゅうおっこう)が間(あいだ)、生死(しょうじ)にめぐるべき罪を滅(めっ)して往生す」と説かれて候(そうろ)うめれば、「さほどの罪人(ざいにん)だにただ十声(とこえ)一声(ひとこえ)の念仏にて往生は、し候(そうら)え。まことに、仏(ほとけ)の本願(ほんがん)ならでは、いかでかさる事(こと)候(そうろ)うべき」と覚(おぼ)え候(そうろう)。

正如房へつかわす御文

koudai24

【御句の説明】
滅罪増上縁(めつざいぞうじょうえん)
極楽浄土へ往生を願う念仏者が、阿弥陀仏の本願力によってこうむる勝れた功徳に五つ数えられる。その第一がこの滅罪増上縁で、現世、この身で犯してしまった重い罪が、念仏を称えることによって滅する力強い因縁のこと。『観無量寿経』に説かれる。

五逆罪(ごぎゃくざい)
母を殺すこと、父を殺すこと、阿羅漢(覚りを開いた聖者)を殺すこと、仏の身体を傷つけて出血させること、修行僧の和合を乱し分裂させること、この五種の重罪を指す。

無間地獄(むけんじごく)
悪趣の中で最も恵まれない境遇である地獄界に八つを数え、その中で最下層に位置する地獄のこと。八つは、等活(とうかつ)、黒縄(こくじょう)、衆合(しゅごう)、叫喚(きょうかん)、大叫喚、焦熱(しょうねつ)、大焦熱、そして無間となる。”無間”とは地獄の責め苦が絶え間ないことを意味し、五逆罪および仏の教えを誹謗した罪を犯した者が必ず赴く世界であるとされていた。

善知識(ぜんちしき)
利益をもたらす善き友人、特に仏法への善きいざない手のことで、浄土教では往生浄土と念仏の導き手を指している。

【本文の意味】
「五逆罪と呼ばれる、父を殺し、母を殺め、悪意をもって仏の身体を傷つけ、諸々の仏教の教えを謗って和合を乱したり、このような重罪をこの生涯において犯しながらも、微塵も懺悔する心なく、間違いなくその罪過によって無間地獄へと堕ちて、まことに長い日々を、地獄の責め苦に苛まれるはずの者が、臨終の際に、善き導き手の勧めによって、南無阿弥陀佛と十回声に出して称えれば、その一声ごとに、通常であれば八十億劫もの長き間に迷いの生死を繰り返さざるを得ない罪さえも消滅して、ついに往生が叶う」、このように経に説かれているようでありますから、「それほどの重罪人でさえ、ただ十回一声のお念仏で往生することができる。まこと、阿弥陀仏の本願の力によるのでなければ、どうしてこのようなことがあり得ようか」と思う次第であります。

この身で確かに重い罪を犯してしまった者、かつて恐ろしい殺人鬼として恐れられたアングリマーラは、修行の末、遂に覚りを開いてこのように詠んだと伝えられています。
”以前には悪しき行いをした者であっても
のちに善によってそれを償うならば、その者はこの世の中を照らすだろう――”
諸縁和合すれば、我知らずに罪を犯してしまうのが偽らざる私たちの姿だとすれば、その罪業を滅し、浄らかなる仏国土へと導いてくださる仏の慈悲のありがたさが、そしてお念仏の尊さが改めて心に染みわたるような気がいたします。

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板503

20211124

”他人の過失を見ることを止めよ
他人がしたこと、しなかったことを見るのを止めよ
ただ自分自身がしたこと、しなかったことだけを見るようにせよ

たとえ艶やかであっても
香りのない花の如く
素晴らしい言葉を述べながら
それを実行しない人の言葉は

艶やかであり香り高き花の如く
素晴らしい言葉を述べ
それを実行する人の言葉は”
『ダンマパダ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板502

20211123

”恥じる必要がないことを恥じて
恥ずべきことを恥じない人
恐れる必要がないことを恐れ
恐れるべきことを恐れない人
それら邪な見解を持つに至った人々は
地獄へと堕ちるだろう”
『ウダーナヴァルガ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板501

20211122


”全ての罪を犯さぬこと
善きことがらを具えること
自分の心を浄めること
このように諸々の仏たちは教えた。”
『ダンマパダ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板500

20211121

”端麗なる容姿によって、内面を窺い知ることは出来ない。
振る舞いを見て、人を信頼するな。
この世では
あたかも身を慎んでいるかの如く見せかけながら
本当は慎みとは無縁の人々が大勢いるのだ。”
『相応部経典』コーサラ相応より

道で出会った沙門が敬いに値する者かどうか。
こう国王に尋ねられた釈尊はこのように答えた。