一紙小消息

和尚のひとりごとNo860「一紙小消息14」

【原文】
諸行の中に念仏を用うるは、彼の仏の本願なる故なり。

【意味】
往生を目的とする様々な修行の中でも
特に念仏を用いる理由は、それが阿弥陀仏の本願によって誓われた行だからです。

和尚のひとりごとNo858「一紙小消息13」

【原文】
諸仏の中に弥陀に帰したてまつるは、
三念五念に至るまで、自ら来迎し給う故なり。

【意味】
様々いらっしゃる仏の中で、特に阿弥陀如来さまにおすがりする理由は
たった三回や五回のお念仏で迎えてくださるからです。

 

和尚のひとりごとNo856「一紙小消息12」

 

【原文】
十方に浄土多けれど、西方を願うは、
十悪五逆の衆生の生まるる故なり。

【意味】
私たちのまわりには仏の世界が数え切れないほど存在していますが
中でも西方の極楽浄土を願う理由は
十悪や五逆といわれる重罪を犯した者でさえも往生できるからです。

和尚のひとりごとNo854「一紙小消息11」

 

【原文】
我が身わろしとても疑うべからず。
「自身はこれ、煩悩具足せる凡夫なり」との宣えり。

【意味】
自分が煩悩にまみれた至らぬ身であるからといって疑ってはなりません。
あの善導大師さえも「我こそ煩悩を備えた凡夫である」と仰っているくらいですから。

和尚のひとりごとNo852「一紙小消息10」

 

【原文】
時下れりとても疑うべからず。
法滅以後の衆生、なおもて往生すべし。況や近来をや。

【意味】
教えが説かれた時代よりはるかな時を隔てているとしても疑ってはなりません。
教えそのものが滅び去ってしまうのちの未来においてさえも往生できるのですから
今の時代の私たちにそれが叶わないことなどあるでしょうか。

和尚のひとりごとNo850「一紙小消息9」

【原文】
罪は十悪五逆の者も生まると信じて、少罪をも犯さじと思うべし。
罪人なお生まる、況や善人をや。

【意味】
罪については、十悪や五逆の重罪を犯した者でさえも往生できるのだと信じながらも
私は些細な罪さえも犯すものか、と自らいさめるようにしなさい。
罪を犯してしまった人でさえも往生できるのです。
ましてや善い行いを心がける人については言うまでもありません。

 

和尚のひとりごとNo848「一紙小消息8」

【原文】
本願に乗ずることは、信心の深きによるべし。

受け難き人身を受けて、遇い難き本願に遇いて、発し難き道心を発して、
離れ難き輪廻の里を離れて、生まれ難き浄土に往生せん事、悦びの中の悦びなり。

【意味】
その本願に身を任せるということは
まさに信ずる心の深さによるものなのです。

今、得難い人としての境遇を受け、出遭い難い仏の本願の教えに出遭い
ついに仏の道を求める心を起こし、離れ難い生死輪廻の境涯から離れて
生まれ難い浄土に往生することができます。
これはまさしくこの上ない悦びなのです。

和尚のひとりごとNo846「一紙小消息7」

【原文】
今弥陀の本願に乗じて往生しなんに、
願として成ぜずと云う事あるべからず。

【意味】
今、阿弥陀仏の本願に我が身を任せ、往生を願うならば
願いが叶わぬなどということは決してありません。

和尚のひとりごとNo842「一紙小消息6」

【原文】
諸仏の中に弥陀に帰したてまつるは、
三念五念に至るまで、自ら来迎し給う故なり。
諸行の中に念仏を用うるは、彼の仏の本願なる故なり。

【意味】
様々いらっしゃる仏の中で、特に阿弥陀如来さまにおすがりする理由は
たった三回や五回のお念仏で迎えてくださるからです。
往生を目的とする様々な修行の中でも
特に念仏を用いる理由は、それが阿弥陀仏の本願によって誓われた行だからです。

和尚のひとりごとNo841「一紙小消息5」

【原文】
我が身わろしとても疑うべからず。
「自身はこれ、煩悩具足せる凡夫なり」との宣えり。

十方に浄土多けれど、西方を願うは、
十悪五逆の衆生の生まるる故なり。

【意味】
自分が煩悩にまみれた至らぬ身であるからといって疑ってはなりません。
あの善導大師さえも「我こそ煩悩を備えた凡夫である」と仰っているくらいですから。

私たちのまわりには仏の世界が数え切れないほど存在していますが
中でも西方の極楽浄土を願う理由は
十悪や五逆といわれる重罪を犯した者でさえも往生できるからです