和尚のひとりごと「伝道掲示板543」

20220109

アーナンダよ
今やわたくしは老いさらばえ、人生の旅路の果てにさしかかり
老齢となった。
もはや齢八十に達している。
老朽化した車は修繕を重ねることで
かろうじて動くようになる
わたくしの身体もまた然りである。
『大般涅槃経』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板542」

20220108

眠れぬ人に夜は長く
疲弊した人にさらなる一里の道のりは遠い
正しき真理を知らぬ愚者にとり
生死の道のりは果てしなく長い
『ダンマパダ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板541」

20220107

帝釈天が神々のうちで高位にあったのは
七つの誓戒を保っていたが故である。

”父母を養う
年長者を敬う
柔和なる言葉をつかう
謗ることをやめる
吝嗇な心を捨て、喜んで与える心を持つ
他の懇願に応じて布施を楽しむ
真を語り
怒ることがない”

そのような者でありたい、と。
『相応部経典』帝釈相応より

和尚のひとりごと「伝道掲示板540」

20220106

百の特徴を持ち、百の特相を具えるものがあり
その一部の特徴しか見ない者は、思慮浅はかなる者であり
百の特相を見る者こそ賢者である
『長老偈』スヘーマンタ長老の言葉より

和尚のひとりごと「伝道掲示板539」

20220105

悪を行い、それを隠し
どうか誰にもわたくしのしたことが悟られぬように
と隠し事をする人
このような者が賤しき人であると知れ。

かつて饗しを受けながら、自ら客を招く段になると返礼をせぬ人
このような者が賤しき人であると知れ。

バラモンや道の人、もの乞う人たちに嘘をつき騙す人
このような者が賤しき人であると知れ。

食すべき適切な時間となっても
バラモンや道の人を罵り、食を施さぬ人
このような者が賤しき人であると知れ。

この世の迷妄にどっぷり浸かり、僅かなものを欲しいばかりに
事実に違うことをしゃべる人
このような者が賤しき人であると知れ。

自らを褒め称え、他人を軽蔑し
慢心のあまりに下劣な存在となっている人
このような者が賤しき人であると知れ。
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板538」20220104

証人台に立ったときにも
自らの保身の為、誰か他人の為、あるいは財を得る為に
偽りを語ってはばからない人
このような者が賤しき人であると知れ。

ときには暴力によって、ときには互いに愛すことによって
親族や友人の妻と交わる者
このような者が賤しき人であると知れ。

己は豊かな財を持ちながら、年老いた父母を養わぬ人
このような者が賤しき人であると知れ。

血を分けた母、父、兄弟、姉妹または義母を打ち据え
言葉により罵る人
このような者が賤しき人であると知れ。

忠告を求められても、相手の利益を考えず
不利益となることを教え、隠し事をする者
このような者が賤しき人であると知れ。
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板537

20220103


”賤しき人とはどのような人でありましょうか?”
火に事えるバーラドヴァーシャ婆羅門に対して釈尊は説かれた。

”怒りやすく、怨みを抱いて、邪悪であり、見せかけにて人を欺いている
誤った見解の持ち主、他人に対して底意ある人
このような者が賤しき人であると知れ。

母親の胎内より生ずる者、卵より生ずる者
およそこの世界の生き物に害を与え、憐れみを持たぬ者
このような者が賤しき人であると知れ。

村落を破壊し、包囲網を張って、圧制者として振る舞う者
このような者が賤しき人であると知れ。

村落にあっても、森にあっても
与えられぬものを他人より奪う者
このような者が賤しき人であると知れ。

実際のところ負債を抱えているにも関わらず
返済を促されると知らぬ顔をして言い逃れをする者
このような者が賤しき人であると知れ。

まことに僅かなものを欲するあまり、道行く人を殺害して
奪い取る者
このような者が賤しき人であると知れ。”
『スッタニパータ』より

和尚のひとりごと「伝道掲示板536

20220102

腹を立てたバラモンがやって来た。
釈尊はこのように仰った。

”汚れなき者、咎なき者を汚すならば
その禍は汚した者自身に返ってくる。
それはあたかも風向きに反して細やかな砂を投げても
それは必ず自分に戻ってくるようなものだ。”

バラモンはそのまま釈迦の教えを聴く者となった。
『相応部経典』婆羅門相応より

和尚のひとりごとNo812「幸せへのスタート」


 ある大学で教授が「クイズの時間です!」と大きな壺を一つ取り出し教壇に置きました。その壺に教授は一つ一つ大きな石を詰めていきました。壺が一杯になる迄石を詰めて学生達に聞きました。「この壺はもう満杯か?」教室中の学生が「はい。」と答えました。「本当にそうだろうか?」そう言うと教授は教壇の下からバケツ一杯の小石を取り出しました。そしてその小石を壺の中に流し込み壺を振りながら、石と石の間を小石で埋めていきました。そしてもう一度聞きました。「この壺は満杯か?」すると一人の生徒が、「多分違うだろう。」と答えました。教授は「そうだ。」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツを取り出しました。それを石と小石の隙間に流し込んだ後、三度目の質問をしました。「この壺はこれで一杯になったのだろうか?」学生達は声を揃えて、「いいや。」と答えました。教授は水差しを取り出し、壺の縁迄なみなみと水を注ぎました。彼は学生達に最後の質問を投げかけます。R4itigatu

 「私の言いたい事が分かるだろうか?」すると一人の学生が手を挙げました。「どんなにスケジュールが一杯でも最大限の努力をすればまだ予定を詰め込む事は可能だという事です。」それを聞いた教授は「そういう考えもあだろうが今私の言いたい事とは違う。」と言いました。「今回の重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私達に示してくれる教えは、大きな石を先に入れない限り、それが入る余地はその後二度と無いという事なんだ。つまり水や砂を先に入れてしまうと、もう大きな石を入れる事は出来ない。さて君達の人生にとって“大きな石”とは何ですか?」と教授は話し始めました。「それは、仕事であったり、志であったり、夢や目標であったり。ここで言う“大きな石”とは、君達にとって一番大事なものです。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。もし小石や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしたならば、君達の人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう。そして大きな石、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。」

 このお話での壺とは「人生の時間」の比喩であり、大きな石とは「人生の大切な何か」の比喩です。皆さんにとっての“大きな石”とは何か、先に入れるべきものは何でしょうか。人によって「壺」の大きさは異なります。人生が長い人もいれば、短い人もいます。その様な意味で壺の大きさは人によって異なります。しかし自分自身の一生涯の時間はどこまで続くのかは誰にも分かりません。その時間をいたずらに無駄にしてしまう過ごし方、有効な時間の使い方は様々です。大きな石は、人生の大切な何かです。

 浄土の御教えはこの世で命終える時に阿弥陀様にお迎えに来ていただいて、西方極楽浄土に生まれさせていただくという御教えです。先ずは“信仰”という大きな石を先に納めていただいて、日々の日常を幸せに過ごしていただければと思います。先に後世(ごせ)を確立して現世(げんぜ)を穏やかにお念仏を申して過ごして参りましよう。

和尚のひとりごと「伝道掲示板535

20211231

”破滅の徴候が表れている人はどのように見分けますか?

第一に真理を憎悪する
第二に善良ならざる人の教えに親しむ
第三に惰眠を貪り、人付き合いにうつつを抜かす
第四に能力なりながら年老いた父母を養おうとしない
第五に勤め励む婆羅門、修行者を欺く
第六に富財を独り占めする
第七に生まれのカーストに傲慢となるばかりか、同族の者たちをも蔑む
第八に女に酒に賭博に金を費やす
第九に妻以外の女とも交わる
第十に老年にさしかかりながら魅力ある女を娶り常に嫉妬の念に苛まれる
第十一に酒乱、禁治産者のような社会的能力に劣ることをよしとする
第十二に王族出でありながら果てしなき欲望にかられ、さらなる権力を求める

このような者どもが破滅へと向かう道すがらにある
そのように観察するならば正智へと至るであろう。”
『スッタニパータ』より