和尚のひとりごと「伝道掲示板369

jikai

”居士らよ、持戒者に備わる功徳には次の五つが数えられる。
第一に、財を得られること
第二に、周囲より良い評判を得られること
第三に、会合を開いたときに、何事にも動じない落ち着きを得られること
第四に、臨終の際において、精神が錯乱することを免れること
第五に、死後に今より善き境涯、つまり天界への生まれることが出来ること
以上である。”

居士(グリハパティ)とは在家の身でありながら、戒を守り、仏道を歩まんとした人たちのこと。
釈尊は在野にあっても、持戒の功徳がかくの如くであることを説いた。

和尚のひとりごと「伝道掲示板368

baramon


”錐の先から芥子粒が落ちるが如く、愛着と憎悪と高慢と欺瞞とが脱落した人
このような人を、私はバラモンと呼ぶ。

荒々しい態度に出ることなく、物事の本当の姿を明確に伝え
言葉によって何人の感情をも害することなき人
このような人を、私はバラモンと呼ぶ。

この世において、長いものであれ短いものであれ
微細なものであれ粗大なものであれ
浄らかであろうと汚れていようと
いかなるものについても、与えられていないものを取らない人
このような人を、私はバラモンと呼ぶ。

現世に望みを持たず、来世にも望みを持たず
欲求を持たずして、捉われのない人
このような人を、私はバラモンと呼ぶ。”

バラモンとは尊敬に値する人を指している。
ここに表されている釈尊が理想とした人格は
私達もまた目指すべき沙門の姿である。

和尚のひとりごと「伝道掲示板367

sandoku


”貪りと怒りと愚かさは熱の如くである。
人はこれらに苛まれて
あたかも発熱によって眠りにつけないように苦しめられている。

反対にこれら三毒がない人は
寒い季節の夜に、木の葉でできた粗末な寝床においても
また蒸し暑い季節の狭苦しい部屋の中においても
安らかに眠りにつくことができるであろう。”

和尚のひとりごと「伝道掲示板366

yamai

”私に病の自覚が生じたとき、
私に生まれた気づきは次の如くであった。
この私に病が生じた。
今や怠けている場合ではない。”

ウッティヤ長老の言葉。

和尚のひとりごと「伝道掲示板365

kakusya

”私は覚った方より八万四千の法を
また比丘らから二千の法を獲得した。
これこそがこの世界に回る法輪であり、現に現れている教えである。”

仏滅後の第一結集において
教えを誦出した阿難尊者の言葉。
阿難尊者は後世に至るまで
”経”を保つ者たちより尊崇されたと言われる。

和尚のひとりごと「伝道掲示板364

tennyo

”牛飼いダニヤはこのように言った。
成年に達した牛もいれば、未だ乳に頼る幼い牛もいる。
既に孕んだ牝牛もいれば、やがて交尾を行うであろう牡牛もいる。
そしてこれら牡牛たちの主である牡牛さえもいる。

天の神よ もし雨を降らさば降らせ。

釈尊は仰った。
私には成年に達した牛もいなければ、未だ乳に頼る幼い牛もいない。
既に孕んだ牝牛もいなければ、やがて交尾を行うであろう牡牛もいない。
そしてこれら牡牛たちの主である牡牛さえもいない。

天の神よもし雨を降らさば降らせ。”

牛はかけがえのない財産である。
在家にある身にとってそれは天が及ぼす災害に対しても備えとなるだろう。
しかし家なき身となった釈尊にとり
執着に値する財を持たない事こそ、将来に対する何の気苦労や慮りも持つ必要のない
真の自由の証であった。

和尚のひとりごと「伝道掲示板363

ameyo1


”我が住む庵(いおり)はよく葺(ふ)かれ、風も防ぎ、安楽である。
天の神よ、汝の思うがままに雨を降らせるがよい。
我が心は安静であり、既に解脱を成し遂げ、精進ある者としてここにいる。
天の神よ、雨を降らせるがよい。”

『長老偈(テーラガーター)』劈頭を飾る
スブーティ(須菩提)長老の言葉

和尚のひとりごと「伝道掲示板362

kurusimi 1

”欲情と憎悪の心
快いものとそうでないもの
あるいは身の毛もよだつ戦慄は
すべからく全ての愛執から生じている。

世間の人々は愛欲に対して執着する。
それはあたかもつる草が林の木々に蔓延るが如くである。

これらがどこから生じているのか
この理を弁える者は、
それを根源から断ち切るがよい。”

和尚のひとりごと「衣替え

6月は私たち浄土宗でも衣替えの季節です。記録によれば旧暦の四月一五日に衣替えを行うのが本義とされていたようですが、これは夏安居(げあんご)入りの日でもあります。夏安居とはもともとはインドで雨季の間は外出せず、一カ所にとどまり皆とともに修行を行ったという習慣に基づいています。
さて、僧侶が身につける装束は一般に袈裟と衣であると言われていますが、その由来についてご紹介したいと思います。
袈裟とはkaṣāya(カシャーヤ)と発音されるインドの言葉に由来し、赤褐色(せっかっしょく)を意味していました。これは壊色(えじき)、染衣(せんね)などとの訳され、在家の人が身にまとう単一色に染められた衣服とは異なり、様々なぼろきれをつなぎ合わせた布を身にまとう出家の姿の旗印でもありました。壊色とは具体的には鮮やかな色ではない青・黒・木蘭(樹液で染めた茶系の色)を指し、これが現在僧侶がかけている袈裟の色の原形となります。
そしてその袈裟は形式により分類されます。袈裟は縦長の布片である条を縫い合わせて作りますが、これが五列であれば五条袈裟、七列であれば七条袈裟、九条であれば九条袈裟といった具合であり、五条袈裟を安陀会(あんだえ)、七条袈裟を鬱多羅僧(うったらそう)、九条より二十五条の袈裟を僧伽梨(そうぎゃり)と呼んでいます。これらは腰に巻き付けるのが五条袈裟、身体に着けるのが七条袈裟、さらにその上からまとう九条以上の袈裟という風に使い分けられていました。
さて仏教の教えが北方から西域の国々を経て中国に伝わると、気候の違いにより、また文化の相違から、袈裟の下に衣を着用するように変化し、袈裟は法衣の一番上に着用して僧侶の威儀を整え、その威厳を象徴する意味合いを強め、日常服としての本来の用法を離れてゆきます。
我国に伝承された法衣には、奈良時代に伝わった教衣(きょうえ)・平安時代にできた律衣(りつえ)・鎌倉期に流行した禅衣(ぜんね)の三種があるとされ、採用する宗派の違い、また相互に影響を及ぼし合ったことなどにより、宗派によって身につける法衣の特色があらわれるようになりました。
さて現在法要で見かける律衣の七条袈裟には、大きく天竺衣と南山衣の二種があります。天竺衣(てんじくえ)とは、その名のとおりインド直伝の袈裟の形であり、現地での見聞をもとに義浄三蔵が伝えました。南山衣(なんざんえ)とは同じくインドから伝わった四分律という書物に規定される袈裟の形をもとに、中国の道宣(どうせん、南山律師)が考案した形であり、袈裟を固定する大きな輪が特徴となっています。
このように歴史的変遷を経て、様々な形をとっている袈裟ではありますが、尊敬すべき対象に対して右側を向け、その際には肩に袈裟をまとわないこと、古来より仏教を他の教えから判別する基準であったこの偏袒右肩(へんだんうけん)の習慣は、現在に至るまで大切に守られているのです。

和尚のひとりごと「伝道掲示板361

itutu


”在家の居士たちよ
破戒の報いというのは実に次の五つの禍が数えられる。
まず第一に、彼は財産を失うだろう。
第二に、世間より悪評が立つだろう。
第三に、人と会う機会を持つたびに、自信を持てず不安な気持ちになるだろう。
第四に、死に際には心が乱れ、錯乱することだろう。
第五に、死後には、悪しき地獄の境涯へと堕ちることであろう。”

居士とは在家でありながら、戒を保ち、禅定修行に長けた者たちの事である。